2016年12月12日

【テキスト】真田丸 番外編「阿菖蒲姫救出」

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城塞 (上巻) (新潮文庫)
城塞 (上巻) (新潮文庫)

11時50分訂正。タイトル大間違いでした。正室が姫な訳ないわ。松岡茉優は尼さんです。ぼんやりしていました。
×【テキスト】真田丸 番外編「阿菖蒲姫(松岡茉優)救出 」
○【テキスト】真田丸 番外編「阿菖蒲姫救出 」

いよいよ次週最終回。松岡茉優が可愛いので脱落せず観ています。終盤は大阪の陣での事務方との軋轢とか期待していたのですが、「ギャラクシー街道」での不安的中。演出としてタメがない。真田幸村の人物スケールが小さすぎて終始微妙だったのが実感。ヒト・モノ・カネが掛かる戦闘シーンを見せずともバチバチのヒューマンドラマを描くのは充分可能と思われますが、舞台劇に拘泥しているのか、三谷幸喜の能力的限界なのか。堺雅人も「半沢直樹」や「リーガルハイ」で見せた魅力の片鱗も感じられませんでした。

「半沢直樹」に倣い脚本八津弘幸、監督福澤克雄だったら全然違う作風だったでしょうね。

戦国ちょっといい話17


143: 人間七七四年 2010/01/18(月) 21:30:22 ID:RmYbBnhZ

「ダイダイ武者」
大阪冬の陣でのこと、博労ヶ淵の砦を守っていた薄田兼相隊は十一月二十九日の夜蜂須賀至鎮の奇襲を受け、砦を奪取された。
このとき守将の兼相は遊女屋に泊り込んでいた。
このていたらくに対し、大阪城内の味方から図体は大きいが役に立たない、柑橘類のダイダイとのあだ名がついた。
これを恥じた兼相、大阪夏の陣では汚名をすすぐため道明寺の戦いで水野勝成軍と壮烈に戦い、討ち死にしている。
どうでもいいが大野治長の弟、治胤も「ダイダイ武者」と呼ばれている

汚名をそそげた良い話…?


144: 人間七七四年 2010/01/18(月) 21:32:39 ID:RmYbBnhZ

島津家の史書に 「古今東西において、類稀なる働きをした勇士」
と真田信繁や木村重成らと共に評価される働きをして討死した逆襲のオレンジファイターでもある


188: 人間七七四年 2010/01/20(水) 19:17:11 ID:1v2PKVZN

「成瀬吉正と南蛮胴」
成瀬吉正は徳川家康の家臣、成瀬吉右衛門一斉のニ男である
家康の小姓となるが、十七歳との時、伏見において同僚を口論の末斬り果たし逐電した
そのご前田利光に仕え、根来40騎足軽40人を預けられる
慶長十九年、大阪冬の陣に従軍した吉正は前田利光の使者として家康の本陣に派遣された
再会に喜んだ家康は以後の作戦連絡には吉正を使者として派遣するようにと命じたという

同年一二月四日、前田勢は大阪城南側の出丸、真田丸を攻撃した
だが、真田丸からの反撃はすさまじく、前田勢はつぎつぎに打ち倒された
赤熊の采配で指揮していた吉正、堀の際で銃弾を腹に受け落馬、家人らに抱えられて退いた
結局成瀬隊は多数の死傷者をだすこととなったが、吉正は着用していた南蛮胴により九死に一生を得た

ttp://www.pref.chiba.lg.jp/kyouiku/bunkazai/sitei/h19ken/bunkazai/nanban.html

この南蛮胴は和製のもので、老齢の父一斉が自分の愛用品を息子達の中で力量抜群の吉正に譲ったものであった
胴の正面左よりの弾痕が銃弾の痕である
城の狭間に据え付けて撃つ、大口径銃身の、いわゆる置き筒で撃たれたものらしく、弾痕は大きな窪みとなっている
吉正が衝撃で落馬したのは当然で、この南蛮胴を着ていなければ即死したであろう

尚、吉正は大阪夏の陣でもこの南蛮胴を着て出陣し、大野主馬の旗奉行、原田加左衛門を討ち取っている


212: 人間七七四年 2010/01/21(木) 18:02:30 ID:oEFE44I1

「小幡景憲の暗躍」
大阪冬、夏の陣にて、甲州流軍楽の祖として名高い小幡景憲は大阪城でスパイ活動をしている。
真田幸村と後藤基次が積極的に先制攻撃を仕掛ける事を軍議で発言した時、反対したのがこの景憲と言われている
だが冬の時点で、前田利常の家臣富田越後守に仕え真田丸攻撃に参戦していた事から誤伝と伝えられている

景憲が大阪城内に現れるのは大阪城冬の陣の和議以降のこと
主家を退去した彼を大野治房が味方として招き入れ、夏の軍議に参加したとされている
彼の諜報活動と内部撹乱活動は幸村ら主要武将から疑いの目を向けられたが、巧みな話術で偽装し、思惑通りに事を運んだと伝えられている

大阪の陣後、その功を認められた景憲は幕府のお使番として1500石を与えられ「甲陽軍鑑」を編纂する事となる


214: 人間七七四年 2010/01/21(木) 21:58:32 ID:PNlxEd0L

阿菖蒲姫救出


大阪夏の陣が終わって十日ほど後の事。
世間は残党狩りが激しく行われており、
捕まった者は男女、年齢に関わらず首をはねられるなどの厳しい処遇が待っていた。
街道や国境には徳川の検問が設けられ、通行する者は厳しく検分された。

そんな中、馬に引かせた荷駄車が数台、検問に差し掛かった。
車の上には竹駕篭が設えられており、日よけの幌もかぶせてある。
中にはどうも人がいる様子だ。
あからさまに怪しすぎるが、この荷駄車には旗がつけられていた。
竹に雀。そう、所謂伊達家の家紋である。馬印も同じであった。

不審に思った役人たちは、この荷駄車を調べることにした。
「伊達家中とは重々承知であるが、役目であるゆえ吟味いたす。
この大籠は何か、してどちらへ参られるか」
この一隊を指揮していたのは、伊達家家臣・片倉小十郎の配下の野田伝八郎。
「この度の合戦で負傷した者達を仙台へ運び、療養させるのでござる」
彼は将軍直々のお墨付き手形と、政宗の花押の書付を所持していた。
しかし、こんなに荷駄車をいくつも連ねた仰々しい隊列は珍しい。
「それでは少し、中を拝見させていただきたい」
「ごもっともでござる、どうぞご覧くだされ」
野田は快諾すると、部下に命じて幌を上げさせた。
中には、身体をサラシで巻いた者、腕を縛った者。
あるいは腕を失った者、両足を失った者……身動きできない負傷者ばかりである。
「これは失礼した、結構でござる」
「いやいや。大阪方の残党狩りは厳正にやらねばならぬと、我君も仰せでござった。
どうぞどうぞ、さあ遠慮なく」
と。乗り気でない役人を小突くようにして、すべての荷駄車を開けさせた。
やはり中には、目を背けたくなる負傷者ばかり。
この話はすぐに評判となり、伊達の荷駄車一隊は関所につくたびに
「此度の合戦、ご苦労でござった、吟味は不要でござる」と、
フリーパス状態で通れるようになってしまった。

そうして辿り着いた伊達領、一山越えた頃。
急に乗っていた負傷兵たちが、次々荷駄車を降り出した。
目を負傷していたものは見えるようになり、
腕がなかったはずのものは腕が「生え」。
みなピンシャンとして動き出したのである。
そしてその中に、一際小柄な、そして一際重傷そうな者がいた。
顔がわからぬほどに布を巻かれ、腕をなくした大柄な武士が片時も離れずついていた。
その小さな負傷者もまた荷駄車を降りると、
やはり新しく腕が生えてきた付き添いの武士が、巻かれていた布を取り去った。
中からは緑の黒髪と、まだ幼い少女の顔が覗く。
「さぁ阿菖蒲さま、仙台に着きましたぞ、ここまでくれば安心でござる……」
そう、その小柄な武士は実は、真田信繁の娘の阿菖蒲だった。
年は当時、八〜十歳というところ。
伊達軍によってカムフラージュされ、密かに大阪から脱出したのである。
その場には護衛のついた女駕篭が用意されていて、すぐにそれに乗り込むと、
姉が先に保護ざれているはずの白石へと向かったのだった。
(片倉家に伝わる話だと、この時「おかね」という娘も一緒に保護されている)

その後、阿菖蒲は愛姫実家である田村家の嗣子で、
伊達家家臣の田村定広(後、喜多の名跡を継いで片倉金兵衛)に嫁ぎ、
その墓は今でも白石市にある。


215: 人間七七四年 2010/01/21(木) 22:29:08 ID:7jV7hz1v

>>214
姫一人のためにそこまでやったのか。
演出上手な伊達家らしいと言えばらしいな。

でも、数え年8歳の姫を、見知らぬ屈強な男たちと一緒に、荷馬車に放り込むなんて・・・
姫は不安にならなかったのかな?


216: 人間七七四年 2010/01/21(木) 22:36:56 ID:Tt4fCfz9

>>215
命あっての事だ
真田の娘なら覚悟は出来ていただろう


217: 人間七七四年 2010/01/21(木) 22:52:37 ID:Zk3xQXIe

>>214しっかり自分の子孫を残す方策を講じているあたり
真田らしいしたたかさを感じる


234: (1/2) 2010/01/22(金) 19:40:42 ID:aGGyzyi9

>>214の続きというか、もうひとつの脱出劇。
長いのでめんどい人はスルーでどうぞ。

大八丸救出


阿菖蒲姫の大阪からの救出でひと芝居うった伊達側であるが、
真田の息子である大八丸の救出はさらに困難を極めた。
何故なら、すでに徳川方の探索網に引っかかり、
母親の大谷氏共々捕縛されていたからである。

当然ながら、真田の血筋、特に男子は根絶やしにするべきだと、
すぐにも打ち首にしようとの話が持ち上がった。
だがここで、政宗が横槍を入れる。
「別に打ち首の決定には反対はしない。
だが4つの子供なんて、まだ乳飲み子じゃないか。
そんな子供の首が刀で切れるだろうか?
せめて乳離れして、首の骨が固まる5つになるまで、待ってやったらどうか」
これに秀忠が賛同したので、大八丸は一年だけ延命されることになる。

とはいえ、打ち首の決定は覆るわけではない。
母親の大谷氏は髪を落として尼になり、大八丸と共に
京都知恩院の尼寺に篭った。
この寺周辺には徳川の警戒網が敷かれ、
特に九度山にいる真田信繁を大阪城へ入れるなと厳命されていたにも拘らず、
まんまと警戒網をくぐられて大阪城へと入られてしまったという「前科」がある浅野長晟隊は、
面子にかけても失敗するわけには行かない。

そんな尼寺に、一人の尼僧が入っていた。
見目も麗しく、立ち居振る舞いも気品がある尼僧は、
夏の陣で死亡した夫の菩提を弔うと言って寺に入ったのであるが、
生来の子煩悩だったのか、大八丸とすっかり仲良くなり、
まるで母子同然のように、楽しげに遊ぶ姿が垣間見られたという。
流石の徳川方の警備の者も、その光景には涙を誘われた。

さて、そんな日々も足早に過ぎ、とうとう大八丸は5つになる年を迎える。
元和二年五月五日、この日京都の加茂河原で、子供達が印字打ちに興じていた。
この印字打ち、雪合戦の石バージョンとでも言おうか、
二手に分かれて集団で石をぶつけ合うという、実に危険この上ない遊びだった。
すっかり廃れてしまったが、戦国の子供らには人気があったらしい。
この子供達の印字打ちも、徳川方の監視がつけられていた。
何故なら、大八丸も参加していたからである。

異変は、石合戦が終わった後に起こった。突然、大八丸の母親の大谷氏の、
凄まじい号泣が河原に響いた。
「何事か!」
慌てた監視の者達が河原に下りてみると、
そこにはすでに冷たくなった子供の遺体をかき抱いて号泣する、
大谷氏の姿があった。
慌てた監視の者達は、将軍家や自分達の主君・浅野邸に知らせに走るなど、大騒ぎになる。
半狂乱になって泣き続ける大谷氏から子供の遺骸を取り上げてみれば、
顔は酷く腫れあがり、二目と見られぬ顔になっていた。
「印字打ちの石の総攻撃を受けたに違いない!」
大八丸、刑場の露と消える前に事故で死す……この知らせはすぐに幕府に届き、
正式に検死が行われ、大八丸の死は確定した。
高野山蓮華院の記帳に「大八丸五月五日、加茂河原の印字打ちにて御死去賜う」とある。

そんな大騒ぎの最中。
あの、大八丸と仲の良かった美しい尼僧が、
ひっそりと姿を消していたのを、気付いた者はいなかった。


237: 人間七七四年 2010/01/22(金) 20:29:42 ID:RouLmvBu

いかにも伝説じみているけど、こういう話好きよ〜


238: 人間七七四年 2010/01/22(金) 20:58:45 ID:JRHDzDbd

新人物往来社の『伊達政宗と片倉小十郎』内の文章と
激しく似てるんだが・・・・引用?
伊達政宗と片倉小十郎伊達政宗と片倉小十郎
飯田 勝彦

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239: 人間七七四年 2010/01/22(金) 21:38:16 ID:XUcHJsy4

伊達家のすることはいちいち手が込んでるなwww


240: 人間七七四年 2010/01/22(金) 22:20:58 ID:yZRXBJgI

            伊達政宗┌伊達忠宗─田村宗良
              ├──┘
┌田村清顕─愛姫

└田村氏顕─田村宗顕─片倉定広
                        │
            真田信繁─阿菖蒲姫

こんな感じ。(関連:http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2448.html


279: 人間七七四年 2010/01/24(日) 21:05:16 ID:VnfTvrBp

既出かもしれませんが、
投下いたします

慶長十九(1614)年のいわゆる冬の陣の事である。
12月13日のこと、
東軍が重成の持ち場に鬨(とき)の声を揚げて攻めかかってきた。
重成は櫓に登って一見した後、真田幸村に会ってこう言った。
「今、私の持ち場に攻め寄せてきた関東勢の旗の紋は六文銭です。きっと御一家なんでしょう。
それについてお尋ねしたいのですが、ことのほか若い武者二騎が真っ先に進んできて弓や鉄炮をものともせず、
兜を傾けて柵に取り付いています。どなたの子なんでしょうか、櫓からご覧下さい」
と言ったところ、幸村は、
「ああ、それは見る迄もなくいかにも六文銭の旗は兄伊豆守信之のもので、
その若者の一人は河内守といって十八歳、もう一人は外記といい十七歳、二人とも私の甥です。
かわいそうですが、彼らを侍分の人に命じて討ち取って下さい。
そうすれば若くして木村殿の持ち場で討死にしたとその名が後世に伝わり、われら一族の喜び、これに過ぎるものはありません」
と答えた。それを聞いた重成は、
「いや、そうではありません。一族が引き分かれての戦いにどうして後日お咎めがあるでしょうか。
必ず和睦になりますから、めでたくご対面なさって下さい。御心底お察し申します」
と言って士卒に命じて言うには、間違ってもその二騎の若武者を鉄炮で撃ってはいけない、
くれぐれも過ちのないように、と彼らを気遣った とのことである。

そんな木村重成のお話 


305: 人間七七四年 2010/01/25(月) 22:18:25 ID:HnscmX1V

>>279
昔読んだ池波正太郎の小説だとその場面で
信吉、信政兄弟が壕の底にとりついてヒーヒー言ってるときに
「カモンBoys!ガッツのあるところ見せてみろ!そらもう一押し!」
みたいな掛け声を真田丸の櫓からかけてくる奴がいたので
「誰じゃゴルァ!」と良く見たら「・・・やっぱり叔父さんかよ・・・」
って言う話になってて思わず笑ってしまった

これってちゃんとした元ネタある話なのかな?


309: 人間七七四年 2010/01/26(火) 06:33:53 ID:NnwaTA3A

>>305
出典はわからないけど、おもろい左衛門佐叔父さんの話だねw

実際は幕府方の六文銭に遠慮して旗印をしまったり、奥ゆかしいところもあったみたいだけど


963: 人間七七四年 2010/02/16(火) 23:55:26 ID:sAjraO7k

 遠路ご使者とお便りありがとうございます。
そちらはお変わりもない由、くわしくうけたまわり満足いたしております。こちらも無事ですからご安心ください。
わたしの身の上のことですが、殿様(豊臣秀頼)のご懇意がひとかたならないのはよいですが、いろいろと気苦労ばかりしております。
一日一日と暮らしております。お目にかかってでないとくわしいことは申し上げられません。
手紙ではいろいろと申し上げられませんが、お使者が申し上げると思います。
当年中何もないようでしたら、何とかお目にかかりたいと存じます。知りたいことがたくさんあります。
しかし、さだめなき浮世のことですから一日先のことはわかりません。
わたしたちのことなどは浮世にあるものとは思わないでください。恐々謹言

(追伸)なお、御両人別々にお手紙をさし上げるべきですが、さしたることもございませんし、
また御使者がご存知だとおもいますが、少し取り乱れておりますので、とりいそぎこのようにしたためました、
いずれおってくわしくお知らせいたします。以上

三月拾日     真(真田)左衛門佐
   小(小山田)壱岐様
   同主膳殿       信繁(花押)


慶長二十年大阪冬の陣と夏の陣の間に書かれた書状への信繁の返書。
宛先の小山田壱岐こと小山田茂誠とその息子之知は信繁の義兄と甥であり
武田家滅亡時に高遠城で討死した小山田昌行の子と孫である。
信繁は九度山在中からたびたび書状のやり取りをしていたが
二人は大阪の役において当主信之の名代の信吉、信政兄弟に従い戦っている。
信繁の気苦労の一因は多くの身内を相手取った状況にあったのかもしれない。


964: 人間七七四年 2010/02/17(水) 00:31:41 ID:54vipKig

だから九度山でのんびりしておれと言うたに
胃が痛いわ



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Posted by kingcurtis 固定リンクComments(5)日本史 
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コメント
きりと信繁の関係がすっきりしない。
Posted by 名無しさんはデマに苦しんでいます at 2016年12月12日 11:02
bobさん戦国ちょっといい話まとめもみるんだねw
あれなかなか面白くって自分もたまにみたりしてます
Posted by 名無しさんはデマに苦しんでいます at 2016年12月12日 16:55
三谷幸喜自身のドロドロ感がよく投影されていたと思う。
Posted by 名無しさんはデマに苦しんでいます at 2016年12月12日 21:37
九度山以降がちっとも面白くない。大坂冬の陣に期待しすぎました。真田丸の立派なオープンセットを拵えていたから、主役がやっとヒーローになる大坂の陣にどーんとお金をかけるものだとばかり思っていました。
Posted by 名無しさんはデマに苦しんでいます at 2016年12月13日 12:56
キスはせんでええやろw
Posted by 名無しさんはデマに苦しんでいます at 2016年12月13日 15:36
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