2014年03月23日

【LEADERS リーダーズ】「住友銀行」つぶやきが急増した理由とは?

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豊田喜一郎―夜明けへの挑戦 (人物文庫)
豊田喜一郎―夜明けへの挑戦 (人物文庫)

知れば知るほど吐き気を催し不買運動必至な民放禁断ドラマ「空飛ぶタイヤ」エントリーを上梓するタイミングを図ってるのですが、とりあえず番組内で流れる三井住友海上CMが意味不明。

2夜連続大型ドラマ『LEADERS リーダーズ』| TBSテレビ


















住友銀行 - Wikipedia

終戦と財閥解体-大阪銀行

終戦直後の日本では、半年で物価が2倍以上に騰貴するようなインフレーションが進行したため、政府は1946年2月、金融緊急措置令、日本銀行券預入令、臨時財産調査令等を公布し、預金封鎖と新円への切り替えを実施したが、換物思想(ハイパーインフレ下では、インフレ率が預金金利を上回るため、銀行預金より現物資産が有利である)が優先し、金融機関の経営は困難を極めた。そうした混乱の中、1945年11月には、GHQ(連合国軍総司令部)による財閥解体方針が出され、住友本社は解散を余儀なくされるとともに、1948年には同行も行名を大阪銀行と改めた[1]うえで再出発することとなった。

その後、経済が安定から復興へと進む中で同行は、預貸金の拡充、店舗網の整備、外国業務再開など業務の立て直しを進めていたが、1952年4月のサンフランシスコ平和条約発効に伴い、行名を住友銀行に復帰。堅実経営、精鋭主義を掲げ業績発展に取り組んでいった。行名の書体(現代で言うロゴタイプ)は伊藤東海が書したもので、1986年3月まで使用された。

この時代、後々に残る痛恨事として、トヨタ自動車との関係がある。戦後の1950年、ドッジ・ラインに伴うデフレにより、トヨタ自動車は経営危機に陥った。トヨタの倒産は東海経済に危機的状況をもたらすと判断した日銀名古屋支店・高梨壮夫支店長(後に日銀理事)の斡旋により、当時の社長豊田喜一郎は辞任し、帝国銀行(後の三井銀行)・東海銀行を中心とする銀行団の緊急融資の条件として、販売強化のためにトヨタ自動車販売株式会社が設立される再建策が決定された。

しかし、当時、帝銀・東海と共に主力銀行の一つであった住友銀行(当時は大阪銀行)は、「機屋[2]に貸せても、鍛冶屋には貸せない」とにべもなく峻拒、貸出金の回収に走り取引を打ち切った。当時、トヨタとの取引銀行は都銀・地銀含め25行あったが、取引を断絶したのは住銀のみである[3]。この交渉過程での心労がたたったのか、豊田喜一郎は1952年3月に急逝した。

その後、朝鮮戦争勃発による特需景気をきっかけに、トヨタ自動車は順調に経営再建を果たし日本を代表する製造業となった。再建策をまとめた高梨・日銀名古屋支店長は後に日銀理事を経て、トヨタの強い推薦で日本自動車連盟初代会長に招かれた。また、帝銀の支援をきっかけにトヨタは三井グループ入りすることになる(もっとも、豊田家と三井家は経営危機以前より縁戚関係にあった)。反面、取引を断絶した住銀に対しては、石田退三や歴代のトヨタ社長が取引再開を許さず、加えて名古屋を中心とする東海経済界では”住銀はいざとなったら頼りにならない”との風評が広がり、同地で住銀が苦戦する遠因となった。

なおトヨタの経営危機から15年後の1965年、当時業界6位で経営危機に瀕していたプリンス自動車に対して、同社のメインバンクである住銀・堀田庄三頭取は小川邦彦専務をプリンス自動車社長に派遣し、トヨタへの救済合併と取引再開を画策した。しかし、当時のトヨタ会長石田退三は「鍛冶屋の私どもでは不都合でしょうから」とこれを拒否している。15年前の経営危機の際、喜一郎が緊急融資に駆けずり回る中、「機屋に貸せても、鍛冶屋には貸せない」と言い放ったのが、他ならぬ当時の住銀名古屋支店長・小川であり、融資担当常務・堀田であった(プリンス自動車は1966年、日産自動車に吸収された)。

トヨタ自動車と住友銀行との取引再開が本格化するのは、三井銀行の後身さくら銀行との合併により三井住友銀行(存続会社は住銀)が発足してからである。




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コメント
なんだなんだ

あたいが、ちょいと前の記事に書いたドラマの嘘を理解している連中は居ないのか?

Posted by 僕クネクネ〜 at 2014年03月24日 22:54
今は業界2位の上場企業、数十年前は新興勢力なYという企業の話。

当時強大なD(今は消滅)という流通大手の度重なる理不尽な要求に、創業者が激怒→取引拒否。
Dによる風説の流布を食らい、一部の納入業者によるYへの商品回収騒ぎが発生。
取引銀行と良心的な納入業者によりなんとか復活→バブル突入しY急成長。
当時回収したメーカーは冷遇され波に乗り切れず苦戦(商品は良かったけど)
いい商品を推せないのをお互いに苦悩しつつ、とことん苦しめる。

っていうのをリアルタイムに中で見た、ちなみにトヨタべったりの企業。
得意先社長にクラウン乗ってもらうと営業ランクが上昇するってのが印象深かった。
ちなみに東京の企業で取引銀行はお察しw
Posted by 名無しのクネクネ at 2014年03月24日 23:11
これとは逆の逸話として、
『ホンダと三菱銀行』なんてのもありましたね。
(二番目の本にも載っているはず)

話は変わって。
現在の所謂メガバンクの原型である都市銀行なんてのがあってだな…
と言ったら、歳がバレるかな?
Posted by 熊蔵 at 2014年03月25日 08:04
 今の「IT企業」て表現と同じでいかがわしい商売だったて事ではと・・・。バブル期、消費税対応てのがあって、オフコン全盛期。情報処理資格が出来て、コンピュータの専門学校が乱立。当時も今も、板前、ガソリンスタンド店員、プログラマってのは、いつでも始められて、いつでも辞められる商売の代表。クレジットカードなんか滅多に作れない。つまるところ黎明期の日本の自動車産業だってそう。サムソる(デットコピー)って韓国の事を笑ってられない状態の企業に金貸すってリスクが高い。ライブ○アや楽○に金貸すのと同じ。
Posted by 漁師 at 2014年03月25日 10:34
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