2025年02月03日
【映画評】MR. JIMMY ミスター・ジミー レッド・ツェッペリンに全てを捧げた男

イントロダクション
大好きなこと”を追求し続けた男のちょっと奇妙なサクセスストーリー
ロック史に燦然と輝くスーパーバンド レッド・ツェッペリン。そこで数々の名演を残してきたレジェンドギタリストジミー・ペイジ。そのプレイは世界中のギター少年を一瞬にして虜にしてしまう。その一瞬のトキメキに、永遠に憑りつかれ、ペイジになりきる事をライフワークとする日本人、ジミー桜井をご存じだろうか。ギタープレイは勿論の事、アクション、衣装、機材、その全てを完璧に再現し“リバイバル”する。ツェッペリンのレコードに初めて出会った高校時代から、サラリーマンの傍ら30年以上も、その再現を極限まで、ひたすら追求し続ける毎日。同じ曲でもライブ毎に全く異なるアレンジ、フレーズを奏でるレッド・ツェッペリン。膨大な海賊版音源を頼りに、その日毎のフレーズ、そしてその瞬間のステージに宿るケミストリーまでをも完璧に再現させてしまう、異様なまでの探求心は、常軌を逸している。
細部に拘る日本人の誇るべき“気質”が世界を席巻
その活動はいつしかジミー・ペイジ本人の耳に入り、遂には来日時に桜井のライブにお忍びで訪れ、ペイジ本人が大絶賛、正式に“公認”してしまうという“奇跡”を起こす。そこから桜井の人生は一気に動き出す。渡米を決意、本場のトリビュートバンドに加入、怒涛のライブ活動を開始。しかし、そこに待ち受けていたのは、言葉の壁、過酷を極めるツアー、メンバーとの軋轢…。かつては単なるツェッペリンファンだったアマチュアギタリストが、“オリジナリティ”を封印し、ひたすら“再現”を“表現”する“再現芸術”で、本場のオーディエンスを熱狂させてしまう。好きな事をとことん追求し続けた事で、人生が一変してしまった、ちょっと奇妙なサクセスストーリー。極限まで細部に拘る日本人の誇るべき“気質”が世界を席巻する瞬間を捉えた、胸躍る傑作ドキュメンタリー。
監督インタビュー
この映画の話はどのように持ち上がったのでしょうか?アイディアはどのように生まれたのでしょうか?
私がレッド・ツェッペリンと恋に堕ちたのは14歳の頃でした。高校まで先輩の車に乗せてもらっていた時に先輩がカセットをプレイヤーにポンと入れ、それは『Led Zeppelin II』でした。「Whole Lotta Love」の最初のリフはレスポール・ギターを持ったベートーベンのように感じられ、私の脳裏に焼き付きました。私はこのリフ、バンドのグルーヴ、そして高らかに歌い上げるヴォーカルに完全に催眠術にかけられてしまいました。しかし、ブリッジになると、「このバンドは完璧なリフを作り上げたのに、それを捨ててこの曲を崖から落とすという選択をしたんだ!」と思ったのを覚えています。
その大胆さ、自信、そしてどんな安全網をも越えて曲を押し進めるその度胸は、それまで聴いたことのないものでした。それは天才の域を超越し私のティーンエイジャーの頭脳では理解の範疇を超え、学校では一日中あのリフのことを何度も何度も考えていました。私は完全に憑りつかれ、その素晴らしい発見をした1年間でレッド・ツェッペリンのアルバムを全て購入し、サウンドと芸術的探求の宇宙が私の前に開かれたのでした。
彼らの作品の独創性は、私にアーティストとしての基礎的な部分にインスピレーションを与えてくれたと思います。生々しさと技術的な革新との間に彼ら流のバランスの取り方があり、美しくてオーガニックかつリアルで、そして鼓動するハートを持ったサウンドでした。
14歳から42歳の現在まで、私はレッド・ツェッペリンへの愛を持ち続けてきました。一つ前のドキュメンタリー作品を完結させた頃、私は次の製作のために新しい題材を探していました。ある友人から「それほどクソではない。」と、ツェッペリンのトリビュート・バンドを観たことを告げるメールが気まぐれに送られてきました。そのバンドは間違いなくMr. Jimmyではなかったですが、トリビュート・バンドの世界について考えさせられることとなりました。
私にはそれが魅力的に感じられました。基本的にアーティストが他のアーティストになりすますというのは美術品を偽造する行為のようなものですが、それは絵を偽造するだけでなく画家をも偽造しているのです。そこで私はYouTubeという異次元の世界に入り何百ものトリビュート・バンドを見たところ、その多くは善意的なものでしたが長らく検索しているうちに私のアイディアは上手くいかないと思うようになりました。ほとんどのバンドは私が惚れ込むには音楽的に不十分だったのです。
誰かを嘲笑したりからかったりするような映画は作りたくないので、私のトリビュート・バンドのアイディアはこれで終わりだと思っていました。あの時までは…。
東京のクラブでの暗くて粗いビデオをクリックすると、そこにはミスター・ジミーがいました。青いボタンダウンのシャツにカーキのパンツ、ローファーでドレスアップし、そして黄色いギターストラップも。1979年のレッド・ツェッペリンのネブワース・コンサートでのジミー・ペイジの衣装だと即座に分かり、私は度肝を抜かれました。誰もが(少なくともツェッペリン・ファンなら)ペイジ氏の有名な“ドラゴン・スーツ”を知っていますが、これはハードコアなファンにしか分からないものだったのです。
あまり人気のなかったこの時代の衣装をミスター・ジミーが全て完全に再現したという事実は私にとって驚異的でしたが、私が目にしたものよりも重要だったのは私が聴いたものでした。ミスター・ジミーのギターの音色は崇高で、彼の演奏はヴァーチュオーゾ級であり、1979年8月のまさにその瞬間のペイジ氏の唯一無二のサウンドを完璧にキャプチャーしていました。
私は完全に魅了されました。私は夜通しで次から次へとビデオをクリックし、その度にツェッペリンの別の伝説の時代、「1975年のアールズ・コート」、「1973年のマディソン・スクエア・ガーデン」、「1970年のロイヤル・アルバート・ホール」に連れて行ってもらいました。昭夫は毎回、衣装、ギター、アンプ、トーン、動き、演奏スタイルを正確に再現していました。ペイジ氏が髭を生やしていた時代であればミスター・ジミーはそれを再現するために付け髭をしていて、それが延々と続いていたのです。
しかし究極的にはレッド・ツェッペリンのライブ体験を見事に想起させた音楽に尽きます。そして、ミスター・ジミーが日本のコラボレーターたちと組んだバンドの映像を見ていて、彼らのトリビュートの原動力となったのは純粋な愛と敬意であったことを疑う余地はありませんでした。それは私が今まで見た中で最も純粋な畏敬、敬意、名誉の表現の一つだったのです。
その瞬間に私はミスター・ジミーが並外れた人物であることを認識しました。彼は何十年もかけてペイジ氏へのトリビュートに磨きをかけ、メソッド式の俳優のような感情の表現力、名手のミュージシャンの腕前、音楽キュレーターのように細心のディテールまでを追求する心を兼ね備えていました。簡潔に言えば、「ミスター・ジミーこそが映画だ。」と思ったのです。そしてギターのストラップ、振り付けのニュアンス、あらゆる部分に宿る忠実さにも気付きました。
そこで私はミスター・ジミーの日本版のウェブサイトに「あなたには伝えるべき素晴らしい物語を感じました。そして私こそがそれを伝えさせてもらう人間だと信じています。」と、シンプルな手紙を書きました。すると「あなたはなんとラッキーな人なのでしょう。私の夫は夢を追いかけるためにロサンゼルスに引っ越したばかりです。」と返事が昭夫の奥様から来ました。そしてそれから先は歴史に示されています。
本映画の製作にどれだけの期間を要しましたか?
この映画の製作には3年かかりました。日本には4回行き、その度に滞在期間は長くなっていきました。カメラが回っていないところでも昭夫と沢山の時間を過ごし、それは互いをより深く知るためのものでした。レッド・ツェッペリンのブートレグ盤を聴いたり、温泉に行ったり、昭夫が思いつく限りの奇妙な食べ物を食べるという挑戦を受け入れたりしていました。
私は物語を最後まで追うことに全力を注ぎ、そしてそれは物事がどういった方向に進んでいくのかまったく分からず、時折ゾッとするような瞬間が沢山ありました。昭夫がアメリカでのバンド仲間と葛藤する様子は映画の中でよく描かれており、このまま上手くいかず日本に帰ってしまうのではないかと私は何度か思いました。そのような結末を考えるのは悲しかったですが、結果がどうであれこの物語がどこへ導かれようともそれを追う覚悟は出来ていました。
どうしてこの映画を作ったのでしょうか?
私はレッド・ツェッペリンを愛し、ミスター・ジミーのレッド・ツェッペリンへの愛を愛しているからこの映画を作りました。私が出会った中で最も純粋な愛の形です。彼は音楽をきちんと演奏することだけを望んでいます。ペイジ氏とレッド・ツェッペリンが創造したものに敬意を払い、並外れたパワー、そして史上最高のロックンロール・バンドのステージ上でのライブパフォーマンスを目の当たりにした時に感じたであろうそのパワーを観客と分かち合いたいのです。
本作品の中でチャレンジしたことを教えてください。
私は完全にインデペンデントでやっている映画監督です。この映画は血と汗とクレジットカードの借金で作ったものです。だから経済的に破綻せずにやり続けることは恐ろしいほどにチャレンジングでした。3度目の来日の時は航空券を買うお金さえなくて、車を売りました。これはロサンゼルスで生活をしていく上で少しタフなことでした。でもそのお陰で日本に行くことが出来ました。だから、映画の製作費を捻出するために金銭の工面をすることと、映画を続けることのバランスを保つのはとても大変なことでした。そしてもちろん、この映画は、Visa、Mastercard、American Express、Discoverに捧げるべきものかもしれないですね。
この映画を製作したことで得た成功とは?
最大の成功は、音楽を正しくキャプチャー出来たことだと思います。これらの楽曲とそのライブがどれほど美しく、そしてそれらがどれだけ現代のクラシック音楽となりえているかを捉えています。また昭夫の性格、献身、誠実さ、並外れた集中力を見せられたことも成果だと思っています。そして映画を見終える頃には彼のことを知り、彼の葛藤を感じることが出来るでしょう。
オーディエンスには本映画から何を感じてもらいたいですか?
究極的には、これは忍耐力についての映画だと思います。時には人、状況、合理性があなたの前に立ちはだかることがあると思いますが、そういったあらゆる障害に立ち向かって目標を追い求める忍耐力があるかどうかということです。たとえ辞めるべき状況であったとしても逃げ出さないキャラクターには、常に何かしらの説得力があると私は思います。さらに音楽からインスピレーションを得て、自分自身を掘り下げてみて欲しいです。そして昭夫のハートを感じてみてもらいたいです。彼の愛、この音楽への純粋な愛を。
本映画製作のためにカメラ、サウンド、編集など、特別な技術の導入はありましたか?そしてそれらがどのように重要だったのかを教えてください。
マルチトラック・レコーディングへのこだわりは、この映画のクオリティにとって非常に重要だったと思います。私たちはどこであっても妥協なきサウンドを求めました。そのためには多くの労力と計画が必要でしたがそれをする以外に選択肢はなかったのです。それ以外の方法は音楽に対する侮辱や冒涜だったと思います。
また、オーストラリアの豪華なステート・シアターでのフィナーレは8Kで撮影しました。このようなドキュメンタリーではあまり選択されないことだと思いますが、私たちはこの空間の壮大さを際立たせてクライマックスのパフォーマンスの細部までを映し出したかったのです。
あなたにインスピレーションを与えるもの、映画監督として影響を受けた人やものを教えてください。
映画監督になる前、私は映画館のプログラマーでした。だから幸運なことに私は何人かの伝説的な映画監督たちと一緒に時間を過ごし、その技法について尋ねる機会に恵まれました。しかしその中でも特に今でも私の心に響いているのは、メルヴィン・ヴァン・ピーブルズが私に放った「この世界で誰かに賭けるなら、自分に賭けろ。」という言葉でした。
この映画の製作中それはずっと私の真言となっていました。車を売った時、別のクレジットカードを作った時、波のように襲ってくる恐怖を感じた時、他に誰に賭けたいのかもしくは他に何をしたいのかと自問しました。そしてその答えはいつも同じで、他の誰でもなければ何でもなかったのでした。
この映画の製作やその重要性について、他に付け加えたいことはありますか?
この映画は耳と目に届けるためにハートから送り届ける映画です。爆音で観てエンジョイしてください。
前提として中学の頃はレッドツェッペリン大好きでした。世代的にかなり遅れて知ったのでリアルタイムで間に合ったのはアルバム「プレゼンス」。そこから1stアルバムに遡り聴きまくり、ハマりまくり。とはいえブートレッグは「リッスントゥディスエディ」程度しか聴いていません。なので極普通レベルのZepファン。「プレゼンス」に次いでリリースされたアルバム「永遠の詩 (狂熱のライヴ)」は音楽雑誌のレビューがボロクソだったのでLP買っていないし、映画も観に行ってない(とはいえ同じ時期に劇場公開されたストーンズUSライブ映画「レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー」、ザ・バンド解散ライブ映画「ラスト・ワルツ」はお年玉握りしめ観に行きました)。当該映画の曲単位のMVはそれなりに観たことあるけど21世紀になっても未だフルで映画は観ていません。その年の暮のNHKFM「渋谷陽一ヤングジョッキー」年間音楽ランキングで確か1位がアキレスラストスタンドだった筈。2位がBOWWOWのインスト曲ではなかったでしょうか?そして数年後にアルバム「イン・スルー・ジ・アウト・ドア」がリリースされ酷評、その数年後にジョン・ボーナムが亡くなります。ロバート・プラントの息子さん急逝からボンゾまで一気に時が過ぎ去った印象。世の中はクロスオーバーだ、パンクだ、スカだ、R&Bだ、めんたいロックだ、ブリティッシュハードロックはオワコンという音楽シーン渦中でツェッペリンはほとんど解散状態として認識されていた時、曲寄せ集めアルバム「コーダー」が出てバンド終焉。ヒットしたミニアルバム「ハニードリッパーズ」とかその直後だったのかな?当該アルバム収録「シー・オブ・ラブ」とか一般音楽ファンレベルならツェッペリン歴代シングルより有名かも。そして月日は流れ、2010年代にジェイソンを加えO2アリーナで開催された一夜限りの再結成ライブは映画館で観た。凄くよかった。ここまでが私とツェッペリンの関わり。
肝心の映画評でして端的に申し上げるとツェッペリンブートレッグ漁りをしなかったレベルのツェッペリン好きからすると、正直ドン引き。ストーカー的とは申しませんが、コロッケや清水アキラと同一線上の形態模写ですね。何年Verのステアウェイトゥヘブンとか言われてもだから何なの?的な立ち位置。ギターソロも序盤は面白かったけど最後の方はすっかり飽きた。という感想です。作中登場する「LED ZEPAGAN」さん達と同じベクトル。そんなミスタージミーさんがまさかジェイソンと邂逅するとは。まさに精子と卵子が受精するレベルの確率。ご飯が食べられる程度の収入が絶え間なくあることを祈ります。
というかぶっちゃけ、本作の最大の収穫は序盤の日本のクラフトマンさんです。AMPハンダ付け職人や、PU巻き職人さんそれだけで飯食えるの?大きなお世話ですが心配になってくる。それと映像に挿入される音楽の半分はツェッペリン全然関係ないし、バカなの?死ぬの?
ジミーさんが3点で映画が1点、按分して☆2つです。スタジオ録音通りのライブパフォーマンスなら是非観てみたい。アルバム曲順セットリストなんかいいよね。
満足度(5点満点)
☆☆
コメント
I,IIはリアルタイムで擦り切れるほどアルバムを聴いてた少年時代でしたが、IIIあたりからついていけなくなった思い出w
Posted by ロック爺 at 2025年02月03日 12:23
じみーぺいじ可愛い爺ちゃんになっとる
(⋈◍>◡<◍)。✧♡
観たいけど会場は老齢臭満ちってるんやろな…
(⋈◍>◡<◍)。✧♡
観たいけど会場は老齢臭満ちってるんやろな…
Posted by 地味頁 at 2025年02月06日 12:39