2014年06月04日

マスコミの電気窃盗・民家不法侵入等の迷惑取材で多数の消防団員・警察官・タクシー運転手が犠牲となった「雲仙普賢岳火砕流」23回目の追悼式

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大火砕流に消ゆ―雲仙普賢岳・報道陣20名の死が遺したもの (新風舎文庫)
大火砕流に消ゆ―雲仙普賢岳・報道陣20名の死が遺したもの (新風舎文庫)

ご冥福をお祈りします。

普賢岳大火砕流から23年 島原で追悼行事 : 最新ニュース : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

 43人の死者・行方不明者を出した1991年6月の長崎県雲仙・普賢岳の大火砕流の発生から、3日で23年を迎えた。この日を「いのりの日」と定める同県島原市では、追悼行事が営まれた。

 被災者の移転先となった同市仁田町の「噴火災害犠牲者追悼之碑」の前には、献花所が設けられ、朝から遺族や市民らが白菊の花を手向けた。発生当時の市長だった鐘ヶ江管一さん(83)も出席。「亡くなった消防団員たちとは兄弟みたいな仲で、23年間一度も忘れたことはなかった。『熱かったろう、苦しかったろう。皆の気持ちを継いでいきます』と語りかけました」と声を詰まらせながら話した。

 91年6月3日の大火砕流では、消防団員12人、警察官2人、住民6人、タクシー運転手4人、火山学者3人、報道関係者16人が犠牲となった。発生時刻の午後4時8分には、防災無線を通じてサイレンが鳴り、市民が黙とうをささげる。

2014年06月03日 Copyright c The Yomiuri Shimbun




他人ごとのような日本テレビ。

雲仙・普賢岳の大火砕流から23年 追悼式 | 日テレNEWS24
< 2014年6月3日 18:46 >

 43人が犠牲となった長崎県の雲仙・普賢岳の大火砕流から丸23年を迎えた3日、被災地の同県島原市では追悼行事が営まれた。

 「いのりの日」の3日、被災者が暮らす団地には献花台が設置され、市の職員や市民らが犠牲者に花をささげた。1991年6月3日、普賢岳のふもとを襲った大火砕流では、消防団員や報道関係者ら43人が犠牲になった。

 当時、消防団の詰め所となっていた農業研修所跡では遺族らによる追悼式が営まれた。大火砕流が発生した午後4時8分、参列者は災害の記憶と教訓を後世に語り継いでいくことを誓った。




雲仙岳 - Wikipedia

1991年6月3日の火砕流
特に大規模な人的被害をもたらしたのは1991年(平成3年)6月3日午後4時8分に発生した火砕流であり、取材に当たっていた報道関係者16名(アルバイト学生含む)、火山学者ら4名(クラフト夫妻と案内役、アメリカ地質調査所のハリー・グリッケン(en:Harry Glicken))、警戒に当たっていた消防団員12名、報道関係者に同行したタクシー運転手4名、警察官2名、選挙ポスター掲示板撤去作業中の職員2名、農作業中の住民4名の合わせて43名の死者・行方不明者と9名の負傷者を出す惨事となった。

避難勧告区域に勝手に入り込み取材を続けた報道関係者に傭車され独断で避難できなかったタクシー運転手、報道関係者が民家に無断で侵入し、コンセントの電気を無断で使用する等したため、これを警戒すべく一旦後方に下がりながらも再度進出せざるを得なくなった消防団員、警察官が、それぞれ巻き込まれる形で殉職した。被害は、報道関係者が無視した避難勧告区域に収まっていた。消防団員のほとんどが地元農家の跡取り息子だったため、その後の農業復興に甚大な被害をもたらした[6]。この火砕流以降、島原市など地元自治体は強制力を伴う警戒区域を設定し最大11,000人が避難生活を余儀なくされたが、以降の犠牲者は1名に抑えられている。被災地域では噴火活動の終息に伴い堤防や地面のかさ上げ工事を実施し一部地域を除いて住民が再び住める環境が整えられた。

なお、火砕流で死亡した日本テレビのカメラマンが使用していた業務用ビデオカメラが、2005年(平成17年)6月になって発見された。カメラは火砕流による高熱で溶解し高度に破損していたが、内部のテープを取り出し修復することに成功した。ビデオには、火砕流が襲来する直前まで取材を続ける記者らの姿や音声が記録されていた。この映像は、同年10月16日に「NNNドキュメント'05 解かれた封印 雲仙大火砕流378秒の遺言」として放送され、現在では溶けたカメラと共に雲仙岳災害記念館に展示されている。



報道について
被害の背景には、当初発生した小さな火砕流が衝撃的だったことから取材競争が過熱し、十分な知識を持たない報道関係者が、取材のため避難勧告地域内の「定点」と呼ばれた山と火砕流を正面から望める地点に入ったことがある。これにより報道関係者は消防・警察も立ち入らない危険地帯に多く滞在することとなった。また一部の報道関係者が、避難して無人となった人家に不法侵入するなどしていたため、不安を憶えた地元住民が住居に帰ったり、命令を受けた消防団員、警察官が事件再発を防ぐために設けられた警戒本部に出動させられた。結果、火砕流は「定点」に居座った報道陣のみならず、消防団員、警察官、地元住民を飲み込んで犠牲者を出すことになった[6]。

上記の行為について、2011年6月5日に雲仙市で開かれた「2011雲仙集会」(新聞労連、長崎マスコミ・文化共闘会議など主催)の中で、日本テレビの谷原和憲映像取材部長は「土石流撮影用の無人カメラを設置するため、外に電源があった家から電気を引いた。住んでいる人の許可を得ようと断り書きのメモを置き、避難所を探し回ったが、見つけられなかった」と弁解した。

犠牲者発生以降の6月7日に災害対策基本法に基づく警戒区域が設定され、無許可の立ち入りが禁止された。これ以降は報道関係者が警戒区域内に入ることはほとんど無かったが、その後も自衛隊の情報独占に不満があると主張するジャーナリストらが許可なく警戒区域内に侵入し書類送検される事例もあり、報道のあり方が問われる事件となった。

大火砕流から3日後の6月6日に陸上自衛隊のV-107が各社報道関係者を取材搭乗させたが、火山灰によるエンジントラブルのために、たばこ畑に緊急着陸(不時着)する結果となった。朝日新聞社のベテラン常原機長の証言によると「上空からハンディ無線で記者を安全な方向に誘導して、各社報道陣は駆け足で水無川河川敷の安全地帯まで逃げ、全員火砕流には遭遇せず全員無事であった。」との証言を得た。

消防団員
消防団はあんな所まで行く必要はなかった。下に避難しとったんだ。それをテレビ局が 留守宅に入り込んだんで、しかたなく戻ったんだ。おたくらは仕事だ。給料もらってんだろ。うちらは奉仕よ。何が報道の自由だ。 あんたらさえいなければ、被害は半分もなかった

島原警察署 上野松造次長
モラルの低下もあったし、危険なのでマスコミには下がってほしいと何度もいった。 自分の命は自分で守るなどといっていた記者さんもおったが、記者を避難させようとして 巻き込まれた者もおるとです

島原市災害対策本部 林田正生市民課長 59
ある地区で、雨で土石流の危険が増して避難しようとしているところを、泥のついた靴のまま 板張りの部屋へ上がりこんできて撮影した社があり、地区全体がマスコミ嫌いになったということもありました

死亡したマスコミ関係者は毎日新聞、テレビ長崎、日本テレビ、NHK、九州朝日放送(及びバイトの福大生)、テレビ朝日、日本経済新聞、読売新聞、雑誌記者。そしてそれぞれがチャーターしたタクシー運転手、マスコミに危険を告げに現場へ走った長崎県警機動隊員、マスコミを護った消防団員多数が犠牲となりました。立入禁止エリアで。

kasairyu




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コメント
やはり取り上げて下さいましたね‥。
警察、消防、タクシー運転手方々のお話。

黙祷。
Posted by 名無し at 2014年06月04日 16:08
お悔やみ申し上げます。
アフィのレビューの人みたいにその対象に記者は含めたくないけどそれはそれ。
>弁解した
言葉だけしかない言い訳ほど醜い‥そしてこの時から進歩ゼロですな。

別のエントリでメディアという主語を書き忘れた※の続きで言うならやはり何らかの枠か鍵を責任という形であの連中にはめこむべきじゃないかなあ。
自分の正義に他人を巻き込んだ時点で3流なんですよね。
支倉川とメンタル変わらないし癖は直らないのでまーた某会社の未公開株の某センセイみたいに周囲に大迷惑掛けるのが目に浮かぶ。
Posted by 五月雨祭 at 2014年06月04日 18:25
巻き込まれなくてもよい方々でしたからね。

小さなお子さんを残し亡くなられた方もいたと聞きました。少ししか思い出をつくれず無念だったことでしょう。

いつも感じるのは、戦場などの写真が何かの賞を受賞すると虚しさ。何の為の取材なのかなと。賞が悪いのではないですが、人の命を助ける為に伝えて欲しい。

Posted by ナナシー at 2014年06月04日 20:40
1ヶ月前の連休に南西側から車で温泉に向かう途中

何だか熱さを感じたから車を降りて地面を触ったら

わあ〜、熱い!

これはヤバイな、と思いました。


最初の頃の映像に、溶岩流!?に呑み込まれる方が

映っていませんでしたか?
Posted by かわいそう at 2014年06月04日 22:34
マスゴミ関係ではないが暴露話
実は大火砕流のあった場所あたりに惨劇が起きる
数日前、某国立大学の土木科(差しさわりがあるので大学名は伏せる)の学生が教授の命令で調査に向かっていたとのこと。その数日後にこの事件、かの教授いわく「あやうく学生殺すところだった・・・」らしい。
ソースは実際に行った学生本人・・・・。
Posted by ブラックボックステスター at 2014年06月05日 01:19
 テレビの取材で、ガイドとして雇われることがあるが、「金払っているから」と、僕に対して言うのは割り切っているので我慢出来るが、現地人に直接言わないけれど、態度でばれるよ・・・。ガイドに金払っているから、現地でのトラブルは「ガイドが解決しろ」とばかりに、盗電くらいはするだろうね。
Posted by 漁師 at 2014年06月05日 10:47
よほど気を付けていないと自分の身を危うくしてしまうということですね。学生は断れなかっただろうし、また後々の仕事の依頼を考えると断れないですよね。メディアをサポートされる皆さんの安全を祈らずにはおれません。
Posted by ななし at 2014年06月05日 11:52
>以降の犠牲者は1名


これ、なにやったんですかね?
Posted by んんー at 2014年06月05日 13:02
以降の犠牲者一名、Wikipediaにしかなくわからなかったですが、後で危険区域に入った報道でもいたのでしょうか。それとも助けに行ったのか。
Posted by N at 2014年06月05日 16:21
こういう事は忘れてはいけないですね。語り継ぐべき事です。エガショーの著作などのように美談にしてはいけません。
Posted by ブルー at 2014年06月05日 21:53
毎年6月3日に掲載するべし。
メディアは報道しないだろうから、これからも同じ事が起こりうる‥皆さん、余り無理しないでね。
Posted by ななし at 2014年06月06日 19:41
報道されないことはこうしたブログ等から知るしかないですからね・・・。伝える側に問題があるとテレビの視聴者にそのままの予測立てさせてしまいますね。誤報謝罪は小さいし(スミマセン)。
Posted by エヘ at 2014年06月06日 23:15
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