2016年10月04日
【映画評】アンナとアントワーヌ 愛の前奏曲

アンナとアントワーヌ 愛の前奏曲(プレリュード)

インドを舞台とした大人のW不倫ラブロマンス。御大ルルーシュ&フランシス・レイによるフランス映画。
原題「Un plus une」がなんで「アンナとアントワーヌ 愛の前奏曲」に進化するのかさっぱり分かりませんが、原題通り往年の名作「男と女」セルフパロディみたいな位置付けなんでしょうね。バダバダダ♪
本日の1曲 「男と女」
イントロダクション
「男と女」 「愛と哀しみのボレロ」 クロード・ルルーシュ+フランシス・レイの名コンビが描く大人の恋愛模様“最終章”
カンヌ国際映画祭で最高賞に輝き、アカデミー賞R外国語映画賞と脚本賞をダブル受賞した恋愛映画の金字塔『男と女』から50年。男女の心の機微を描いた作品を数多く発表している恋愛映画の名手、クロード・ルルーシュと『ある愛の詩』のアカデミー賞R作曲賞をはじめとして世界中の音楽賞を受賞している名作曲家フランシス・レイ。出会ってから50年、長年タッグを組んできた名コンビが描くのは、大人の男と女の恋愛模様“最終章”。
全編インドロケ敢行。ルルーシュ監督を魅了したインドの景色にかきたてられる旅情。
「この映画は、映画らしい感動を大きなスクリーンで見せるために作られたもので、決して絵ハガキ的な観光映画じゃない。本当のインドを舞台に感動的なストーリーが見られるんだ」と主演のジャンが語るように、全編インドロケを敢行した本作には、75歳で初めてかの地を訪れたルルーシュ監督が魅了されたインドの風景が、あますところなく映し出されている。鮮やかなパワーみなぎる原色の都市ニューデリーから、南部の村ケーララまでの列車旅行。沐浴のために船を乗り継いで訪れたガンジス河から見える景色。あらゆるものが共存している雄大な生のインドに、スクリーンを観る私たちも思わず旅情をかきたてられてやまない。
「アーティスト」でアカデミー賞主演男優賞に輝いたジャン・デュジャルダンと演技派エルザ・ジルベルスタインが魅せる大人の恋のはじめ方。
映画音楽作曲家という役柄で、「フランシス・レイをはじめとする一緒に仕事をした音楽家を称えたかった」という監督の思いがこもった主演には、『アーティスト』でアカデミー賞R主演男優賞に輝いたジャン・デュジャルダン。充実した仕事をこなす、働き盛りの大人の男の色気あふれるアントワーヌを自然体で演じている。クリストファー・ランバートが貫禄たっぷりに演じるフランス大使から存分の愛を受け、全てを手に入れた女性に見えるアンナ役には、演技派のエルザ・ジルベルスタイン。ルルーシュ監督作品への出演を自ら志願した二人だけに、互いにパートナーがいながら出会ってしまった男と女が、少しずつ惹かれあっていく心の動きを、さりげない会話やまなざしで見事に繊細に表現している。まさにフランス映画のエスプリが詰まった会話と、あふれる旅情が相まって奏でる“愛の前奏曲”と言える大人の2時間を堪能してほしい。
ストーリー
ニューデリー〜ムンバイ〜ケーララへの2日間の列車旅行。異国情緒たっぷりのインドを舞台に、互いにパートナーのいる男と女は惹かれあう。美しい風景の中でつきない会話。恋の予感はやがて...
アントワーヌ(ジャン・デュジャルダン)は、映画音楽作曲家として成功を収め、美しい恋人アリス(アリス・ポル)との恋愛も順調で、今まで自分が作曲してきた映画の主人公のように、飄々とユーモアにあふれた人生を謳歌していた。そんな折、ボリウッド版『ロミオとジュリエット』作品の製作のためにインドを訪れた彼は、熱気あふれる大都市ニューデリーで行われた大使館のレセプションで、フランス大使の妻アンナ(エルザ・ジルベルスタイン)と出会う。
エリートで有能な夫(クリストファー・ランバート)の愛を一身に受けるアンナは、女性の幸せをすべて手に入れたかのような朗らかで魅力あふれる女性だった。異国の地で出会った二人は、すぐさま意気投合し、そこからつきない会話が始まるのだった。
やがて、弾む会話のなかで、大使夫妻には子供がなく、愛する夫との間に子供を授かりたいと願う彼女は、聖者アンマに会うためにインド南部の村まで旅に出かけるのだと言う。実はアントワーヌは、インドに来てからひどい頭痛に悩まされ、医者に精密検査を進められたところだった。
多忙を極めているアントワーヌは、気分転換としばしの休息を求めて、アンナを追って2日間の旅で出かけることを決めた―。
インタビュー
Claude Lelouch クロード・ルルーシュ
この映画がはじまったきっかけ
この映画は、様々な状況がうまい具合に重なり合って始まった。私が別のプロジェクトをやっていた時、エルザ・ジルベルスタインとジャン・デュジャルダンから電話をもらったんだ。2人が、ただ私と仕事をしたいと思っていることを知らせたかったという、それだけのものだった。そして、次にインドとの“啓示”のような出会いがあった。彼らとお互いに考えていることを話していくうちに、私好みのラブストーリーが浮かんできた。ジャンとエルザが私を突き動かしたんだよ。彼らは思いもよらないカップルになる可能性を秘めていた。お互いに違いすぎるからこそ、理想的なカップルになるはずだ、と。
ジャンとエルザのことを考えながら、私は大急ぎで脚本を書き上げた。2人は私の執筆作業を見守り、その工程を楽しんでいた。私は初めて“熱意ある要望”に応える形で映画を作り上げたんだ。
愛とインドと、コメディ
愛は人間にとって、一番の関心事だ。ラブストーリーほど満足感を味わえるものはないと同時に不快なものもない。つまり愛というのは混沌としたものであるがゆえに、驚くべき展開となる可能性があるんだ。事実、愛はこの映画の唯一のテーマだ。愛に限界はない。誰かが誰かを深く愛していても、別の人間を好きになることもあるということを描きたかった。私にとって愛とは、あらがうことのできない麻薬のようなものだ。 私はコメディを作りたかった。そしてそれ以上にラブストーリーの陳腐なパターンを打破したかったんだ。インドはこの作品のキー・キャラクターのひとつだ。ずっと私は、インドに行くべきだと言われ続けてきた。私の哲学や世界に対する物の見方や前向きな態度、映画に盛り込んだものを見て彼らはそう言っていたのだろうが、やっと75歳にして、かの地を訪れた。思っていたとおりの国だった。世界中を何度か旅したことあるが、私にとってあそこが一番美しい国だった。何よりも貧富の格差があるのが気になったが、合理的なものと不合理なものが共存しているのがいい。素晴らしい出会いだった。もっと早い時期にインドのことを知っていたら、すべての作品をインドで撮影していたかもしれないと思ったくらいだ。
撮影現場では
俳優たちの演じたストーリーに真実味がある限り、私は「カット」と言わなかった。そう、「カット」と言ったのは、嘘っぽく感じた時だけだ。セットでも滅多に「カット」と言わなかった。これ以上は無理があると思った時でも、彼らは迫真の演技を続けていたんだよ。 彼らは監督である私を観客の1人に変えてしまった。毎日、私は監督として現場に入り、指示を出していたが、その日の終わりには自分の映画の観客になってしまっていた。彼らはこの作品を見る将来の観客のように、私を笑わせ、泣かせ、心を動かした。才能のある俳優たちというのは素晴らしい。私は大好きだ。7週間ずっと、生のエンターテインメントを見させてもらい、ラブストーリーのドキュメンタリーを撮っているような気持ちで彼らを撮影したんだ。
音楽について
この映画では、音楽も非常に重要な位置を占めている。映画音楽作曲家というジャンのキャラクターを通して、『アンナとアントワーヌ 愛の前奏曲(ルビ:プレリュード)』では、幸運にも私が一緒に仕事をすることができた、すべての偉大な作曲家たちを称えている。この作品で喜びの再会を果たしたフランシス・レイはもとより、ミシェル・ルグランやクロード・ボリンもそうだ。私が彼らの音楽に魅了されたのは、知らず知らずのうちに体に染み込んでいたからだ。誰もどこで音楽が生まれたなんか知りようもない。音楽とは神自らの表現なんだよ。
お互いを追い求めること
アンナの役柄は、男のあらゆる悪い部分を持つこの見知らぬ男を魅了する。様々なことが彼女を悩ませかねないのだが、そのことがより魅力的に見えるんだ。相手はタフガイの生き残りのような男だ。そもそも彼は何よりも、自分のことと仕事のことしか考えていない。典型的な自己中心的な男だ。そんな彼がアンナに出会い、インドという土地柄が彼を変えていく。インドから帰ってきて変わらない人間はいないからね。あそこほど逆境を受け入れている場所はない。妬みというものがほとんどない土地だ。だから他の人間に目が行ってしまう。よくよく観察してみると、多くの魅力的な人々がいて、そして必要とされているのかが分かる。あの国は何が最も大事で尊いことなのかを教えてくれる。それはつまり度量の深さと正直さで、これが出会いを引き起こす背景なんだ。我々には運命なんて分からない。もし人生がチェスのように長く複雑なゲームだとするならば、我々は驚きに驚きを重ねながら成長するのかもしれない。男女の仲ほど興味深いものはない。この地上で最も美しい風景も単なるオマケにすぎない。素晴らしいラブストーリーは、どこででも起こり得る。内なる感情に目覚めるために、ガンジス川に入ったり、ヒマラヤ山脈に上る必要はないんだ。
アンマについて
この映画で体験したあらゆる奇跡の中でも、アンマとの出会いは最高のものだ。周りの人たちを抱擁して、愛を振りまいている彼女の話を小耳にはさみ、素晴らしいアイデアだと思った。私は彼女が生まれた南インドのケーララに出向いた。彼女は毎日、数百人の人間を抱きしめているが、1人として同じ気持ちにはならない。それぞれが別々の人生を抱えてやって来るからね。私は数時間滞在して、彼女を見ながら、映画に収められないかと考えた。アンマには神々しさがある。私は人生で数千人と出会ってきたが、彼女は最も印象深い人の1人だ。 私は彼女にもジャンにもエルザにも演技を求めなかった。まるでカメラ抜きで彼女に会いに来たというように、2人はアンマに会ったんだ。アンマと俳優たちからかなり離れた所にカメラを置き、長焦点の望遠レンズを使ってニュース映像のようなアップで撮影した。私はニュース記者としてキャリアをスタートさせたんだが、映画監督になってから、そのテクニックを使える機会を伺っていたんだよ。だから私は俳優だけをアンマのところに行かせた。何か起こるかもしれないと考えてね。それはすごい光景だったよ。
人生を謳歌することについて
私が愛してやまないことが2つある。それは人生と映画だ。映画が私に人々が人生を謳歌できるようなものを作らせてくれる。この世の怖さを痛いほど分かっていても、私は世界を愛している。だから多くの人にも愛してほしいんだ。ネガティブなものがポジティブなものより、重要になってきている世の中に私たちは生きている。悪いニュースがいいニュースを凌駕している世の中だ。でも映画を1本作るたびに、どうしたら人々がこの世の中を、より好きになってくれるかを考えてきた。私は映画の持つ力が人の心を2時間で変えられると信じている。私は人生を賭けて、俳優や脚本やカメラを開放するよう努めてきた。そしてこの映画には、50年間の私の思いを盛り込んだんだ。自分のデビュー作のように、存分に楽しんでこの映画を作ったことは確かだ。
※文中の役名
アントワーヌ役/ジャン・デュジャルダン
アンナ役/エルザ・ジルベルスタイン
「グレイストーク 」「サブウェイ」が印象深いクリストファー・ランバート超久し振りに拝見しましたが、完全にお爺さんなんですね。。
主役のお二人がとってもチャーミングですが、(それがフランスの標準的倫理観なのか存じませんが)愛する夫の子宝祈願巡礼中に他人棒の子種を平然と流し込むなどやっていることは年甲斐もなき支離滅裂さで(不倫を夫に告白して許してもらうのよ。とか軽く死ねます)、フランシス・レイの美しい劇伴と大人の男女によるエスプリ効いた会話劇を楽しむだけの映画。全般的にもう少しエロに振ったらNTR好事家があちこちから涙を流して喜びそうな映画になっていたかも。空港着後の不倫疑惑詰問シーンは非常に面白かったです。実写版2ちゃんねるまとめサイト状態。車のガラス越しでお互いの顔を見つめる描写は「君の名は」瀧くんと三葉ちゃんが電車の車窓越しで対面するシーンを彷彿しますよね。
全体構成のみならずフランス人が想い描く「スピリチュアルなアジア」描写もガバガバでして、映画代の半分は「アンマ」ドキュメンタリーとして見れば精神衛生上宜しいかと。
満足度(5点満点)
☆☆
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コメント
沐浴シーンで引くわ。下痢するんじゃね?
Posted by 名無しさんはデマに苦しんでいます at 2016年10月04日 12:07