2016年11月04日
【映画評】奇蹟がくれた数式

無限の天才 新装版 ―夭逝の数学者・ラマヌジャン

天才数学者シュリニヴァーサ・ラマヌジャンの伝記映画。
毎度のことですが、邦題が変なのと(原題:The Man Who Knew Infinity)、なんでカルカッタのインド人親子が英語で会話するの?
イントロダクション
トロント国際映画祭でプレミア上映されたのち、アメリカ、イギリス両国の観客から愛されて、ミニシアター規模ながらスマッシュヒットを記録。それからもヨーロッパ、アジアを回りながら、喝采の輪をどこまでも広げ続けている感動作が、いよいよ日本にもやって来る。
1914年、イギリス。名門ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジのG・H・ハーディ教授は、当時イギリス植民地のインドから届いた1通の手紙に夢中になる。そこには著名な数学者である彼も驚く“発見”が記されていた。ハーディは差出人の事務員ラマヌジャンを大学に招聘する。ラマヌジャンは妻と離れることに胸を痛めながらも、研究を発表できる喜びに海を渡る。しかし、独学で数学を学んだため、学歴もなく身分も低いことから教授たちに拒絶され、頼りにしていたハーディも公式を証明することしか頭にない。
妻からの手紙も途絶え、孤独と闘いながらひたすら研究に身を捧げるラマヌジャンは、遂に命にかかわる重い病に倒れてしまう。ラマヌジャンを失うかもしれないと知ったハーディは、初めて彼への友情と尊敬の念に気付き、ラマヌジャンを救うために立ち上がる──。
第一次世界大戦下の激動の時代に、全てが正反対の二人が、文化と個性の違いに葛藤し、やがてそれを乗り越えて、かけがえのない絆で結ばれていく。歴史に名を残す二人の天才数学者が、今この時代に生きる私たちに、年齢や肌の色、生き方や信じるものが違っても、人は互いを思いやり、愛し合えることを教えてくれる。輝かしくも美しい二人の友情を描く涙の実話。
ハーディには、『運命の逆転』でアカデミー賞Rを受賞した、ジェレミー・アイアンズ。『リスボンに誘われて』などの良質なアート系作品から、『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』などハリウッドの超大作まで幅広くかつ国際的に活躍している英国きっての名優だ。感情を表現することが苦手で他人に心を閉ざして生きてきたが、ラマヌジャンと出会ってその才能と豊かな心に感銘を受け、自らを変えようとする英国紳士をエレガントかつチャーミングに演じた。
「ベートーヴェンの第10番交響曲の発見と同じ価値」と言われた“ラマヌジャン・ノート”が死後に発見され、今では“アインシュタイン並みの天才”と称えられる夭逝の数学者ラマヌジャンには、大ヒット作『スラムドッグ$ミリオネア』で数々の賞を受賞したデヴ・パテル。厳格な理論や緻密な計算からではなく、“直感”で新しい公式が際限なく浮かんだという、インドの神々から守られていたに違いない、神秘的な存在を見事に体現した。また、ハーディとラマヌジャンを兄のように見守るリトルウッドに、『裏切りのサーカス』の個性派俳優トビー・ジョーンズが扮している。
数学の知識が全くなくても楽しめると絶賛された原作「無限の天才─夭折の数学者・ラマヌジャン」を、さらに人間味あふれる脚本に仕上げ監督も務めたのは、作家として知られ、今後の活躍が期待される新鋭マシュー・ブラウン。
ハーディがラマヌジャンを招き寄せた、ケンブリッジ大学の最高峰トリニティ・カレッジでの撮影が実現、ニュートンの書物が展示されたレン図書館、彼が重力を発見したリンゴの木のある中庭などにカメラが分け入った。荘厳な知性の殿堂を舞台に、歴史を変える発見が成し遂げられるまでがドラマティックに再現される。さらに、インドのエキゾチックな寺院や壮大な自然を背景に、成功の裏に秘められた、ラマヌジャンの故郷を想う気持ちと、置いてきた妻への切ないほどの純愛を描き切った。
二人が発見し、証明した、人生で最も素晴らしいものとは? その答えが待つ心を揺さぶるラストをあなたに──。
ストーリー
遥か遠くの英植民地インドから、イギリスのケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで教授を務めるG・H・ハーディ(ジェレミー・アイアンズ)のもとに1通の手紙が届く。食事も忘れて手紙に没頭したハーディは、差出人のラマヌジャン(デヴ・パテル)を大学に招くと決める。そこには著名な数学者のハーディも驚く“発見”が記されていたのだ。
時は1914年。独学で学んできたラマヌジャンは、自分の研究を発表できる初めてのチャンスに胸を躍らせる。異教の地を嫌がる母には反対されるが、結婚したばかりの妻(デヴィカ・ビセ)は「私を呼び寄せるなら」と許してくれた。
カレッジに足を踏み入れた瞬間、崇高な空気に息をのむラマヌジャンを、ハーディの友人のリトルウッド教授(トビー・ジョーンズ)が温かく迎えてくれる。しかし、当のハーディは人付き合いが苦手で、ほとんど目も合わさず握手もせず、短い挨拶だけで消えてしまう。一方、他の教授たちは、学歴のないラマヌジャンに批判的だった。ハーディが称える素晴らしい“発見”も、論理的な“証明”がなければ、魔術や絵空事にすぎないのだ。
さっそくハーディはラマヌジャンに、証明の義務について説明する。だが、次々と“直感”で新しい公式が閃くラマヌジャンにとっては時間のムダに思えた。ハーディはそんなラマヌジャンをレン図書館へ連れて行き、成功すればニュートンの本の隣に君のノートも並ぶと励ます。さらにハーディは手本を示すために、代わりに証明してやったラマヌジャンの研究の一つをロンドン数学会の会報に発表する。
最初の発表を成し遂げたことに歓喜するラマヌジャンだが、第一次世界大戦に英国が参戦したことが、彼の運命に影を落としていく。厳格な菜食主義を支えていた市場の野菜は配給にまわされ、兵士たちに「俺たちは戦地へ行くのに」と暴力を振るわれる。さらに追い討ちをかけるように、妻からの便りが途絶える。
ラマヌジャンの忍耐が限界に達したのは、ハーディが彼の“直感”を否定した時だ。顔のアザや、やせ細った体に気付きもしないハーディに、ラマヌジャンは「信仰もない、家族の写真もない。先生は何者ですか?」と詰め寄る。口論の後、ラマヌジャンが徹夜で証明を一つ仕上げ表面上は和解するが、ラマヌジャンはさらに心を閉ざし、孤独に数字だけを追いかけるようになる。
ある日、ハーディのもとにラマヌジャンがロンドンの地下鉄に飛び込んだと電報が入る。運転士が気付き無事だったが、病院へ駆けつけたハーディは、ラマヌジャンが命にかかわる重い結核だと聞いて愕然とする。何としてもラマヌジャンの“奇跡”を世に出さなければ──ハーディは固く決意するのだが──。
エッセイ
天才インド人数学者と聞いて、どういう数学者を連想するだろうか?計算能力が異常に優れていて、複雑な数式をメモもなしに次々に黒板に書いていく、そんなイメージを持つ人が多いのではなかろうか。この映画の主人公、ラマヌジャンの研究成果には、確かに複雑に見える数式も多い。しかしラマヌジャンは必ずしも計算能力で突出していたわけではない。彼の数式は複雑だから尊いのではなく、むしろ人類がまだ気づいていない、深くて微妙な数学現象を、簡潔な公式や具体的な等式で表現して見せているから凄いのである。言わば数学の詩人のような数学者として、今もなお数学研究者にインスピレーションを与え続けているのだ。ラマヌジャン自身の言葉を借りれば、「神を表現しない数式は無意味だ」ということになる。
2、3、5、7、11、13、17、19、…というように、1とその数自身と、2つの数でしか割り切れないような数を、素数と呼ぶ。素数の現れかたは不規則で、現代の数学者をも悩ませる難問の宝庫である。
その素数についてのエピソードが映画に登場する。ラマヌジャンが初めてハーディの研究室を訪れた時にラマヌジャンがきりだした、素数の個数公式だ。上で見たとおり、20までの素数は8個ある。100までの素数は25個、一億までなら5761455個だ。ラマヌジャンの公式に20とか100とか一億とかの数を代入すると、これらの個数の近似値が出てくるのだ。「僕の公式はとても正確なので、一億を代入しても誤差は多分0、悪くても1か2くらいだ」とラマヌジャンは考えていた。不規則な素数の個数にそんな公式が見つかったら、大事件だ。ハーディに求められてラマヌジャンは公式の「証明」をつけたが、その証明はボロボロに間違っていて、公式の精度もそこまで良くはなかった。だがその間違いのほとんどは修復可能で、理屈は間違っていても言っていることはほぼ正しかった。本質的な誤りはただ一箇所だったのである。
誤解を恐れずに言えば、数学において正しいことを言うことはそれほど難しくはない。間違ってはいても、深い真実を含む言葉で数学を先に進ませる方が余程数学の才能が必要なのである。
映画に登場したもう一つの大事なエピソードは、分割数の話だ。4という数を自然数の和としてあらわす方法は、4、3+1、2+2、2+1+1、1+1+1+1の5通りで、これを「4の分割数は5である」という。5の分割数は7、6の分割数は11になる(チェックしてみてください)。この分割数の専門家がマックマーンで、映画にも出てきたが、ラマヌジャンを暗算勝負でよく打ち負かしていたという。その驚くべき計算能力で、マックマーンは分割数を200まで計算していた。暗算勝負では敗れたが、数学勝負ではラマヌジャンはマックマーンに圧勝した。
ハーディとの共同研究で、分割数を求める公式を編み出したのである。驚くべきは、その精度だ。例えば100をその公式に入れると、190569291.996となる。マックマーンが求めた正しい分割数1億9056万9292と比べると、誤差はわずか0.004で、四捨五入すれば分割数が正確にわかる。(映画で病床のラマヌジャンが「誤差は0.004です、私と共に葬らないでください」と口にしている。ちなみに、別の箇所でハーディが「100の分割数は20万4226」だと言っているが、これは誤り、20万4226は50の分割数である)。しかもこの公式は、大きい数を入れるほど、誤差が小さくなっていく。そのおかげで、1万を超える数の分割数(20桁を超える数になる)でも正確に計算ができるようになった。
日本では知る人にしか知られていないラマヌジャンだが、母国インドではアインシュタイン級の超有名人である。私がインドを訪れた機会に、ヒンズー寺院で遊んでいた子供達に、「この人誰だかわかる?」と写真を見せると、まだ小学校に入るか入らないかくらいの年なのに、みんなで声をそろえて「ラマヌジャーン、ラマヌジャーン!」と嬉しそうに叫んだ。マドラスの数学研究所でラマヌジャンのことを話題に出したら、翌日豪華なリムジンでラマヌジャン博物館へ連れて行かれた。
プロの数学研究者でラマヌジャンの名前を知らない者はいないだろう。だが、皆が皆ラマヌジャンの恩恵を直接こうむっているかというと、そんな研究者はごく少数だ。難しくて、まだ消化しきれていないのである。私だって、研究者仲間としてというよりは、天才数学魔術師のファンのつもりでこの文章を書いているのだ。
ラマヌジャンが発見した擬テータ関数はブラックホールの研究に登場し、整数論的な起源を持つタウ関数についての予想は、ラマヌジャングラフとして回線の切断に強いインターネット網の研究につながる。深い水脈を通って、ラマヌジャンの研究は今ようやく理解され、役立ち始めているのである。
木村俊一(きむら しゅんいち)
1963年生まれ。東京大学理学部数学科卒業。同大学院理学研究科修士課程修了。シカゴ大学にてPh.D取得。MIT、ユタ大学、ヴァージニア大学、マックス・プランク研究所などを経て、現在、広島大学院理学研究科教授。専門は代数幾何とおもしろ数学。著書に「数学の魔術師たち」(角川ソフィア文庫)他。
北風と太陽ではありませんが、「土方殺すにゃ刃物はいらぬ」の典型例でして、都々逸は「雨の三日も降ればいい」ですが、本作はハラムと嫁さんとの手紙やり取り。
本作で明示はありませんでしたがラマヌジャンは最上位カースト「バラモン」階級、故に宗教的食事制限が多過ぎ、豪華なケンブリッジ大学の学食を摂することができなかったというオチ。この辺が机以外の四足なら云々の華人と比し、インドタウンが世界中に伝播しない大きな理由なのかも。誤解を恐れずに申し上げると「カースト制度」という名の足枷。
満足度(5点満点)
☆☆☆
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コメント
> なんでカルカッタのインド人親子が英語で会話するの?
最上位カースト「バラモン」階級なら、考えられなくもない。
フィリピンで大地主階級がスペイン語で話すような感じで。
最上位カースト「バラモン」階級なら、考えられなくもない。
フィリピンで大地主階級がスペイン語で話すような感じで。
Posted by 名無しさんはデマに苦しんでいます at 2016年11月04日 16:27
ハーディとリトルウッド、バートランド・ラッセルといった人達の逸話を知ってるとさらに楽しめるかも。数学者っていうのは変わり者が多くて興味深い。
だから、ラマヌジャンの不幸も、バラモンの戒律とか、人種差別とかは二次的なものじゃないかという気がする。だって、インドの大学も卒業できてないわけだし。彼のパーソナリティなんじゃないかな?偉大な数学の才能と引き換えで。
日系の数学者でKen Onoっていうラマヌジャンに縁の深い人もいますね。
だから、ラマヌジャンの不幸も、バラモンの戒律とか、人種差別とかは二次的なものじゃないかという気がする。だって、インドの大学も卒業できてないわけだし。彼のパーソナリティなんじゃないかな?偉大な数学の才能と引き換えで。
日系の数学者でKen Onoっていうラマヌジャンに縁の深い人もいますね。
Posted by 名無しさんはデマに苦しんでいます at 2016年11月04日 21:33