2016年11月28日

【映画評】ダゲレオタイプの女

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黒沢清、21世紀の映画を語る
黒沢清、21世紀の映画を語る

夏に見た残念映画「【映画評】クリーピー 偽りの隣人」撮った黒沢清が正直反省したと巷間聞かれたので騙されたつもりで観に行ったらまた騙された。

映画『ダゲレオタイプの女』公式サイト

イントロダクション
数々の国際映画祭で高い評価を受け続け、世界中に熱狂的な“キヨシスト”を持つカリスマ、黒沢清監督が初めて撮り上げたフランス映画。
カンヌ、ヴェネチア、ベルリンといった世界三大映画祭に出品され、ヨーロッパを中心に世界中で高い評価を得ている黒沢清監督。2015年カンヌ国際映画祭ある視点部門で『岸辺の旅』が監督賞を受賞し、本年も『クリーピー 偽りの隣人』がベルリン国際映画祭に出品され、好評を博した。
その黒沢監督がオールフランスロケ、外国人キャスト、全編フランス語のオリジナルストーリーで挑んだ初めての海外進出作品『ダゲレオタイプの女』。監督以外はキャストも含めすべてが現地スタッフの中、撮影は行われた。
主人公のひとりとも思えるほどにこだわり抜いたロケーション、不穏さを漂わせる空気さえ映し込んだような画面……。ホラーでいてヒューマンドラマ、ジャンルも、生死も、国境も超えた、まぎれもない黒沢印の新たな傑作が誕生した。

世界最古の写真撮影方法“ダゲレオタイプ”が引き寄せる愛と死。愛が命を削り、愛が幻影を見せ、愛が悲劇を呼ぶ。

ダゲレオタイプの写真家ステファンのアシスタントに偶然なったジャン。その撮影方法の不思議さに惹かれ、ダゲレオタイプのモデルを務めるステファンの娘マリーに恋心を募らせる。しかし、その撮影は「愛」だけではなく苦痛を伴うものだった……。芸術と愛情を混同したアーティストである写真家のエゴイスティックさ、父を慕いながらも拘束され続ける撮影と家を離れ自らの人生をつかみたいマリーの想い、撮影に魅了されながらもただマリーとともに生きたいジャンの願い、そして、自ら命を絶っていたステファンの妻の幻影……愛が命を削り、愛が幻影を見せ、愛が悲劇を呼ぶ。世界最古の撮影を通して交わされる愛の物語、愛から始まる取り返しのつかない悲劇。これまでにないクラシカルで端正なホラー・ラブロマンスが誕生した。

ヨーロッパを代表する名優たちによる豪華競演。黒沢世界を構築したグレゴワール・エッツェルの耽美な映画音楽。

主人公を演じるのはジャック・オディアール監督作品『預言者』でセザール賞の主演男優賞と有望若手男優賞をダブル受賞したほか数々の映画賞を受賞、アスガー・ファルハディ、ファティ・アキンなど名匠とのタッグが続く実力派俳優、タハール・ラヒム。ダゲレオタイプに魅かれ、やがて悲劇に飲まれる男、ジャンを存在感たっぷりに演じた。ジャンが恋心を抱くヒロインには『女っ気なし』で注目を集めた女優コンスタンス・ルソー。写真家の娘マリーを愛らしく、儚く、そして、魅力的に演じる。そして、ダルデンヌ兄弟作品で知られるオリヴィエ・グルメがダゲレオタイプの写真家ステファンの傲慢さと苦悩を体現し、さらには数々の名作に出演しているマチュー・アマルリックが脇を固めている。フランス映画界のみならず、世界の映画界を支える名優たちが競演し、『ダゲレオタイプの女』の世界を見事に形にした。
映画音楽を担当したのはデプレシャン監督作品で知られるグレゴワール・エッツェル。数々の映画音楽を手掛けてきたエッツェルが本作のためにアビーロードスタジオで映画音楽を収録、唯一無二の黒沢世界を美しく彩っている。

ストーリー
その撮影は永遠の命を与える愛。
パリ郊外、再開発中の街の一角、古い路地に佇む屋敷。
ジャンは、そこに住む気難しそうな中年の写真家ステファンの助手として働きはじめた。
「これこそが本来の写真だ!」等身大の銀板には、ドレスを着て空虚な表情を浮かべるステファンの娘マリーが写っている。ステファンは娘をモデルに、ダゲレオタイプという170年前の撮影方法を再現していたのだ。露光時間の長い撮影のため、動かぬように、手、腰、頭……と拘束器具で固定されていくマリー。
「今日の露光時間は70分だ!」ステファンの声が響く。

ダゲレオタイプの撮影は生きているものの息遣いさえも銀板に閉じ込めるかのようだ。
この屋敷ではかつてステファンの妻でマリーの母ドゥーニーズもダゲレオタイプのモデルをしていた。ドゥーニーズは今はもうこの世にいない。しかし彼女の姿は銀板に閉じ込められ、永遠を得たのだ。

ダゲレオタイプに魅入られたステファン。そんな芸術家の狂気を受け止めながらも、父から離れて自分自身の人生を手に入れたいマリー。そんな彼女に惹かれ、やがて共に生きたいと願うジャン。

ダゲレオタイプの撮影を通して、曖昧になっていく生と死の境界線。
3人のいびつな関係は、やがてある出来事をきっかけに思いもよらぬ方向へと動き出す――。

ダゲレオタイプ

世界最古の写真撮影方法。長時間の露光を必要とするため、人物を撮影する場合は長時間に渡り身体を拘束される。ネガを作らず、直接銀板に焼き付けるため、撮影した写真は世界にひとつしか残らない。「写真を撮るとは命を削り取ること」と思われるほど、モデルになる者は命がけで被写体になっていた。その撮影は被写体と撮影者の愛情交感であり、束縛でもある。

絶賛コメント、続々到着!!

写真撮影を通じて感情を相手に残すところがとても面白く、映画撮影でも我々俳優の気持ちが映ることを確信しました。
浅野忠信(俳優)

ひとの生の時間を奪い去る<写真>は、なんと罪深いことだろうか。美しい身体を借りた人形浄瑠璃。白昼の夢は、いつ果てるともなくつづく。
新井卓(写真家/ダゲレオタイピスト)

これは「はざま」の物語だ。光と影。愛と憎しみ。純粋と打算。彼岸と此岸。すべての「はざま」が混ざり合うとき、一つの悲劇が生まれる。
乃南アサ(作家)

女が階段から垂直に転落すれば、幽霊になるに決まっている。この小津と溝口の宿命的な融合を、二一世紀のフランスを舞台にあっけらかんと描いて見せる小癪なる黒沢清。
必見!!!
蓮實重彦(映画評論家)

圧倒的だ。芸術に取り憑かれた男は、そのために犠牲にした女にやがて取り憑かれる。それは女の復讐なのか、それとも愛なのか。
井上荒野(作家)

永遠に自分のところに留めておきたい、というエゴから逃れられない写真家のオブセッション。そのなかでしか見えない美しさがある。
川内倫子(写真家)

私がこの映画に興味をひかれるのは、全てが「移動できないことによる」悲劇を暗示しているからだ。こんな屋敷と温室にであれば、囚われてもいいのではないかと思わないでもないけれど。
楠本まき(漫画家)

一瞬を“永遠”に切り取る最古の撮影方法“ダゲレオタイプ”を通して交わされる、撮影者と被写体。まさに究極の愛の物語でした。
福島リラ(女優/モデル)

冒頭、彼の後ろ姿が屋敷に入った瞬間から、オレはひんやりと薄暗いトンネルを歩くような不安と緊張を抱き続けた…あの出口まで。
マギー(俳優/脚本家/演出家)

この映画を愛してる! 美しく、緻密。ジャンル映画であり、映画の歴史への讃歌であり、不安と緊張を抱き続けた…そしてまぎれもない黒沢清作品だ。
キャメロン・ベイリー
(トロント国際映画祭アーティスティック・ディレクター)

ヨーロッパの風景の中に「能」の世界を見た。死者と生者をここまで平等に描いたことに脱帽しました。黒沢監督はあらゆる境界を越えてしまう。
前川知大(劇作家/演出家)

「写真」というものには、どうしようもなく怖いところがある。時間を止め、生きているものを凍結保存する方法だからである。黒沢監督は、この怖い「写真」を「映画」という時間芸術によって、言わば墓場から甦らせる。そんな「映画」が怖くないわけがない。しかしその恐怖はじつに美しい。これは、恐怖の美学を熟知する監督の、「映画」による見事な「写真」論である。
森村泰昌(美術家)

1839年に発明が公表された世界最初の写真技法、ダゲレオタイプ。あたかも魔法の鏡に画像を映し出すようなその技法が現代に甦った。しかも等身大!そこに封じ込められたのは妙齢の美女だ。「永遠」を夢見る写真家の狂気が、じわじわと滲み出てくるように感じる。
飯沢耕太郎(写真評論家)

牡丹燈籠のお露と新三郎を見ている様でした。マリーが、どんどん美しくなってゆく怖さ、教会での謎解きが古典的で逆に新鮮でした。
林家正雀(噺家)

「写真に魂を抜かれる」というのは迷信なのだろうか。私たちは思う以上に、生死と愛憎の境界に生きているのかもしれない。
ブルボンヌ(女装パフォーマー/ライター)

静謐にして超常的。油絵の国に墨の繊細をにじませた藤田、怪談をエイリアンの眼差しで昇華させた八雲、東と西が往きかう処、また新しい愛の姿が立ち現われた。
エドツワキ(アーティスト)

ダゲレオタイプで写真を撮ることは脆く危うくも、魅きつけられる。この世でもっとも美しい愛のかたち。幻影か現実か、今やどちらでも良い。ここには永遠の愛があるのだから。
KIKI(モデル)

すべての情景が美しく、そのことがおぞましさを増幅させていく。人が死を愛していることはたくさんの映画が証明してきたが、この映画は人が死しか愛せないことを証明してしまった。
藤野可織(小説家)

まるで魔法だ!感動的で、素晴らしい演技、監督も素晴らしい!本当に驚いた!
VANITY FAIR(伊)

この映画は黒沢清監督にとって特別な意味を持つ作品だ。フランス映画だからではない。結果としてこの映画が、この稀代の映画作家の、もっとも純度の高い傑作となったからである。黒沢映画とは、つまりこれである。
佐々木敦(批評家)

黒沢監督ならではの「場所」の異様な空気は確かにホラーだが、自責や悲しみのあまり愛する人の残像にすがる人々の物語、とも。亡くした人と会話し、その姿を見るのは、ごく日常の出来事だと思う。
萩原麻理(映画ライター)

寺山修司は、「銀板写真(ダゲレオタイプ)には、死の匂いがある」と言った。“記憶を持った鏡”ともいえる銀板写真に永遠の命を感じ、その言葉を不思議に思ったものだ。 だが、黒沢清は、その両方を私に観せてくれた。
安藤紘平(映像作家/早稲田大学名誉教授)

いつもと違う国で、違う言葉で、芯は同じだが、味わいはまた違う。フランスであってフランスでなく、もちろん日本でもない、黒沢清の世界。ヒロインを写す銀板のように冷たいのに情熱的で、このうえなくロマンティックで美しい。
冨永由紀(映画ライター)

コンスタンス・ルソーが素晴らしい!この作品で彼女を発見できたことは大きな喜びだ。そして、常に素晴らしいタハール・ラヒムはこの作品でもやはり一級の演技を見せた。
LA WEEKLY(米)

これは「映像」という表現が「霊魂」という幻夢を呼び寄せるか否かをめぐる黒沢清でしかあり得ない悪魔的実験の映画である。それは、恐怖を通過して、われわれを「彼岸」に引きずり込むほどに美しい。
樋口尚文(映画評論家/映画監督)

黒沢清の映画は、どこかフランス映画的だと感じていた。欧州の情景と俳優が揃った本作により妄信は確信へと変わったが、同時に幽玄・幻影の世界は不変だった。つまり世界のどこにいても、黒沢清は黒沢清なのである。
松崎健夫(映画評論家)

死にも似た長時間の不動を相手に強いる草創期の写真術が、愛妻や愛娘を否応なく黄泉の側へと吸い寄せる。「愛する者」を永遠化する欲望の狂おしさと罪深さ。無傷のままでは抜けられない、美しく幽遠な怪奇幻想譚だ。
後藤岳史(フリーライター)

パリの日常風景と優麗でいてどこかミステリアスな館──二つの世界が独特の映像美でつながれ、登場人物それぞれの愛の形が綴られていく。KUROSAWA WORLDの醍醐味を、心ゆくまで味わえる一作。
L’OFFICIEL JAPAN




タハール・ラヒム(【映画評】消えた声が、その名を呼ぶ)、マチュー・アマルリック(【映画評】あの頃エッフェル塔の下で)とよく知っている顔が出演していたのでかなり期待しましたが、無理した言語の壁?伝える力に自信がないのか万事説明的過ぎて興醒め。質の悪い「シックスセンス」が延々流れるだけ。余りに引っ張りが長いので特別なオチがあるかと思えばそれで終わり。主演女優が可愛くないし、脚本が壊滅的に面白くない。水銀や筋弛緩剤以前に「ダゲレオ拘束具」とかいう最高にエロティックな小道具があるのに使わない。使えない。撮る人が違えばクローネンバーグの「戦慄の絆」並のスリリングホラーに化けたかもね。

黒沢清といい園子温といい、なんで箸にも棒にも掛からないハッタリ作品しか作れない御用監督が年に何本も新作公開出来るのかそちらに関心が。なんちゃってフランス映画撮ったアンジの方(【映画評】白い帽子の女)が格段にマシ。

満足度(5点満点)


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Posted by kingcurtis 固定リンクComments(1)映画 
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コメント
アワードとか受賞とか、格付けとか、タイアップ...「外面だけ」てんこ盛りにして権威で説得する。
選民意識で庶民を見下すマスコミは情報商材ビジネス屋やニセ科学商法と同じ。
持ち上げて安全パイに乗っかる商法。買収された配給会社や映画評論家の無能さがネットリポーターにより暴かれていくしか道はない。
Posted by 名無しさんはデマに苦しんでいます at 2016年11月28日 13:16
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