2013年12月26日

【映画評】バックコーラスの歌姫たち

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バックコーラスの歌姫たち オリジナル・サウンドトラック
バックコーラスの歌姫たち オリジナル・サウンドトラック

次回アカデミー賞ドキュンメンタリー部門最有力候補とかいう前評判に釣られ臨みましたが、やや期待はずれ。

映画「バックコーラスの歌姫たち」公式サイト




前提として無名な人々にフォーカスを当てる作品なんですが、引き出し方がマニアック且つ情報量多過ぎ。見せ方がとっ散らかっているというか、時代描写が一箇所に固まりすぎというか、音楽ドキュメンタリー映画として捉えるとイマイチ没頭できず。
例えば章に分け、30分程度の尺に絞って一人ひとりの音楽人生を切り取るとかすれば、もっと印象が違っていたかも。(例えば、アルバム「タペストリー」のどの楽曲に参加したのよ?音くらい流せるやろ)
同じ無名でも「シュガーマン」の方が100倍面白いのは何故?ですね。
【映画評】シュガーマン 奇跡に愛された男

とはいえ有名人満載でして、マイコーとかどうでもいいけど



爆睡を叩き起こされストーンズの「ギミーシェルター」にパジャマ姿のまま参加した裏話(murder rape の件)、それと黒人音楽とは縁もゆかりもないと思っていたレイナード・スキナード「スウィート・ホーム・アラバマ」のエピソードが激しく面白かった。(サタデーナイトスペシャルとかメチャメチャ格好良かったよね)
なんだ。テーマは黒人差別なのか。だったら最初から(略)という映画のオチ。

結論として、ピンの女性アーティストとバックコーラス隊の一番の違いは美貌と容姿。アレサは突然変異。異論は認めない。

満足度(5点満点)
☆☆



「神と銃」レーナード・スキナードが歌うアメリカ | 町山智浩 | コラム&ブログ | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

(前略)

僕は彼らの「スィート・ホーム・アラバマ」(74年)が大好きだったのだが、後で歌詞の意味を知って複雑な気持ちになった。

ヤングさんが彼女(アラバマ)を蔑むのを聴いた

二ール・ヤング、覚えてろよ

サザン・マン(南部男)はお前なんか必要ない

 これはニール・ヤングの「サザン・マン(南部男)」(70年)と「アラバマ」(72年)という歌へのアンサーだった。

 ニール・ヤングは60年代後半、マーティン・ルーサー・キングが率いた黒人公民権運動がアラバマ州で弾圧されたことを歌っている。

南部男たちよ

気をつけるがいい

聖書に書いてあることを忘れるな

いつかは南部も変わるんだ

お前たちの十字架もすぐに燃え尽きるさ

(「サザン・マン」)

 当時、南部では南北戦争以来100年も人種隔離政策が続き、バスの席やレストラン、学校、すべて白人と黒人は別々だった。特にアラバマ州知事ジョージ・ウォーレス(民主党)は「今、ここで人種隔離を! 明日も人種隔離を! 永遠に人種隔離を!」と演説したことで悪名高い。ちなみにその演説を書いたフォレスト・カーターは後にチェロキー・インディアンの子どもとして『リトル・トゥリー』を書いたが、実際はまったくインディアンの血は流れていない。

リトル・トリー

ちよっと変わった経歴を持った本だ。七六年に出版されてからまもなく絶版となり、八六年に復刊。その後、年々評価が高まり、ついに九一年十月にはニューヨーク・夕イムズでぺーパーバックのべス卜セラー第一位にランクされて、売り上げ部数六十万部を突破したという。

『リ卜ル・卜リー』はチェロキー・インディアン作家フオレス卜・カー夕ーの自伝小説で、両親を失った五歳の少年リトル・卜リーが、チェロキー族の祖父母に引き取られ、そこで様々なことを学んでいく数年間を描いたものだ。

アメリカ・インディアンの話というと、ケビン・コスナーの『ダンス・ウイズ・ウルブズ』を思い出す人もあるかもしれないが、内容も雰囲気も、正反対だ。インディアンを思いきり美化して、物語をドラマティックにセンチメン夕ルに盛り上げたコスナーの映画とは違って、ここでは山のなかに暮らすチェロキー・インディアンの生活や、インディアンの目からみた白人社会が淡々と描かれている。

祖父といっしょにスイカや卜ウモロコシを植えたり、魚をとったり、山七面鳥をわなでつかまえたり、ウイスキーの密造を手伝ったり、キツネ狩りをしたり、ガラガラ蛇に襲われたり、白人のクリスチャンに小づかいをだましとられたり、行商人のおじさんが珍しいものを持って訪ねてきたり、そういった毎日がゆったりとした時の流れのなかで、ゆったりとつむがれていく。悪役もいなければ英雄もいない。

「夏は終わりを告げようとしていた。そのさまは、末期を迎えた人が残り少ない日々をうとうとと眠って過ごすのに似ていた。太陽はもう、ギラギラと命のたぎる白い光をまき散らさない。おぼろな黄金色の光で午後の天地をかすませ、夏が息を引き取るのをうながしている」

そんな自然のなかで起こる出来事は楽しいときもあり、悲しいときもあるが、そのどれもが温かい光をたたえている。とくに、谷間に畑を作ろうとする貧しい白人一家と、それを助けようとする兵士を描いた「夢と土くれ」という章がすばらしい。

風のささやきも、葉ずれの音も、鳥の鳴き声も、すべてが何かを語りかけているような気持ちにさせられる一冊。 (金原瑞人)

朝日新聞 1992/01/12

リトル・トリー

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最も参考になったカスタマーレビュー

332 人中、295人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
人種差別主義者がでっちあげた偽装本 2006/2/3
By jndx

フォレスト・カーターことアサ・カーターは、職業はラジオ番組の作家であり、政治家のスピーチライターであり、極右白人至上主義団体のアジテーター兼職業的指導者として給与をもらっていて、酒におぼれるようになってから金を稼ぐために何冊か西部にまつわる小説も書いた。KKKのある支部のリーダーでもあった。(Kitayama "Smiling Cloud" Kohei氏によるブログ "Native Heart" より引用)

チェロキー出身の作家であり評論家のギアリー・ホブスン(Geary Hobson)は1995年に公開した書簡のなかで、カーターは「チェロキーの文化についてほとんどなにも知らない」「彼がリトル・トリーのなかでチェロキーの風習として描いていることや、チェロキーの言葉はどれも不正確」と書いている。(同ブログより引用)

このブログで「リトル・トリー」という小説が偽物ーー過激な人種差別主義者であり白人至上主義者であったフォレスト・カーターが金のために作り上げたフィクションーーであったと知った時の衝撃は、学生時代にこの本を読んで強い感銘を受けた私にとってあまりにも強烈だった。しかも、チェロキーインディアンについての記述がどれもいい加減なでっち上げだったと知り、すぐに本棚から取り出してごみ箱に放り込んだ。これほど裏切られた気分になったのも久しぶり。どれくらいいい加減な本だったのかは、前出のブログ参照のこと。


 レーナード・スキナードの『スイート・ホーム・アラバマ』の歌詞にもウォーレス知事が登場する。

バーミンガム(アラバマの州都)ではみんな知事を愛してる

 後にロニーは「スイート・ホーム・アラバマ」の歌詞は誤解されていると説明した。「知事を愛してる」と言った後に「ブー、ブー、ブー」とブーイングを入れているし、「ウォーレスが黒人に対して言ったことには同意できない」とロニーは言う。要するにカナダ人である二―ル・ヤングが南部を批判したことにちょっとカチンときただけのことらしい。実はロニーもアラバマ人ではない(フロリダ出身)。

 72年、ウォーレスは人種隔離政策の過ちを認め、公式に謝罪してから、民主党の大統領予備選に出馬した。しかし、アーサー・ブレマーという男に撃たれて半身不随になった。ブレマーに政治的意図はなく、恋人も友人もなく惨めな人生に苦しみ、暗殺で有名になれると思っただけだった。ブレマーの日記は出版され、それを読んだ脚本家ポール・シュレイダーは映画『タクシー・ドライバー』のインスピレーションを受けた。
by カエレバ


 レーナード・スキナードは87年にロニーの弟ジョニーをボーカルにして再結成され、今も活動を続けている。歌詞は年々右傾化し、今年発売されたアルバムはなんと『ゴッド・アンド・ガン(神と銃)』という強烈なタイトル。シングルカットされた「That Ain't My America(それは俺のアメリカと違う)」は、全米に広がっている反オバマ政権運動ティーパーティの集会でよく流れている。




バディー・ホリー&リッチー・バレンス、リッキー・ネルソン、アリーヤ、レイヴォーン、オーティス、ランディー・ローズはソロでしたが、レイナード・スキナードとチェイスは集団なので。
泉ピン子は足向けて寝れんやろ。





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Posted by kingcurtis 固定リンクComments(0)映画 | 音楽
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