2014年01月06日

【人民日報】鬼神参拝アベシンゾー・マネーに目がくらみ義理を捨てた日帝犠牲者400万人インドネシア←朝日ソース?犠牲者200万人ベトナム←共同ソース?は恥を知れ!

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大東亜戦争とインドネシア―日本の軍政
大東亜戦争とインドネシア―日本の軍政

敵は中国人民日報でなく、俺たちの朝日新聞と共同通信であったというオチ。

「安倍の太平洋鬼神参拝、東南アジアはなぜ声を出さないのか」…中国人民日報が非難
中央日報日本語版 1月6日(月)10時40分配信

「お金に目がくらんで“正義”を見失っている」。「成熟した主権国とは見なしがたい」。中国共産党機関紙が、靖国神社参拝に続いて南太平洋諸島の慰霊碑参拝計画を明らかにした安倍晋三日本首相に沈黙する東南アジア諸国を強く非難した。

人民日報海外版は4日、「東南アジア、あなたはなぜ安倍に対し、秋のセミのように声も出せないのか」と題した記事を掲載した記事は「安倍首相が昨年12月26日に靖国神社を参拝し、“宣戦布告”のような新年の言葉でも足りず、2年以内に太平洋諸島を訪問して亡霊を参拝する計画を明らかにした」とし「これは安倍が国内の“鬼神参拝”では足りず、海外でも“鬼神参拝”をするという意味」と報じた。

安倍首相の動きに東南アジア諸国は沈黙で一貫している。ベトナム外務省が「日本が地域の平和と安定のために関係国と協力し、問題を処理することを希望する」とあいまいに発表したのが唯一の公式反応だ。

中国社会科学院日本研究所の高洪研究員は「戦後、日本は政府開発援助(ODA)方式でお金をばらまき、東南アジア諸国を味方に引き込んだ」とし「利益に目がくらみ義理を捨てた(見利忘義)という言葉は、フィリピンのような国に対しては少しも言い過ぎでない」と直接的に批判した。

中国外交学院の周永生教授も「安倍首相は中国脅威論を強調しながら、東南アジア諸国に海洋巡視艇を提供するなど、南中国海(南シナ海)で中国を包囲している」と述べた。周永生教授は「日本が東南アジアに提供する経済援助のうち無償援助は全体の10%にすぎないが、東南アジア諸国は金脈が途切れる冒険を望まない」と分析した。

日本が公開した資料によると、第2次世界大戦当時、日本軍はインドネシアで400万人、ベトナムで200万人、フィリピンで111万人、ミャンマーで30万人、シンガポールで15万人を殺害した。匿名の専門家は、西側の長い植民支配に続き日本植民地を経験した東南アジア諸国について、「日本の占領期間が比較的短かったため、,現地人は日本をむしろ解放者と認識している」と述べた。

「安倍の太平洋鬼神参拝、東南アジアはなぜ声を出さないのか」

裏は取れませんが、こういう情報あり。

増加する犠牲者数  ( 脱・洗脳史講座 )

 日本とインドネシアとの間で万単位の死者がでるような戦闘などなかったはずです。「ビルマ地獄、ジャワ極楽、マニラ享楽」と当時いわれていたことですし、それに日本の敗戦後、「2000人の日本将兵」 が残留し、死者1000人近い犠牲を払いながらインドネシア独立のためにインドネシア人とともにオランダ軍と戦ったのです。この事実と400万人という膨大な犠牲者数とどう整合するというのでしょうか。

 それにしても、4年経た検定で一挙に400万人へと倍増するに至っては、そのメチャクチャぶりは呆れるばかり、教科書というより宣 伝 文 書 と呼ぶ方が当を得ていると思わざるを得ません。またこれが検定を通るのです。

 何を根拠にこのような数字が出、検定を通ったのでしょうか。ここに、とんでもないカラクリ というかまやかしがあるのです。それは「ロームシャ」 (労務者)に関する問題との意識的ともいえる混同です。
 労務者の数について、1985(昭和60)年8月15日付け朝日新聞社説「過去を直視し未来へ生かそう」のなかで、 〈 日本側関係者の推定では14万〜16万人、あるいは22万余人とされるが、戦後の賠償交渉の際に、インドネシア側は400万人 と主張した 〉 と記しています。

 つまり、400万人という数は、インドネシアが賠償交渉の席上で主張した労務者数 というわけです。
 「ロームシャ」は日本軍の道路、橋、飛行場などの建設工事に狩り出され、その結果、400万人もの命が奪われたのだと日本の教科書は教えるわけですが、インドネシアの教科書は、これらの結果、「何千人ものロームシャ」 が世を去ったと記してあるそうです。


ベトナムはこちら。
ベトナム「200万人餓死事件」  ( 脱・洗脳史講座 )

共同通信が入手 した報告書は、同省が1986〜87年 にフランス統治下の公文書、新聞記事などを基にまとめたもので、旧日本軍の食料、資産調達を詳細に再現するとともに「日本軍は指示に従わない住民を野蛮な拷問にかけた」として、その非人道的行為を糾弾している。この種の資料が明らかになったのは初めて。

 報告書によると、(19)40年9月にフランス領インドシナ(現ベトナム)に進駐した旧日本軍は、その年の3ヵ月間だけで46万8千トンのコメを調達、44年までに計約355万トンを調達した。当時、北部デルタで収穫される夏・秋米は、毎年、約108万トンとされており、年によってはほぼその全量を旧日本軍が調達したことになる。

 この結果、冬・春米の収穫を加えても、44年11月から45年5月までの間、北部デルタの住民約1千万人に残されたコメはわずか95万トン。「これは750万人が辛うじて飢えをしのぐだけの量で、国内での食料輸送も厳しく制限された200万人以上が餓死した 」 としている。

(中略)

この餓死の問題について、高山記者を案内したハノイ人民幹部は、「政治宣伝だった」 とアッサリ認めたというのです。
〈 あの当時、ハノイ大洪水と干ばつに交互に見舞われ、多くの餓死者がでた。それを時期的に合うので日本軍と結び付けた。ただ、南の穀倉地帯との鉄道が連合国軍の爆撃で途絶えがちだったことも確かで、だから日本にも50万、いや5万ぐらいの責任はあったはずだ。〉

 またこの飢餓のなか、「日本軍は仏植民地政府から食料を買い、われわれが街角で炊き出しをして市民に配ったものです」という落合茂・ハノイ高射砲部隊兵長 などの証言も紹介されていました。


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日本軍によって数々の虐殺事件があったといわれる、戦時下のインドネシア。「スマトラの防空壕での労務者虐殺」「東ティモールでの住民虐殺」…「西ボルネオ(蘭領)での桁違いな虐殺数」など。いずれもが虚妄に満ちたものである。その誤った言い伝えを元産経新聞ジャカルタ支局長が長年の取材を通じて真実に迫った。
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日本敗戦後、オランダとのインドネシア独立戦争に身を投じた元日本兵たち。彼らはなぜ、帰国しなかったのか。“英雄譚”としてでなく、“悲劇の主人公”としてでなく、残留日本兵の等身大の姿を、徹底的なフィールドワークと貴重な一次史料の駆使によって初めて描き出す。歴史の闇を照射し、日本人の歴史観の変転を促す画期的論考。
by ヨメレバ








コメント
 仕事先の外国で、マグロ船漁船員の、インドネシア、ベトナム、フィリピン、ミャンマー、ラオス、タイの方達と接する機会があるが、僕が日本人だと解るとやたら人なつっこく寄ってくるよ。中国と戦争をしていたと言うが、現在のアフガニスタンや、イラクと同じく、軍閥が群雄割拠したテロとの戦いをしていただけ(この点においては、アメリカの対アフガン、イラク戦争は日本には助かっている。テロとの戦いは「あり」になったから)だけで、中国とは戦争してないんだよな。インドネシアなんかでも、インドネシア人と戦争をしたのではなくて、インドネシアを支配していたオランダ人と戦っただけ。シンガポールやマレーシアの華僑虐殺と呼ばれる行為は、当時イギリスから連れて来られた華僑はイギリスから現場監督の職を得ていたのでイギリスのために対日テロ行為をしていたからスパイとして処刑されただけだよ
Posted by 漁師 at 2014年01月06日 18:23
 利益に目がくらみ?
 なら日本と国交を結ぶばかりか、あろうことか「平和友好条約」など結んじゃったおたくのかつての指導者たちはなぜ叩かないの?
 彼らを叩かないで東南アジア諸国の指導者を叩くなどそれこそあんたらのアジア蔑視拝金主義そのものではないか?
 東南アジアもアメリカも日中間に戦争が起きてほしくない一心なんだよ。それなのに戦区だなんだと日本と臨戦態勢なんてどうしたものか?
 それがわからんのか?
Posted by   at 2014年01月06日 21:21
私の知ってる越南留学生のエリートさんは、
ベ平連崩れのいまだ社民党支持のガチプロ市民の家に数年ホームステイしてるんですけど、
でも、そのベトナム人、
朝日とか毎日のことは嘲笑してますよ。
「アメリカ以下の街宣新聞、一読の価値もなし」
ってね。
Posted by んんー at 2014年01月06日 22:45
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