2013年12月29日
金城哲夫研究会の一会員「ウルトラマンアフェを削除しろなどと野暮なことは言いませんがね」当ブログ「とりあえずこの紙読んで質問してください。はい、次の人」

小説ウルトラマン (ちくま文庫)

こちらの続き。
【メディアによる沖縄人差別】TBS執行役員金平茂紀さん「知事は日本国民として常識的な日本語能力をお持ちですか?」仲井真「とりあえずこの紙読んで質問してください。はい、次の人」
金城哲夫研究会の一会員
何故アフェが「ウルトラマン」なのかという疑問があります。
関連は放送局がTBSという所なんでしょうか?
ウルトラマンの自虐史観的な部分は佐々木守と実相寺昭雄の仕業だと言う研究や証言もあり(広めた確信犯は市川森一だと思いますがね)彼はラジオ番組で沖縄における米軍基地の負担を減らすために自衛隊による自主防衛の選択肢について触れたことで放送局から追われたと言う経緯もありアホの金平茂紀と一緒にされるのは如何な物かと思うしだいであります。
此のあたりを書いていただくとアフェを削除しろなどと野暮なことは言いませんのでよろしくお願いいたします(敬具)
何を言っているのかさっぱり分かりません。
アフェ(ママ)は削除しません。以上。
続いて折角なので、メディアによる沖縄人差別の典型例、故金城哲夫さんを纏めてみる。

金城哲夫 - Wikipedia
金城 哲夫(きんじょう てつお、1938年7月5日 - 1976年2月26日)は、日本の脚本家。沖縄県島尻郡南風原町出身。第一期ウルトラシリーズを企画し、脚本面から支えた作家として知られる。
那覇高校の受験に失敗、上京して玉川学園高等部、玉川大学文学部教育学科卒業。玉川時代に、恩師である上原輝男の影響を受け、脚本に興味を持ち始める。一度帰郷し映画『吉屋チルー物語』を製作。上原より教え子の一人だった円谷皐を介して円谷英二を紹介され、東宝特撮映画で健筆を振るっていた関沢新一から脚本家としての指導を受ける。関沢の薫陶による「ポジティブな娯楽(エンターテインメント)志向」は以後の金城の作風の根幹をなした。
1963年に円谷プロダクションへ入社、『ウルトラQ』『ウルトラマン』『快獣ブースカ』『ウルトラセブン』など、黎明期の円谷プロが製作した特撮テレビ映画の企画立案と脚本を手掛ける。順風満帆かと思われたが、大人向けの特撮を目指した1968年製作の『マイティジャック』は、平均視聴率が8.3%と低迷したために1クールで打ち切りとなってしまう。挽回を図った『怪奇大作戦』は、平均視聴率22%と健闘したものの、スポンサーが「ウルトラに比べて低い」という判断を下したために、予定の2クールで終了。番組の受注が途絶えた円谷プロは、経営状態が悪化に伴い大幅なリストラを敢行し始める。その煽りで文芸部も廃されて以前のような発言力を失った金城は、1969年に円谷プロダクションを退社する。
沖縄県に帰郷しラジオパーソナリティーや沖縄芝居の脚本・演出、沖縄海洋博の構成・演出などで活躍したが、円谷プロ時代のような才能の輝きを見せるまでには至らなかった。
1976年2月23日、泥酔した状態で自宅(後述の「松風苑」の敷地内。現在資料館)2階の仕事場へ直接入ろうとして足を滑らせ転落[3]。直ちに病院に搬送されたものの、治療の甲斐なく、3日後の2月26日に脳挫傷のため死去。37歳没。
私の沖縄日記: 金城哲夫の実妹・上原さんの問題提起
「ウルトラマン」の作者・金城哲夫(写真左=映画「吉屋チルー物語」を製作した当時)のNHKアーカイブスが上映された時(11日、沖縄大学)、実妹の上原美智子さん(まゆ織工房主宰、写真右)と新城和博氏(編集者)の対談がありました。そこで上原さんが言われたことが忘れられません。
「沖縄を日本人に理解してほしい」「沖縄と本土の架け橋になりたい」というのが金城哲夫の変わらぬ思いだったと、先日(18日)の「日記」に書きました。しかしこの点について上原さんはこう言われたのです。「哲夫がもし生きていたら、『本土との架け橋に』とは言わないのではないか。今問われているのは、『果たしてわれわれ(ウチナーンチュ)は日本人なのか』ということではないか。私も日本への復帰を願ったけれど、訴えても訴えても沖縄の現実は変わらない。沖縄の立ち位置が(哲夫が生きたころよりも)ずいぶん変わってきているというのが実感です。果たして私たちは日本人なのでしょうか」。
その言葉が気になったので、企画終了後、上原さんに尋ねました。「”沖縄と本土の架け橋に”という時代ではないということでしょうか?」「コミュニケーションはもちろん必要です。でも、”この変わらなさは何なんだ”という思いが強いのです。『独立』という極端なことでなくても、沖縄の人間がどう生きていくのか。それが今、問われていると思います」。そして最後に言われました。「それは本土の人も同じではないでしょうか」。その言葉は優しく、しかしたいへん厳しいものでした。
実はその前日(10日)、「NHKアーカイブス資料でたどる沖縄戦後史」というシンポ(沖大土曜講座)があり、上原さんも聴いておられたとのことでした。その中で上原さんが「共感した」という言葉があります。田仲康博氏(沖縄キリスト教大)の発言です。「『構造的差別』というが、その言葉は運動レベルでは力を持たない。『植民地主義』も同じ。身体感覚としては、沖縄は”占領”されている、ということだ」。
本土では沖縄に対する「構造的差別」「植民地主義」という言葉さえ驚きを感じる人が少なくないでしょう。でも、沖縄の一部の識者たちの間では、それらの言葉すらすでに生ぬるい、実感とかけ離れていると思われているのです。その意識の差は大きく、さらに広がっています。
開くばかりの沖縄と本土の距離。その間に、どんな橋を架けることができるのでしょうか。
金城哲夫さんとの思い出・・ - あれから40年・・アンヌのひとりごと
今年で没30年、脚本家金城哲夫を思い出してみた。
奇しくも15才で夭逝した我が長男が誕生した1976年に...没。
息子も今年30才になったのか。。
金城哲夫さんとの思い出。
脚本家と出演者は一度の面識もなく終るという事がありがちですが、
それでも金城さんは度々現場にも顔を出して下さっていますので
点々としか思い出せませんが思い出すまま2・3エピソードを。
セブンの撮影がインしてほどなくした頃、
満田監督に初めて成城学園駅そばのスナック・ファニーに連れていって貰った。
そこは円谷スタッフの溜まり場で、そのうち金城さんや円谷一監督ら数名のスタッフが合流した。
その日の金城さんの手には縄の掛かった壺をぶら下げていて、
店に入るなり壺をかざして仁王立ちで言った。
「泡盛、送られてきたんだ!」
まるで子供が欲しかった玩具がやっと手に入って自慢する様に嬉しそうだった。
時代的に沖縄の酒は入手しずらかったのだろうか?あの晩は一頻り嬉しそうに泡盛を皆に振る舞っていた。
「アンヌも呑むか!45度と強いからな。」
あの何とも茶目っ気たっぷりな優しい眼差しが未だ忘れられない。
昭和42年10月1日(日)「ウルトラセブン」放送開始、それから2ヶ月経った頃、
私たちウルトラ警備隊一行はイベントで鹿児島の城山観光ホテルに呼ばれた。
金城さんが司会をなさるそうで一緒に飛行機YSー11に同乗したのです。
生まれて初めての飛行機に不安がっていた私、それを察した金城さんが、
「アンヌ大丈夫・大丈夫!飛行機は車よりズーと安全な乗り物なんだよ」
彼は人を安心させるおおらかな包容力のある方です。
・・しかし、かなりの揺れなのです。
ドスーンとエアーポケットに落ちたりフワリフワリと上がったり下がったり
なにしろ初めての飛行機なのでこんなモノか?と思いつつも
「キャ怖い怖い、ねえ大丈夫?こんなに揺れて、落ちるんじゃない?」
隣のシートに座ってたダンが、私があまり騒ぐものだから少々不安げでした。
「大丈夫」と励まして下さった右後ろにいた金城さんの顔を伺うと、
その顔が真っ白なお豆腐のような顔色をなさってこわばっていたのです。
「こんなに揺れた飛行機初めて乗った。落ちるかと思ったよ。」
あとで聞いたお言葉はこうなのでした。(笑)
あの頃の金城さんってお若かったのですねぇ。
私より9つ上だからまだ29才だった。
短期間のお仕事にあれだけ才能を発揮したなんて今さらながら脱帽です。
「歴史秘話ヒストリア」金城哲夫 - あれから40年・・アンヌのひとりごと
先週NHK総合で「歴史秘話ヒストリア」(ウルトラマンと沖縄〜脚本家・金城哲夫の見果てぬ夢〜)が取り上げられた。
ウルトラシリーズに関わったスタッフ多士済々のなか金城哲夫氏はこうしてよく取り上げられる。
それは未だに沖縄問題が難渋していることも要因かも知れない。
『本土と沖縄を結ぶ架け橋になりたい』
この金城氏の夢が叶わぬまま志し半ばで夭折してしまった無念さが題材になり易いのかも。
沖縄から本土に渡り、本土の人々と接し、ウルトラマンと巡り合い、脚本を書く。
人間として差別的な疑問を普遍的な切り口で語りかけた作品も素因のひとつかもしれない。
放映翌日ウルトラマンの着ぐるみに入り、セブンでアマギ隊員を演った古谷敏氏と会った。
古谷氏曰く
『戦争を引きずり過ぎじゃないかな。彼はそんなに引きずっていない。
もっと科学/星/未来/に興味、夢のあった人だったよ。』
私も今までにマスコミが扱った金城氏の生涯のさわりだけと言うのが勿体ないと思った。
金城さんの人なつこいおちゃめな部分の破天荒さが出てたら、人物像がもっと膨らんでいたかも知れない。
これはNHK全国ネットだから勿論この切り口でイイのかとは思うが。
私にはサービス精神が旺盛で明るい方というイメージが強い人です。
酔っぱらっておどけて電柱に昇ったり(笑)結構目立ちたがり屋さんだったかな。
メディアの沖縄人差別といえば即ちTBSマターで夢を絶たれた金城哲夫さんを想起した訳で、興味が湧いた人はご自身で色々調べて下さい。こちらの本が出発点になるかも。
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金城哲夫 ウルトラマン島唄 | ||||
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ウルトラマンがいた時代 (ベスト新書) | ||||
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コメント
アフェ?
パフェの仲間?
まさかアフィのこと?w
ネットの仕組みわかってないのね^^
パフェの仲間?
まさかアフィのこと?w
ネットの仕組みわかってないのね^^
Posted by 名無しのクネクネ at 2013年12月29日 23:34
揶揄とはいえ取り上げてくださってありがとうございます、
>メディアの沖縄人差別といえば即ちTBSマターで夢を絶たれた金城哲夫さんを想起した訳で、興味が湧いた人はご自身で色々調べて下さい。こちらの本が出発点になるかも。
この部分だけで十分です、失礼いたしました。
>メディアの沖縄人差別といえば即ちTBSマターで夢を絶たれた金城哲夫さんを想起した訳で、興味が湧いた人はご自身で色々調べて下さい。こちらの本が出発点になるかも。
この部分だけで十分です、失礼いたしました。
Posted by 金城哲夫研究会の一会員 at 2013年12月29日 23:49
ウルトラマンの死
中央公論1988年5月号
藤本義一、水曜11PM
ああ、なにもかも懐かしいです
中央公論1988年5月号
藤本義一、水曜11PM
ああ、なにもかも懐かしいです
Posted by 名無しのクネクネ at 2013年12月31日 02:07