2019年08月05日

【映画評】風をつかまえた少年

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック


 



風力発電で飢餓を救った実話ベース映画ですが、発明家じゃなく机上の知識を駆使し有り合わせのスクラップで作ったというのがミソ。

kaze

イントロダクション
アカデミー賞R受賞『それでも夜は明ける』キウェテル・イジョフォー初監督作品。23ヵ国で翻訳され世界を感動で包んだベストセラーの映画化。“電気を起こす風車”で村を救った14歳の少年の奇跡の実話。ひたむきな姿が学ぶことの大切さを伝えてくれる。
2010年に日本でも出版された1冊のノンフィクションが、世界を驚かせ、興奮させた。中等学校を退学になった14歳の少年ウィリアムが、当時人口のわずか2%しか電気を使うことが出来ない、世界で最も貧しい国のひとつアフリカのマラウイで、自分の頭脳と手だけを頼りに電気を起こす風車を作り、自家発電することに成功したのだ。彼は家族と村の人々を救うだけでなく、大学へ進学し、様々な活動を通して2013年にタイム誌の「世界を変える30人」に選ばれるという素晴らしい人生も手に入れた。

この現代の奇跡に感銘を受けた、『それでも夜は明ける』の名優キウェテル・イジョフォーが、10年の歳月をかけて初監督作品として映画化を実現。2019年、サンダンス映画祭を皮切りに、ベルリン国際映画祭でも公式上映され熱い喝采を浴び、NYのプレミア試写会では、国連難民高等弁務官事務所特使も務める、名女優アンジェリーナ・ジョリーからも、愛情に満ちた称賛を贈られた。

学ぶことが、未来を切り開き、人生を豊かにしてくれる。それは子供たちだけではなく、私たちすべての人々が生涯を通して忘れてはならないことなのだ。夢と希望を捨てなければ、どんな人生にも不可能はないと、少年ウィリアムが教えてくれる、感動の実話。

驚くけれど本当の話 14歳の少年は荒れ果てた土地の真ん中で、どうやって電気と未来を手に入れたのか?
ウィリアムを演じるのは、ケニアとマラウイで行われたオーディションで、傑出した存在感を放っていた少年、マックスウェル・シンバ。これまで全く演技の経験がないにもかかわらず、アカデミー賞R、ゴールデン・グローブ賞のノミネート経験を誇るキウェテル・イジョフォーに、「なぜあんな自然な演技が出来るのかわからない。本当に感心した」と言わしめた逸材だ。逃げ出したくなるほど険しい道も、絶望するほど高い壁も、好奇心と勇気を武器に変えて次々とクリアしていくウィリアムを、生き生きと演じた。

正直者すぎて失敗ばかりを繰り返してきたが、家族への愛だけは誰にも負けないウィリアムの父トライウェルを、キウェテル・イジョフォーが演じる。無学のために息子の計画を理解できなかった父が、息子への愛を信頼へとつなげる姿が、観る者の心を揺さぶる。さらに、新しい時代を見すえ、子供たちに教育を与える必要性に気付き、時には愛する夫にも厳しい言葉を投げかけるウィリアムの強い母アグネスには、アフリカ系フランス人女優として、初のセザール賞にノミネートされたアイサ・マイガ。

撮影は、究極のリアルを求めて、この驚くけれど本当の話が実際に起こったマラウイで敢行された。壮大な自然の恐ろしさによって荒れ果てた土地が、ウィリアムの風車によって息を吹き返すまでを捉えた撮影監督は、『ターナー、光に愛を求めて』で、アカデミー賞R、英国アカデミー賞にノミネートされたディック・ポープ。生きる力を呼び覚ます雄大な音楽は、『コレラの時代の愛』でゴールデン・グローブ賞にノミネートされたアントニオ・ピントが手がけた。

ストーリー
2001年、アフリカの最貧国のひとつマラウイを大干ばつが襲う。14歳のウィリアムは飢饉による貧困で学費を払えず通学を断念するが、図書館で一冊の本と出会い、独学で風力発電のできる風車を作り、乾いた畑に水を引くことを思いつく。いまだに祈りで雨を降らせようとする村で、最愛の父でさえウィリアムの言葉に耳を貸さない。
それでも家族を助けたいという彼のまっすぐな想いが、徐々に周りを動かし始める。

原作者 ウィリアム・カムクワンバ インタビュー

Q:映画に出てくる発電機を作ったのは何歳の時でしたか?
14歳の時だった。

Q:この映画が完成して観た時、どんな感慨が湧きましたか?
風車を建設している時、将来、自分についての映画ができるなんて想像もしていなかったから、完成した映画を観てとても感激した。でも心境は複雑で、というのも僕と家族がくぐりぬけなければならなかった辛い体験を再度思い起こすことになったから。しかし子供の頃故郷で、友達と楽しく過ごした思い出も戻ってきて、辛い気持ちと楽しい気持ちが入り混じった気持ちになったんだ。

Q:アフリカの多くの国では、義務教育の年齢にあたる時、学校に全員が行けない状況が出てきます。
当時をどう振り返りますか?
確かに困難な時期だった。学校に通えなかったのは辛かった。教育を受ければ、自分の夢がかなうと思っていたから。自分のやりたいことがやれる人生を送りたいと思っていたから。農民にはなりなくなかった。農業がいやというわけではないが、マラウイの農民の多くは自ら選択して農民になったわけではない。他に選択がなかったからだ。そういう人生を僕は送りたくなかったんだ。

Q:風車を作ったことが記事になり、タンザニアに「TEDグローバル」のゲストとして招待され講演したことがきっかけで世界中から注目を集めるようになったそうですが、風車を作ってからあなたの人生はどう変わりましたか?
風車が完成した後も、図書館に通い続けた。僕の村の図書館司書を通して風車の話を知ったジャーナリストが記事を書いたんだ。それでタンザニアに招待されて講演を行ったとき、何か助けられることはないかと多くの人が協力を申し出てくれた。それで僕は風車の開発を続けると同時に、学業も続けることができたんだ。

Q:現在はどんな仕事をなされているのですか?
僕はアメリカの大学を卒業したが、妻が大学を卒業するまでは、アメリカとマラウイを行ったり来たりしながら、プロジェクトに関わっていく予定だ。ゆくゆくはマラウイに戻る。現在はまだ才能ある人たちへの支援が欠けていると思うから、若い人たちが夢を実現できる環境を提供できればと思う。イノヴェーション・センターを立ち上げたので、そこを若い人たちが作りたい機械が作れるような場にしたい。彼らがプロになる道につながってくれればと思う。僕が風車を作った時、誰も僕の案にアドバイスしてくれる人はいなかった。だからイノヴェーション・センターはそんな人たちの助けになれればと思うんだ。

Q:世界中のいろんな人と会ってみて、触発された人はいますか?
尊敬する人は?
風車をそもそも作ったインスピレーションは祖母だった。祖母は自分の手で煉瓦を作っていた。煉瓦作りは男性の仕事とみなされていたが、一般的な男性の仕事、女性の仕事という考え方にとらわれずに祖母は自分で煉瓦を作って家を建てたんだ。人から、何故夫の仕事をしているのか、と言われたが、祖母の答えは、「火事が起きたら誰かが来るのを待てない。すぐに自分で消すしかない」と。自分の問題は誰かの助けを待つのではなく、自分で解決するものなのだと信じていた。そんな祖母にインスパイアーされた。どんな状況においても、自分で解決策を見つけるのが大切だとね。

(2019年2月/interview&text高野裕子)




エピローグとプロローグに登場する土着信仰の民族舞踊がとても印象的。日本の縁日で売っているようななんかヘンなお面被っているし。あと母ちゃんがめっちゃ綺麗。目元なんか沢尻さんそっくりだね。こちらの動画の人です。



劇伴がユニーク。英語と現地語のチャンポン会話も面白いし、図書館の重要性は言わずもがな、英語の読解力も必須なんだよな。しかしあの井戸は枯れなかったんだろうか?

満足度(5点満点)
☆☆☆




Posted by kingcurtis 固定リンクComments(2)映画 
Edit








コメント
日本の企業がきれいな水を供給する施設を寄付したのに、何年か後には蛇口が盗られたり破壊されてた話が印象に残ってるw
Posted by 名無しのぱよぱよちーん at 2019年08月05日 17:03
 一台なら気にされない風力発電も、数が集まれば発電効率の著しく低い役立たずで、低周波騒音とバードストライクの元凶になる。
Posted by 名無しのぱよぱよちーん at 2019年08月06日 21:33
  ※ コメント認証制です。URL記述不可。久保田直己さんの名誉を毀損したり誹謗中傷する書き込みは固くお断りします。
※ 全角換算400文字超を入力するとコメント飛びます。要分割投稿。