2019年09月25日

【映画評】タロウのバカ

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元より大森作品は大好きなのですが、前作「母を亡くした時、 僕は遺骨を食べたいと思った」が当地(福岡)で配給されなかったので2年前の「【映画評】光」以来の監督作品劇場鑑賞となりました。面白かったよ。

映画『タロウのバカ』公式サイト

イントロダクション
 『まほろ駅前』シリーズ(11・14)、『セトウツミ』(16)の軽やかな作風で多くの映画ファンを魅了し、茶道にまつわる人気エッセイの映画化『日日是好日』(18)では幅広い世代の支持を集めて大ヒットを記録。そんな多彩にしてプロフェッショナルな仕事の充実ぶりが目覚ましい大森立嗣監督は、今まさに日本映画界で最も勢いのあるフィルムメーカーのひとりである。しかし、そのフィルモグラフィーにはゴツゴツとした異物のような作品が点在しており、ひとつの型には収まらない映画作家としての底知れない個性を強烈に印象づける。長編第1作『ゲルマニウムの夜』(05)から『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』(10)、『ぼっちゃん』(13)、『さよなら渓谷』(13)、『光』(17)へと至る社会のアウトサイダーたちを描いた作品群である。

 長編11本目となる最新作『タロウのバカ』は、大森監督が『ゲルマニウムの夜』以前の1990年代に執筆したシナリオに基づいている。本来はデビュー作として構想していたそのオリジナル脚本に、現代にふさわしい変更をいくつか加え、とりわけ思い入れの深い物語の映画化を実現させた。社会のシステムからはみ出した3人の少年の純粋にして過激な生き様を描く本作は、上記のアウトサイダー映画の系譜に連なるが、実際に完成した作品は「映画とはこうでなくてはならない」という既成概念を打ち破る、破格の問題作に仕上がった。

 思春期のまっただ中を生きる主人公の少年タロウには名前がない。彼は「名前がない奴はタロウだ」という理由でそう呼ばれているだけで、戸籍すらなく、一度も学校に通ったことがない。そんな“何者でもない”存在であるタロウには、エージ、スギオという高校生の仲間がいる。大きな川が流れ、頭上を高速道路が走り、空虚なほどだだっ広い空き地や河川敷がある町を、3人はあてどなく走り回り、その奔放な日々に自由を感じている。しかし、偶然にも一丁の拳銃を手に入れたことをきっかけに、それまで目を背けていた過酷な現実に向き合うことを余儀なくされた彼らは、得体の知れない死の影に取り憑かれていく。やがてエージとスギオが身も心もボロボロに疲弊していくなか、誰にも愛されたことがなく、“好き”という言葉の意味さえ知らなかったタロウの内に未知なる感情が芽生え始める……。

 社会のルールや道徳を学んだことがなく、常に本能に駆り立てられるままに行動するタロウは、これまで大森監督が描いてきたアウトサイダーたちと比べても破天荒で常識破りのキャラクターだ。叫ぶことで感情を発露し、暴力や盗みを犯すことにも一切の躊躇がないその有り様は獰猛な野生動物のようであり、無垢な天使のようでもある。一方、高校生のエージ、スギオはそれぞれやるせない悩みを抱えているが、なぜかタロウとつるんでいるときは心を解き放たれる。大森監督はそんな理屈を超えた絆で結ばれた3人の行き先不明の疾走を、甘ったるい感傷を排した荒々しいカメラワークで捉え、はかなくも眩い“生”を映し出す。しかし、あまりにも危ういタロウらの行く手には深い闇が待ち受け、画面には息苦しいほどの“死”の匂いが立ちこめる。まさしくこれは生と死の狭間を駆け抜け、刹那的なきらめきを放つ異色の青春映画なのだ。

 そして全編が寓話のようでいて、フィクションであることを忘れさせるほどの生々しいリアリティーとスリルがみなぎる映像世界は、社会的な弱者の排除、育児放棄といった今の日本の理不尽な現実をも取り込んでいる。その虚ろに壊れゆく世界のどこに希望はあるのか。そんな根源的な問題提起を鋭くもダイナミックに突きつけてくる大森監督、渾身の一作である。

 作品の成否の分かれ目は、“何者でもない”主人公タロウになりきれるフレッシュな才能を見出すことだった。大森監督がその難役に抜擢したのは、本作が俳優デビュー作となる16歳のYOSHI。すでにOFF-WHITE、ヘルムート・ラングなどのファッション・アイコンとして脚光を浴びる一方、音楽界でのデビューも決定するなど、無限の可能性を秘めた若きアーティストが、野生の天使というべきタロウを全身で表現した。

 YOSHIと併走するふたりの高校生に扮するのは、縦横無尽に活躍する若き実力派俳優たちである。やるせない悩みを抱え暴力に走ってしまう少年エージを演じるのは、漫画を実写化した数多くの大ヒット作から、『ディストラクション・ベイビーズ』(16)、『あゝ、荒野』(17)といった野心作まで、ずば抜けた感性で幅広い役柄をこなす菅田将暉。大森監督とは『セトウツミ』に続くタッグとなる本作では、死の淵を覗き込んだ若者の彷徨を閃光のごとく体現し、これまでのキャリアで最も凶暴なキャラクターをやり遂げた。エージの親友で、理性的で臆病な少年スギオ役は、『南瓜とマヨネーズ』(17)、『来る』(18)、『町田くんの世界』(19)などの話題作への出演が相次ぐ仲野太賀。3人のうち最も観客の共感を誘うキャラクターでありながら、純粋すぎるがゆえにやり場のない鬱屈を内に溜め込み、暴走するその姿から目が離せない。プライベートでも親友同士である2人の本格的な共演も大きな見どころとなる。

 タロウたちと対峙する半グレ集団のリーダー吉岡役には、『SRサイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』(12)、『友罪』(18)などの奥野瑛太。エージ、スギオと同じ高校に通う、援助交際を繰り返す洋子役には、『日日是好日』(18)、『ママレード・ボーイ』(18)の植田紗々がオーディションにて選ばれた。タロウを育児放棄している母親、恵子を演じるのは、テレビ、映画、舞台と幅広く活躍する豊田エリー。そして、元ヤクザで吉岡と共に裏ビジネスを生業とする小田役には、『地獄でなぜ悪い』(13)、『哭声 コクソン』(17)などの日本映画の重鎮、國村隼が扮している。また、音楽の大友良英がインドの民族楽器シタールを導入したエンディングテーマ、その独特の音色も生と死の狭間をたゆたう感覚を創出している。

タロウのバカのこと 大森立嗣
戦争が終わって25年後、1970年に僕は生まれた。 人類が月に到着して1年、三島由紀夫が割腹する2ヶ月前。 平和と豊かさを謳歌する時代、死の匂いがしない時代。影のない時代。 5歳で父親の暗黒舞踏を見た。死の匂いがしたから嫌だった。 中学で同級生が自殺した。高校で友達が病気で死んだ。昭和天皇が崩御した。 大地震と宗教集団のテロが起きた。ニューヨークでビルが折れるように壊れた。 また大地震、大津波、原子力発電所が爆発した。 資本主義は終わりに向かっている。 それでも経済を豊かにすることに躍起になっている。この中毒性。 大地震も死もわからないものだから、忘却か後回し。 すべてを意味で理解しようとする。それが戦後の日本の歴史。 社会は意味でできている。ビルもコンビニも会社も学校も政府も原発も法律も道徳も。 意味に当てはまらない人や物をどう見ていいのか僕たちはわからないし、怖い。 するとこんなことが起きる。相模原の障がい者施設で19人が殺された。犯人は障がい者に生きている意味がないと言った。生産性がないからだ。彼は障がい者に意味を見出そうとした。だができなかった。 世界で同時多発的に起きている移民問題や右傾化も同じなのだろう。ナチスは否定しているのに。

この映画の主人公はタロウという名前だ。「名前がない奴はタロウだ」といわれて以来、タロウと呼ばれている。タロウは学校に行ったことがない。社会のどこにも所属していない。 タロウに意味を見出せないから、わからないし、こわい。だいたい名前がないから誰だかわからない。 でも意味を見出せないものはいっぱいある。地震も大津波も台風も来る? その意味は?人が生まれてくることも死ぬこともわからない。誰も予め名前を持って生まれてこない。そして人間は生物だから、全員死ぬ。その意味は?  どんなに意味で周りを固めても、わからないものがある。わからないと、排除してはいけない。わからないこととは、自然界の命に触れることだから。 そして僕たちは生きていかなければならない。 『タロウのバカ』もそんな映画だ。

タロウの肌に触れてみる、死の感触がする。 ピストルは言う。道徳から解放しろ。法律も倫理も糞食らえだ、と。 タロウはこの社会のサクリファイスかもしれない。それでもいい。 世界の人々よ、タロウを見ろ。答えなんて求めないで。 なぜ生きる? なんで死ぬ? 答えなど求めるから頭がおかしくなる。 意味などないことを受け入れて、 生まれたことをただ肯定すればいい。 そこにいることを肯定すればいい。 ただ反応する。光を見て、動くものに気づく。 憎しみも喜びもない。感情なんていらない。 無垢な目で世界を見つめろ。 生きることは命をすり減らすことだ。 そして不安になったら祈れ。 祈りは動物になれない人間の唯一の救いだ。 だが世界はお前なんか見ていない。

生死は残酷で清らかだ。それだけがある。 感傷も郷愁も理屈も持ち込むな。 ただのガラス玉で見つめろ。何が見える?   夜を見る猛禽類の眼で見つめろ。何が見える?  だけど俺たちの眼は透き通らない。 それでもいい。何が見える? どこまでいっても動物になれない俺たち人間だけが見えるものがある。 何が見える? 愛だ、クソッ、愛だ。 ああ、人間だ。

プロダクション・ノート

企画の成り立ち
『タロウのバカ』は、大森立嗣監督がデビュー作『ゲルマニウムの夜』の前から書いていた脚本がベースとなったものだ。いよいよ機は熟したとばかり、大森監督の大学時代からの自主映画仲間でもある、映画製作会社ハーベストフィルムの近藤貴彦プロデューサー(以下、近藤)は2017年から映画化の実現に向けて本格的に動き出した。大森監督とのタッグとしては、『さよなら渓谷』『ぼっちゃん』『セトウツミ』『光』『日日是好日』に続く6作目となる。
「脚本は20年以上前に書き始められたものですが、基本的な設定などはほとんど変わっていません。大きな変更は冒頭の障がい者施設のシーンくらいです。元々、大森監督がずっと1番撮りたかった作品で、長年企画を大切に温めていました。あとは世に問うタイミングだけが問題だったように思います。僕自身もその並々ならぬ監督の熱意を知っていましたから、自分がハーベストフィルムを立ち上げてから、どこかで必ず完成させたいと思っていました。そして今回、満を持してすべてのタイミングが合致したというわけです」
なぜ今になって映画化の運びになったか――そこには強い時代の必然があると近藤は語る。
「大森作品は社会の底辺、あるいはその枠組みから外れた人々を描くことが多い。そして今回、改めて脚本を読んだ時に、育児放棄といったネグレクト(弱者虐待)など、今の深刻な社会問題と重なる要素があまりにも多いことに驚いたんです。また新たに加えられた冒頭のシーンは、2016年に起こった相模原の障がい者施設殺傷事件を想起させたり、まさしく現在の日本社会と背中合わせになっている。映画のストーリーは少年タロウの純粋な衝動を描くという軸があって、その精神性も我々が生きている状況への問題提起としてダイレクトに突き刺さる。今、映画化することは最良のタイミングだと思いました。
現実の問題や事件をも取り込み、フィクションとして一歩も引かず描き切ることが、本作の凄みかと。とにかく大森監督には思いっきりやって欲しい。大きく賛否分かれるくらいのパワーを爆発させて欲しいと最初から望んでいました」

障がい者施設のシーンについて
この映画では観る者に鋭利な衝撃を与えるシーンが最初から用意されている。それがまるで廃墟のような、劣悪な環境に置かれた障がい者施設のシーンだ。大森監督が今の時代性を意識的に反映させたパートであり、現代のタブーに近い、なかなか目に触れられない場所を開いたような生々しさがある。このシーンの撮影に向けて尽力したのが助監督の森井勇佑だ。
「設定としては、半グレ集団が障がい者を匿っている施設。まともな病院や介護施設ではなく、障がい者を死ぬまで面倒を見るという名目でお金を搾取している施設です。もちろん完全にフィクションではありますが、リアルな問題意識の延長で大森監督がイメージされたものです」
介護施設の労働環境などの様々な問題については、ニュースやルポルタージュでもよく報じられている。
「それだけに撮影のための交渉はとてもデリケートでした。重度障がい者の施設に出演のお願いをするのですが、やはり映画の内容を伝えると、相模原の事件を想起される方が多く、断られることが多かったです。当然のことですが、各施設の職員の方々は、この事件は思い出すのも辛いことですので。
一旦受諾をいただいても、具体的な台詞など詳細を伝えるとお断りされる場合もありました。結果的に温かくご理解いただき、実際にご協力いただいた施設(団体)は、社会福祉法人睦月会、スーパー猛毒ちんどんほか、計3施設(団体)になります。とても激しい内容ですので、最終的に出演を決定してもらう直前に、みなさんの前で該当シーンを読み上げ、内容の説明とこちらの意図を伝え、理解し納得していただくまで話し合いをした結果、出演を快諾していただきました」
そうしたスタッフの誠意を真摯に汲み取ってくれた出演者たちは、映画作りの現場を新鮮な気持ちで楽しんでくれたという。
「あの施設は山梨県の山中湖にある昔は社員寮だった建物を借りて、ベッドなどを持ち込んで美術を作り込みました。ご協力いただいた皆様の各施設で、完成した映画の試写を行ったのですが、皆様とても映画を気に入っていただけたようでした。
僕らにとってもそうですが、やはり映画作りって非日常の祭りみたいなものであり、とても楽しいことなんですね。健常者とか障がい者とか関係なく。自分たちの意思を持って、内容も理解したうえで出演してもらったことに本当に感動しております。能動性を持って我々の映画作りに参加していただけたことは、障がい者の方たち自身のメッセージとも言えるのではないかと思っています」

キャスティングについて
本作における「満を持して」の部分を端的に表すのはキャスティングだろう。これほど挑戦的でハードな映画に、今をときめく豪華キャストが集結しているのだ。近藤も「今だからこそ、これほど充実したキャストが実現した」と語る。
「企画が実現できなかった時期も、ある程度想定のキャスティングは考えられていたと聞いています。まさか今回これだけのキャストを揃えられるとは……きっと役者さんの側もどこか飢えているというか、本気の試みに気概で乗ってくれる人が多くなったんだろうと思います。エージ役の菅田将暉さんとスギオ役の仲野太賀さんは、大森監督の意向です。二人に快諾してもらったことから、この映画が始まりました。」
さらに映画の神様が降り立ったのは、主役のタロウを演じる驚異の新人、撮影当時15歳のYOSHIの発見である。タロウ役に関しては絶対条件として、リアルに思春期の只中を生きている役者を選ぼうと決めていたらしい。
「タロウは作品の根幹ですので、大人になる前の肉体を持っている人じゃないと成立しないと思っていました。オーディションも行い、数多くの若い俳優と会って検討したのですが、ただ16、17歳あたりを超えると男性的というか大人になりすぎていて、なかなかこれはという人物は見つかりませんでした。
そんな中、大森監督がインスタグラムやWEBのインタビュー記事で気になっていたYOSHIさんに会ってみようと。完全に初対面でしたが、第一印象から強烈な印象で、監督も僕も『タロウがいた!』と。まさに運命の出会いと言えるかもしれません」
このメインの少年役3人が決定したあと、周りのキャストも実力者たちで固められていった。
「洋子役の植田紗々さんも大きな発見でした。売春を繰り返す少女という難しい役なので大森組では珍しく大々的にオーデションを行い、その中で演技が抜群に良かったんです。さらに奥野瑛太さん、豊田エリーさん、そして短い出番ながら國村隼さんに出ていただけたことには感激しました」
また映画の中で格別の印象を残す重要なキャストがいる。ダウン症のあるカップル、藍子と勇生である。
「ラブジャンクスという、ダウン症のある方のためのエンタテイメントスクールがありまして、代表である牧野アンナさんに、この2人のオーディションを実施させていただき、藍子ちゃんと勇生くん役が決まりました。藍子を演じた角谷藍子さんは歌手デビューもしていて、劇中でも歌っていただいた『あいこでしょ』は実際にリリースしている曲です」

撮影について
撮影は2018年9月の約一ヶ月で行われた。ロケ地は東京都足立区がメインで、あとは埼玉県三郷市と千葉県木更津市。匿名的な郊外のイメージで統一した空間になるように監督と制作部はロケハンを入念に行った。そんな中、YOSHIは足立区にある現場のマンション――劇中で使っているタロウの自宅に住み込みで撮影する運びとなった。
「彼にとって初めての現場だったこともあり、映画の世界の中にどっぷり浸って生活してもらおうと。その際、吉岡率いる半グレ集団の一人、矢口を演じた荒巻全紀さんが、YOSHIの演技指導兼見守り役を務めてくれました。毎朝起床するところから、一日の撮影が終わった後の食事とか銭湯とか、いろいろ面倒を見てもらいました。撮影中は何日か大森監督も泊まっていましたね」
今回は全編に渡りオールロケ。郊外を草原のように駆け回るタロウ役のYOSHIをはじめ、若いエネルギーを臨機応変に捉えていくため、少人数体制の自由な撮影スタイルが取られた。
「カメラマンは辻智彦さん。大森監督とは2013年のWOWOWドラマ『かなたの子』以来となる二度目のタッグですが、若松孝二監督作品『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』『キャタピラー』を担当されている方で、今回はほとんど手持ちでドキュメンタリー・タッチの撮影を行いました。360度カメラを回すこともあり、機動力の高い少人数チームでないと成立しなかったと思います。
セットは一切使っておらず、タロウ、エージ、スギオの3人がアジトにしている家は、実際に建築中の家をお借りして撮影しました。撮影から時間が経っていますので、今は無事に家が建っているかと思います(笑)。壁の落書きはその都度描きました。また衣装も含めて、画面の色彩には微細なところまでこだわりました。
音楽は『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』『ぼっちゃん』『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』で過去組んでいる、監督との信頼も厚い大友良英さんにお願いしました。本編を通して音楽は少なめですが、かなり印象的に使われています」

作品を世に問うこと
盟友である大森監督の積年の企画を達成することができた近藤は、その喜びを感じつつ、本作を世に出すうえでの緊張感もあると語る。
「本当に凄い映画になったという自信はあります。それだからこそ観る人の思考を揺さぶる問題作として機能して欲しい。映画だからできること――ドキュメンタリーではなく、フィクションで厳しい現実にどれだけ迫れるか。そのテーマを大森監督の個性で徹底的に突き詰めた作品です。そしてオリジナル脚本ということが重要。観客の皆様の反応がとても楽しみです」




ダウン症少女の歌は凄い劇伴効果。
タロウがベンチのおばさんや実の母ちゃん犯せば満点だったのに。

作品自体は相変わらず面白いのですが、キャスティングに違和感があったな〜
個人的には大賀の頭がおかしい演技は大好きなので、エージとスギオのキャスティングは逆の方が腑に落ちたような。そして主役タロウ役のYOSHIさんについてもなんか違うんじゃないの?みたいな。

プライベートで天然のキチガイさんを数多く拝見しましたが、彼らに共通する持って生まれた電波らしさが足らないような。例えばナチュラルに何を考えているのかさっぱり分からぬ目ヂカラとか。演技経験がこれかららしいので彼にそれを求めるのは酷だとしても、本作のキャラクターがそういうモノなんだから、演技が出来て天然のそういう素人発掘出来たらよかったね。

満足度(5点満点)
☆☆☆







Posted by kingcurtis 固定リンクComments(0)映画 
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