2013年04月15日

【訃報】三國連太郎さん死去 享年90

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「芸能と差別」の深層―三国連太郎・沖浦和光対談 (ちくま文庫)
「芸能と差別」の深層―三国連太郎・沖浦和光対談 (ちくま文庫)

大往生なんでしょう。ご冥福をお祈りします。


波瀾万丈な人生だそうで、出生の秘密を知ったのは実母が亡くなった後だったそうです。
(対外的には非差別部落出身と自称されていますがそれは育ての父で、実母が網元の娘で実父は海軍軍人の由)

また、ご本人は生粋のアカであるのを自認されているそうで(他には短小包茎早漏など)、赤旗への寄稿がありますのでご紹介。
「赤旗」創刊80周年によせて 発言/俳優 三國連太郎さん

 「赤旗」にしても日本共産党にしても、人間主義という出発点が、本来の成り立ちだと思うんですね。人間本位の暮らし向きを主体にして成り立っている政治集団でしょうから、なんで抵抗がある人がいるのかなと思いますね。

 やっぱり保守勢力から嫌な印象が根強く宣伝されたからでしょうか。しかし、戦前は共産党を非合法にする裏側で戦争に突っ込んでいった。そういうことがいえると思います。

見えない圧力

 僕たちの若いときはそんな時代でした。旧制中学に入ったら制服がカーキ色になって、ゲートルを巻いて登校することが規則になりました。最初はバラバラだった登校が、だんだん整然と乱れなく、歩調をとって歩くようになるわけです。

 僕はその体質が嫌で、中学に行くのが苦痛でした。4、5年の生徒はストライキをやっていました。見えない大きな圧力を感じて反抗したんじゃないかと思います。その辺からサーベルをさした配属将校が軍事教練をするようになったんです。たばこを吸って停学になった時は、将校の家で毎日「教育勅語」を書かされました。従順になれなかった僕は中学を2年で退学し、16歳で伊豆の田舎を飛び出したんです。

 僕みたいなのを不忠の民というんでしょうね。徴兵忌避で捕まって静岡の34連隊に入りました。中国に出征しても、なぜ自分が前線にいるのか理由づけられない。中学の同級だった軍医の助言で仮病を使い、陸軍病院に入院しました。それで命が助かったわけです。一緒に原隊を出発した仲間はその後にガダルカナルに渡り、ほとんど帰ってきませんでした。

 2年半、中国にいて終戦を迎えたんですが、戦争が終わったと思ったら体中がカッカッしてきましてね、これで生まれ故郷に帰れると思いました。韓国から連れてこられた「慰安婦」の人たちも、どよめいていました。従軍「慰安婦」はいなかったという人もいますが、実体を見たのは僕の錯覚だったのかなと現実に確信が持てませんね。今となっては何が真実か見えなくされてるような気がしますね。

 僕たちの仲間は何十万という犠牲者を出しました。映画「北辰斜にさすところ」ではその思いをせりふとして入れてもらいました。海の向こうには帰ってこれない者がいっぱいいるんだと。生き残ったわれわれはその犠牲に報いることができているのか、不特定多数の犠牲者に訴えられる唯一の場だと思ったんですね。

(以下略)

皮肉たっぷりに「従軍慰安婦はいなかったという人もいますが、実体を見たのは僕の錯覚だったのか」と申されていますが、「従軍慰安婦はいなかった」という珍説をどや顔で引き合いに出すのが赤旗クオリティなんですかね。
慰安婦はこの場ではどうでもいいので、三國連太郎さんの生涯を伝えるドキュメンタリー番組がOAされたら是非見たいです。(特に五社協定の件とか知りたい)
あと、飢餓海峡見たい。
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Posted by kingcurtis 固定リンクComments(1)訃報 | 映画
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コメント
千利休役をやっとったな昔
Posted by 名無しのアベシンゾーさん at 2013年07月20日 00:14
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