2016年12月15日

【映画評】聖の青春

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村山聖名局譜 (プレミアムブックス版)
村山聖名局譜 (プレミアムブックス版)

松山ケンイチがレイジング・ブル。今年の助演男優賞は東出昌大くんでもOKみたいな感じでした。


映画『聖の青春』 大ヒット上映中!

イントロダクション
羽生善治を追い詰めた伝説の棋士・村山聖(さとし) 病と闘いながら全力で駆け抜けた、わずか29年の生涯を描く奇跡の実話
弱冠29歳の若さで亡くなった実在の天才棋士・村山聖[さとし](1969〜1998)――。難病と闘いながら将棋に全てを懸けた壮絶な生きざまを描く、感動のノンフィクション小説が待望の映画化。

2000年に発表、各方面から絶賛された『聖の青春』は、専門誌「将棋世界」編集長時代に生前の村山聖と交流のあった作家・大崎善生の渾身のデビュー作。100年に1人の天才と言われる羽生善治と「東の羽生、西の村山」と並び称されながら、名人への夢半ばで倒れた“怪童”の一生を、師弟愛、家族愛、そして羽生ら今も将棋界で活躍する仲間たちとの友情を通して描く。将棋界のバイブル的な一冊とも呼ばれる、号泣必至の大傑作だ。

幼少期より腎臓の難病・ネフローゼを患い、入退院を繰り返した村山聖。入院中のある日、聖少年は父が何気なく勧めた将棋に心を奪われる。その日から彼は、将棋の最高峰・名人位を獲る夢を抱いて、将棋の道をまっしぐらに突き進み始める。羽生善治ら同世代の天才棋士たちとの死闘、自分を見守る師匠、そして父と母の深い愛情。自らの命を削りながら将棋を指し、病と闘いながら全力で駆け抜けた壮絶な一生。
映画は聖が短い余命を覚悟し、「どう死ぬか、どう生きるか」に対峙した最期の4年間の姿にフォーカスして描く。

主人公・村山聖を演じるのは、主演作多数、人気実力を兼ね備える俳優・松山ケンイチ。将棋に全身全霊を捧げた伝説の棋士役というプレッシャーの中、驚異的な役作りで精神面・肉体面の両方から村山聖の真実にアプローチ。撮影終了後に「自分にとって一生に一本の作品になると思う」と語っていた、その静かだが鬼気迫る熱演には誰もが圧倒されるだろう。

聖の最大のライバルであり、松山が本作の“ヒロイン”であると語る羽生善治を演じるのは、東出昌大。今なお棋界の頂点で活躍する実在の人物という難しい役どころを、徹底した役作りで見事に演じる。村山聖=松山ケンイチ vs 羽生善治=東出昌大の両者による緊迫感と臨場感あふれる対局シーンは本作最大の見どころだ。
聖を支えた師匠・森信雄役にはリリー・フランキー。母・村山トミコ役に竹下景子。弟弟子・江川貢役に染谷将太。そして安田顕、柄本時生、北見敏之、筒井道隆ら豪華キャスト陣が脇を固める。

監督に『ひゃくはち』『宇宙兄弟』でヒットを飛ばした俊英・森義隆。人間の知の限界に挑戦し続けた伝説の将棋指しの人生を、師匠、ライバルほか周囲から愛された記憶と共に、愛情豊かに描き出す。脚本は『クローズ EXPLODE』『陽だまりの彼女』の向井康介。最高のキャストとスタッフで贈る、感動のノンフィクション・エンタテインメントが誕生した。

ストーリー
1994年、大阪。路上に倒れていたひとりの青年が、通りかかった男の手を借りて関西将棋会館の対局室に向かっていく――。
彼の名は村山聖[さとし](松山ケンイチ)。現在七段、“西の怪童”と呼ばれる新世代のプロ棋士だ。聖は幼少時より「ネフローゼ」という腎臓の難病を患っており、無理のきかない自らの重い身体と闘いながら、将棋界最高峰のタイトル「名人」を目指して快進撃を続けてきた。
そんな聖の前に立ちはだかったのは、将棋界に旋風を巻き起こしていた同世代の天才棋士・羽生善治(東出昌大)。すでに新名人となっていた羽生との初めての対局で、聖は必死に食らいついたものの、結局負かされてしまう。
「先生。僕、東京行きます」
どうしても羽生の側で将棋を指したいと思った聖は上京を希望し、相談を持ちかける。先生とは「冴えんなあ」が口癖の師匠・森信雄(リリー・フランキー)だ。聖は15歳の頃から森に弟子入りし、自分の存在を柔らかく受け入れてくれる師匠を親同然に慕っていた。
体調に問題を抱える聖の上京を家族や仲間は反対したが、将棋に人生の全てを懸けてきた聖を心底理解している森は、彼の背中を押した。
東京――。髪や爪は伸び放題、本やCDやゴミ袋で足の踏み場もなく散らかったアパートの部屋。酒を飲むと先輩連中にも食ってかかる聖に皆は呆れるが、同時にその強烈な個性と純粋さに魅了され、いつしか聖の周りには彼の情熱を支えてくれる仲間たちが集まっていた。
その頃、羽生善治が前人未到のタイトル七冠を達成する。
聖はさらに強く羽生を意識し、ライバルでありながら憧れの想いも抱く。そして一層将棋に没頭し、並み居る上位の先輩棋士たちを下して、いよいよ羽生を射程圏内に収めるようになる。
そんな折、聖の身体に癌が見つかった。「このまま将棋を指し続けると死ぬ」と医者は忠告。しかし聖は聞き入れず、将棋を指し続けると決意。もう少しで名人への夢に手が届くところまで来ながら、彼の命の期限は刻一刻と迫っていた…。

プロダクションノート
企画の発端
――企画が動き出したのはずいぶん前の話だそうですね。

滝田:2000年に出版された当時、読んで非常に感銘を受けたのですが、映画化に向けて具体的に動き出したのは、今から8年ほど前、映画デビュー作『ひゃくはち』(08)が公開されたばかりの森監督へオファーした時からですかね。

森:それが2008年の夏。長かったなあ。村山聖という濃密な人間の一生を2時間サイズの劇映画にまとめる算段がすぐには立たなくて。半年議論を重ねました。そうして村山が自分の“死と生”に切迫して向き合った最後の4年に絞って描くことに決めて、「よし、これなら映画にできるかもしれない」と。

滝田:クロニクルの伝記映画にする選択もあったと思うんですが、監督の思い切った判断のおかげで、プランが早い段階で固まりました。そして、『マイ・バック・ページ』(11)の脚本を準備中だった向井康介さんに出会いました。

森:向井さんは僕より2歳上で同世代。実は企画をもらった時、僕は29歳で、監督を引き受けた最大の理由は、村山が29歳で亡くなったことなんです。当時、自分と同じ年代の友人が突然亡くなって、その事実をなかなか受け止めきれなかった。だから“29歳で死ぬこと”の無念という一点を、映画を通じて探求してみたかったんです。そしてきっと向井さんなら、この意味を一緒に掘り下げられる人だと。

――村山の人生をご自分の人生に重ね合わせていたんですね。

森:スタートはそこでした。でも作品の実現まで8年経ったおかげで、僕の視点も移動していきました。最初はもっと村山の内面のみにフォーカスしていたんですが、彼と闘った人達や、彼を支えた人達の心情にも目が届くようになった。結果、周囲の人間を振り回しながらも強烈に惹きつける、村山を中心とした群像劇に近づいていったんじゃないかと思います。

キャスティング

――主演の松山ケンイチさんはどのような経緯で決まったんでしょう。

滝田:実は松山さんは原作を自主的に読んでいらして、村山聖の映画化を進めているという話をどこかから聞きつけて、あちらから名乗り出てくださったんです。

森:今回、村山役をやるに当たっては、こちらから要請する前に、精神面、肉体面共に松山君自身が当たり前のアプローチとして認識してくれていました。

滝田:それこそ『レイジング・ブル』の“デ・ニーロ・アプローチ”のような過酷な役作りですが、それに挑む覚悟を最初から持ってくれていました。

森:松山君の場合はビジュアルだけでなく、彼自身の中の体感で村山に近づけていこうと。とにかく本人の入れ込みようが凄くて、鬼気迫るものがありましたね。松山君は撮影当時30歳で、ほぼ村山が死んだ年齢と重なります。本当に肉体と精神の変化を通して魂が乗り移っていたような迫力を感じました。

――松山さんが決まってから周囲のキャスティングに入ったわけですね。

滝田:次にオファーしたのは村山の師匠・森信雄さん役のリリー・フランキーさん。

森:村山の人生は森師匠ありき。世間の常識や人生観に囚われない、リリーさんの自由で懐の深い人間の質感が森師匠の役にぴったりだと思えました。そして、村山の母親トミコさん役の竹下景子さん。ひたすら純粋に息子のことを想う、リアルなお母さんの感触が欲しかったんです。そして最後に羽生さんです。

――羽生善治役の東出昌大さんが本当になりきっていたので驚きました。

森:びっくりしたでしょう。羽生さんは今も現役でトップを走っている人で、演じるのは役者として非常に勇気のいる役。そんな難役のオファーに対して、将棋が大好きで、羽生さんの熱狂的なファンである彼は「どうしてもやりたい。自分以外の人にやって欲しくない」と。その勇気と思い切りこそが羽生役を演じる役者には必要でした。そして彼が作り上げた羽生像は、映画をご覧になっていただければ分かると思いますが、本当に素晴らしかったです。

滝田:劇中で東出さんが掛けているメガネは、実際に羽生さんが七冠を獲った時にかけていたメガネなんです。東出さんが羽生さんご本人から譲り受けたことで、精神性がさらに生々しく宿ったのかもしれません。

撮影・ポストプロダクション

――クランクインは今年(2016年)の1月9日、クランクアップは2月15日。真冬の撮影だったんですね。

森:こだわったのは“場所”と“順撮り”。村山が生きた軌跡を土地ごと感じながら追いたかったので、できるだけ実際現地で撮るようにしました。ロケ地は大阪福島区、東京千駄ヶ谷、広島市…。

滝田:当時の部屋の写真が残っていて、それを参考に小物までこだわって再現しています。村山が遺した蔵書とCDのリストにあった少女漫画のタイトルなどを映画では使わせてもらっています。

――見せ場の一つである対局シーンの撮り方・見せ方に関してはいかがでしたか?

滝田:棋士たちの表情や手の動きに加えて、決め手になったのは“音”でした。「棋は対話なり」というテーゼがあるように、将棋は盤上での対話だから、駒音一つに込められた感情のセッションが大切になってくる。だからダビングで音の表情を細かく付けていきました。

森:生命線になったのは実際に棋士たちが残した棋譜です。作家にとっての作品がそうであるように、将棋指しにとっては棋譜が生き方。「棋譜台本」を作成し、駒の進め方もストーリーとして解釈できるよう、盤上の戦いは実際の棋譜を再現しています。特に村山と羽生の対局シーンは、松山君も東出君も将棋をわかっているから、死に際で何を指したかにすごく反応できている。彼らは棋譜を台詞のように読み解きながら、芝居していったんです。将棋を指したことのない方にも、天才棋士が将棋の思考に潜った時の“深さ”を伝えることができると確信しています。

完成した映画の手応え

――最後に、満を持して完成した力作についての想いをお聞かせください。

滝田:8年前に森監督といろいろ話し合っていたことが、そのままブレずに映画にできたかなと思っています。当時は映画が時代に受け入れられるか自信ありませんでしたが、この8年で時代の方が変化して向こうから映画に寄り添ってくれたかな、と。震災を経て、日本人が皆、生きることの意味を真摯に考え始めた。今なら、『聖の青春』のテーマは、万人に響くのではないかと思います。

森:とにかく“本当”の瞬間を撮りたかった。だから作為を積み重ねるのではなく、過程を積み重ねようと思って。自分なりに村山の生きた証を、「どう死ぬか、どう生きるか」を、松山君の肉体を通して見つめ続けよう。結論を安易に出さないように撮っていこうと。これから皆さんにどう観てもらえるのか、すごく楽しみにしています。




羽生善治さんが高坂麗奈ばりに「悔しくて死にそう」。
竹下景子さん久々に拝見しましたが御年63なんですね。お婆ちゃん役でもおかしくない感じ。キレイなお姉さんの印象しかないのでなんか悲しい。竹下景子さん台詞はピュアな関西弁じゃなくもっと西寄りの方言でしたが、広島弁なんですね。あとから知りました。

劇中でも取り上げられた羽生さんのご婚約エピソードですが、畠田理恵さんって当時有名人だったんですか?全然知りませんでした。小道具に色々拘りがあるみたいで対局を頭上から映すビデオカメラが「akai」など感心しましたが、路上で喧嘩する重要シーンの背景がプリウスはどうなのかと(初代プリウス発売が1997年なので微妙といえば微妙ですが)。この辺は海外映画は徹底的に拘っていますよね。今年観たフランス映画は逆リトラクタブルのセリカが出ていたし。

そもそも棋士なんて羽生さんとか林葉直子さんとかテレビに出る人しか知りませんで、村山聖さんのことも本作制作発表で知り、次いで「3月のライオン」で馴染んだ程度でして人となりは存じ上げないものの、病気発覚した幼少期、母役の竹下景子さんが担当医より詰られるシーンを観ながら、映画とはいえ基本ノンフィクションなのでここまで描写するのもキツイなと。実際にお母様のチョンボだったのでしょうか?童貞喪失を渇望しながら生殖機能切除は辛いですね。事情が分からないのですが、プロ相手は嫌だったのでしょうか?
ご冥福をお祈りします。

満足度(5点満点)
☆☆☆

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