2020年08月18日

【映画評】ボヤンシー 眼差しの向こうに

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所謂「マグロ船(リベラル的表現なら蟹工船)」を描いた怪作。配給のイオンエンターテイメント、キレッキレやな。
タイの奴隸商によると「カンボジアの奴隷は軟弱なので使えない。ミャンマーの奴隷が活きが良い!」だそうです。

映画『ボヤンシー 眼差しの向こうに』

ストーリー
カンボジアの田舎の決して裕福ではない家族。
14歳のチャクラは、将来を期待されている兄とは違い、労働の担い手としか扱われない自分の境遇に納得がいかない。お金を稼ぎたいチャクラは、友人から“有給の仕事”を斡旋するというブローカーを紹介してもらい、誰にも相談することなく、単身、家を出る。
チャクラは同じ境遇の数人たちとともに密かに国境を越え、タイに入国する。しかしそこで待ち受けていたのは、ブローカーによる“身売り”だった。
他のカンボジア人やビルマ人とともに“奴隷”として漁船に放り込まれ、劣悪な環境下で労働を強制される。1日22時間魚を漁り、与えられる食料は、冷めた米飯のみ。

陸から遠く離れた船の上で絶対的な権力を持つ船長は、歯向かう者や衰弱した者を見せしめのごとく拷問し、殺し、海に放り捨てていく。脱出することも、陸に上がって逃げ出すこともできぬまま、非人間的な環境と拷問の恐怖に怯え、チャクラの心は摩耗し、人間性は失われ、破壊的な人格が芽生え始める。
唯一の希望である“自由”を取り戻すためには、この船で行われていることと同じ“暴力”で抗うしか方法がなく、自らの手で、残虐的な暴力によって、この船を乗っ取ろうと決意する。

ディレクターズノート
本作は、貧困社会で起きている問題、強制労働や搾取の現状、現代社会における奴隷制といった問題をドキュメンタリー視点で描いているわけではない。観る者に事実を突きつけながらも、映画という手法を用いて、人の心や意識にフォーカスし、“少年は家族と別れどのように生きていくのか”、“生きるためにどんな選択・決断をするのか”、“非人間的な環境の中でも正気と自我を保てるのか”、“人間性を捨てずにいられるか”といった疑問を現実のものとして、鋭く訴えかけてくる。

少年が無事に船から逃れられたとしても、彼が経験してしまった凄惨な出来事は、トラウマとなって彼を悩ませ続けるのではないだろうか?彼は、自分も船長らと同じような無情な人間になってしまわないだろうかという疑念から解き放たれ、人間性を取り戻すことができるだろうか?そして、残虐な行為をしてしまった彼に対し、我々は共感を抱けるのだろうか?




主人公の相棒が「笑わない男」そっくりで気になって気になって。
内容も何もかも全然違いますが映画「ダーウィンの悪夢」を思い出しました。単に共に色調が暗い。魚を取り扱っている。ってだけかもね。
という訳で、2020年度下半期に観た映画では今のところベストです。

満足度(5点満点)
☆☆☆☆




Posted by kingcurtis 固定リンクComments(1)映画 
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コメント
船籍は、台湾、中国でも、船長、漁労長、機関士は日本人。手配は日本の商社が絡んでいて、船員はカンボジア、ラオス、ベトナムなどなど・・・一時は中国人船員もいたそうだが、出身地が違うと殺し合いが普通に起こる(飯の盛り、ボーナス分配)があるので使わなくなったそうです
Posted by 名無しさんはデマに苦しんでいます at 2020年08月18日 19:17
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