2023年09月19日

【映画評】福田村事件

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関東大震災時、香川の行商人が千葉の自警団に殺害された事件の映画化。監督はドキュメンタリー畑の森達也。

映画『福田村事件』公式サイト

イントロダクション
1923年9月1日11時58分、関東大地震が発生した。そのわずか5日後の9月6日のこと。千葉県東葛飾郡福田村に住む自警団を含む100人以上の村人たちにより、利根川沿いで香川から訪れた薬売りの行商団15人の内、幼児や妊婦を含む9人が殺された。行商団は、讃岐弁で話していたことで朝鮮人と疑われ殺害されたのだ。逮捕されたのは自警団員8人。逮捕者は実刑になったものの、大正天皇の死去に関連する恩赦ですぐに釈放された…。これが100年の間、歴史の闇に葬られていた『福田村事件』だ。行き交う情報に惑わされ生存への不安や恐怖に煽られたとき、集団心理は加速し、群衆は暴走する。これは単なる過去の事件では終われない、今を生きる私たちの物語。 

ストーリー
大正デモクラシーの喧騒の裏で、マスコミは、政府の失政を隠すようにこぞって「…いずれは社会主義者か鮮人か、はたまた不逞の輩の仕業か」と世論を煽り、市民の不安と恐怖は徐々に高まっていた。そんな中、朝鮮で日本軍による虐殺事件を目撃した澤田智一(井浦新)は、妻の静子(田中麗奈)を連れ、智一が教師をしていた日本統治下の京城を離れ、故郷の福田村に帰ってきた。同じ頃、沼部新助(永山瑛太)率いる薬売りの行商団は、関東地方へ向かうため四国の讃岐を出発する。長閑な日々を打ち破るかのように、9月1日、空前絶後の揺れが関東地方を襲った。木々は倒れ、家は倒壊し、そして大火災が発生して無辜なる多くの人々が命を失った。そんな中でいつしか流言飛語が飛び交い、瞬く間にそれは関東近縁の町や村に伝わっていった。2日には東京府下に戒厳令が施行され、3日には神奈川に、4日には福田村がある千葉にも拡大され、多くの人々は大混乱に陥った。福田村にも避難民から「朝鮮人が集団で襲ってくる」「朝鮮人が略奪や放火をした」との情報がもたらされ、疑心暗鬼に陥り、人々は恐怖に浮足立つ。地元の新聞社は、情報の真偽を確かめるために躍起となるが、その実体は杳としてつかめないでいた。震災後の混乱に乗じて、亀戸署では、社会主義者への弾圧が、秘かに行われていた。そして9月6日、偶然と不安、恐怖が折り重なり、後に歴史に葬られることとなる大事件が起きる―。

監督コメント
関東大震災から五日が過ぎた1923年9月6日、千葉県東葛飾郡福田村の利根川沿いで、多くの人が殺された。多くの人が殺した。でもこの事件を知る人はほとんどいない。皆が目をそむけてきた。見て見ないふりをしてきた。惨劇が起きてから100年が過ぎたけれど、事実を知る人はもうほとんどいない。

450万年前に樹上から地上に降りてきた僕たちの祖先(ラミダス猿人)は、直立二足歩行を始めると同時に単独生活だったライフスタイルを集団生活へと変えた。つまり群れだ。なぜなら地上には天敵である大型肉食獣が多い。一人だと襲われたらひとたまりもない。でも集団なら天敵も簡単には襲ってこないし、迎撃できる可能性も高くなる。

こうしてヒトは群れる生きものになった。つまり社会性。だからこそこの地球でここまで繫栄した。でも群れには副作用がある。イワシやハトが典型だが、多くの個体がひとつの生きもののように動く。だってみんながてんでばらばらに動いていたら、群れは意味を失う。特に不安や恐怖を感じたとき、群れは同質であることを求めながら、異質なものを見つけて攻撃し排除しようとする。

この場合の異質は、極論すれば何でもよい。髪や肌の色。国籍。民族。信仰。そして言葉。多数派は少数派を標的とする。こうして虐殺や戦争が起きる。悪意などないままに。善人が善人を殺す。人類の歴史はこの過ちの繰り返しだ。だからこそ知らなくてはならない。凝視しなくてはならない。

だから撮る。僕は映画監督だ。それ以上でも以下でもない。ドキュメンタリーにはドキュメンタリーの強さがある。そしてドラマにはドラマの強さがある。区分けする意味も必要もない。映画を撮る。面白くて、鋭くて、豊かで、何よりも深い映画だ。

荒井晴彦、佐伯俊道、片嶋一貴、小林三四郎、井上淳一、心強い映画人たちが結集した。関東大震災が起きた1923年から100年となる2023年9月1日に公開します。ご期待ください。





命題の「善良で純朴な人間がなぜ虐殺者になったのか」について、この映画を見ても「なぜそうなったのか」私には全然理解できませんでした。そもそも「善良で純朴」な定義がよく分からない。最初から最後まで「善良で純朴」な村人は誰一人いなかったのでは?

非常にセンシティブな題材の映画化なので期待に胸膨らませ鑑賞しましたが大正時代のゾンビ映画でした。長編映画監督デビューで気負ったのか、あれこれ詰め込みすぎで総花的となり、肝心の行商人描写は適当になっています。この映画観た人に問いたいけど、映画が終わった時点で行商人全員の顔とプロファイルは何人、記憶に残っていますか?名前も顔も性格も分からない人たちが不幸な最後を遂げても受ける衝撃は瞬発的なモノに過ぎず、観終わった後は心に余韻は残らない。映画のクオリティとはバランスを欠く超一流俳優陣こそ行商人に適時配役するべきでしょう。知っている俳優がスクリーンで怒り、笑い、叫び、そして理不尽に殺される。そういう名俳優達を新聞社のデスクとか寝取られ夫婦とか船頭とか本題と関係ない配役に据え(捨て置き)、制作者は一体何を考えているの?

東出昌大の不倫とか田中麗奈のセックスシーンは必要でしたか?女性新聞記者の役回り含め新聞社のパートは必要でしたか?そんな無駄なパートは切り捨て、前半は徹底的に行商人の何気ない日常を描き寄り添い、観客の意識が自然と行商人の中に溶け込み感情移入した後に、ドラマの核心が動き出さないとダメでしょ。東出と田中麗奈がセックスした。井浦新が寝取られた。そこに顔も名前もよく分からない行商人が現れた。争った。殺された。可哀想。それじゃ高校生の文化祭レベルの演劇ですよ。瑛太が出す朝鮮扇子とか流れが稚拙過ぎ。プロの脚本じゃないだろう。

水道橋博士の感情演技も鼻白みます。彼が日頃、プライベートでどんな言動しているのか我々がよく知っている。そんなリベラルの騎士気取りの演技素人の彼がスクリーンの中で軍服来て「朝鮮人を殺せ!」ってヒステリックに延々騒ぎ立て(それも5分10分の話ではなく延々)、ネトウヨはキチガイなる演出側の意図が透け見えて正直不愉快になります。もっと普通の演技/演出ではダメだったのか?

この手の映画(例えばナチスに蹂躙されるユダヤ系など)で我々が深い感銘を受ける作品に共通するポイントは、映画を観ている我々がユダヤ側、ナチス側どちらに転ずるか分からない偶然性や彼我への共感性、普通の人々が狂気に転ずる恐怖感であって、翻り本作、自警団がああまで狂乱するに至ったのか伏線も描写も何もなく(最初から天皇陛下万歳で善良で純朴な描写なんかないやん)、誤解を恐れずに言うと普通に「ゾンビ映画」みたいな感じ。自警団が狂乱するのに理由はない。何故なら彼らはネトウヨ(知性なき怪異=ゾンビ)だから。日本人は集団で群れると気違いになるから。みたいに観客を思考停止に誘う演出と感じました。いつの時代もあり得るような普遍的なテーマまで落とし込まれていない。

史実では200人程の暴徒が行商人を襲うとあり、そこから想像するのは「ブラックホーク・ダウン」での米兵が襲われるシーン。ところが本作の暴徒は20人程度。しかも水道橋博士がギャーギャー叫んでいるだけ。肝心要なこのシーンで手を抜いてどうする?

映画の最後にテロップで「生き残った被害者は事件について口を閉ざした」ってありますが、裏返すとほぼ全て森達也の創作ですって宣言しているワケで、改めて水平社宣言のくだりとか演出意図に白けてしまいます。青臭い正義のみを掲げるサヨクが創作する作品って万事表面的で悪い意味でマンガ的で知的レベルが低い理由は身内で諫言する人がいないことも原因なのでしょう。本作も来年の日本アカデミー賞を総ナメすると考えると邦画界の先行きは暗澹です。

そうそう。劇中の民衆やメディアが「朝鮮人が暴徒化」と口伝する様はまさに、日本共産党や立憲民主党が「汚染魚」「汚染水」と流言蜚語を飛ばし、隣国を扇動し、福島県差別を繰り返す今この瞬間を彷彿しました。あの頃から日本人は全く進歩していないのね。右の狂信者が左へ移動しただけ。

国籍や信条は問わないから誰か普通の商業監督、普通の商業脚本家で幼稚なイデオロギーを抜いた福田村事件を撮り直して欲しい。あと同じ文脈で「生麦事件」映画化も意義があると思うのだけれど。

満足度(5点満点)
☆☆

福田村事件 - Wikipedia

1923年(大正12年)3月に香川県を出発していた売薬(当時の「征露丸」や頭痛薬、風邪薬など)行商団15人は、関西から各地を巡って群馬を経て8月に千葉に入っていた[3]。

9月1日の関東大震災直後、4日には千葉県にも緊急勅令によって戒厳令の一部規定が適用され、同時に官民一体となって朝鮮人などを取り締まるために自警団が組織・強化[4]され、村中を警戒していた。『柏市史』によれば「自警団を組織して警戒していた福田村を、男女15人の集団が通過しようとした。自警団の人々は彼らを止めて種々尋ねるがはっきりせず、警察署に連絡する」「ことあらばと待ち構えていたとしか考えられない」という状況だった[5]。

生き残った被害者の証言[3]によると、関東大震災発生から5日後の1923年(大正12年)9月6日の昼ごろ[3]、千葉県東葛飾郡福田村(現在の野田市)三ツ堀の利根川沿いで[3]、「15円50銭」などと言わせ、休憩していた行商団のまわりを興奮状態の自警団200人ぐらいが囲んで「言葉がおかしい」「朝鮮人ではないか」などと次々と言葉を浴びせていた[6]。福田村村長らが「日本人ではないか」と言っても群衆は聞かず、なかなか収まらないので駐在所の巡査が本署に問い合わせに行った。この直後に惨劇が起こり、現場にいた旧福田村住人の証言によれば「もう大混乱で誰が犯行に及んだかは分からない。メチャメチャな状態であった」[3]。生き残った行商団員の手記によれば「棒やとび口を頭へぶち込んだ」「銃声が2発聞こえ」「バンザイの声が上がりました」[7]。駐在の巡査が本署の部長と共に戻って事態を止めた時には、すでに15名中、子ども3人を含めて9名の命が絶たれており、その遺体は利根川に流されてしまい遺骨も残っていない[7]。かけつけた本署(松戸警察署野田分署[1])の警察部長が、鉄の針金[8]や太縄で縛られていた行商団員や川に投げ込まれていた行商団員を「殺すことはならん」「わしが保証するからまかせてくれ」と説得したことで、かろうじて6人の行商団員が生き残った[7]。

福田村事件 関東大震災・知られざる悲劇
辻野 弥生
五月書房新社
2023-07-25






Posted by kingcurtis 固定リンクComments(11)映画 | 人権問題
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コメント
冒頭の文章、関西大震災ってなってますよ。
Posted by 名無しさん at 2023年09月19日 12:53
ご指摘ありがとうございます
Posted by bob at 2023年09月19日 13:27
政治的意図が溢れすぎて楽しめない映画。
Posted by jj at 2023年09月19日 14:21
映像化する事でウソを事実のように思い込ませる手法である。背景はフィクション、と誇張で描いている。デマが有ったのは認めるが、デマで○○された○〇人は居ない。
Posted by jjh at 2023年09月19日 14:27
「監督 森達也」の時点でクソ確定でしょw

ところで水道橋博士が精神を病んでしまったのはこの映画での演技が原因だったりして?
Posted by Q at 2023年09月19日 20:37
出演者もアレ系が多くてプロパガンダ的な気持ち悪い映画。
Posted by   at 2023年09月20日 09:03
森達也ってとりあげるテーマは結構興味深いんだけどねえ
妙にイデオロギー的な主義主張をぶっ込んじゃうんだよねえ
ちょうど『悪役レスラーは笑う(増補版)』を読み終えてズッコケてたとこです
Posted by q at 2023年09月20日 10:59
もうこういうのはいいから
なにをやろうが通用しねーぞパヨクw
Posted by 名無し at 2023年09月20日 12:58
あぁ、これがニポン映画界の賞を総なめする(確定!!確定!!)の映画ですね。ネトウヨざまぁ〜。全テレビ局と全新聞社は一枚岩だからな。「ジャニーズ報道しない自由。でも白人サマだ怒ったら一斉に被害者面する自由」宣言!を見ても判らないバカがまだいる。もう勝負はついているの。反論できないだろ。
Posted by 必須フィールド at 2023年09月20日 23:35
暴徒エキストラは在特会で
Posted by あ at 2023年09月22日 01:41
>マスコミは、政府の失政を隠すようにこぞって「…いずれは社会主義者か鮮人か、はたまた不逞の輩の仕業か」と世論を煽り、
描くべきはここだろ。
マスゴミが諸悪の根源。
Posted by 邪児 at 2023年09月25日 11:18
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