2019年01月03日

【映画評】私は、マリア・カラス

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伝説のディーヴァ、ドキュメンタリー映画。ほぼ総天然色。2018年度鑑賞映画はこれが最後になります。

映画『私は、マリア・カラス』公式サイト

アバウト・ザ・ムービー
誰も知らないマリア・カラスがここに。未完の自叙伝、未公開映像・音源、封印されたラブレター 初解禁!
3年間かけて世界を回り、マリア・カラスの友人たちを探し出しました。彼らは誰も見たことのない数多くの資料を保管していて、それらはマリア・カラスのとても個人的な記録でした。自叙伝と400通を超える手紙を読み終えた時に、やっと見えてきた〈マリア・カラスの姿〉が映画の最も重要な部分になることを確信しました。またその過程で、楽曲に関しても、観客によって撮影されたコンサートやオペラの映像をはじめ、幸運にも、これまで聴いたことのない数々の録音にアクセスできました。

今回、彼女と親しかった数え切れないほどの人々に会いましたが、彼女自身の言葉ほど強く、印象的な証言はなかったので、映画の中に他の人の証言はほぼ入れず、彼女の言葉だけでつなぐことを決めました。

彼女が書き残した言葉が世に出るのも、多くの真実が明かされるのも初めてなので、本作では、彼女の熱狂的なファンさえも知りようのなかった〈マリア・カラス〉が見られます。ライトを浴び、特別な運命を辿ったレジェンドの影に隠れていた〈一人の女性〉について、きっと深く理解していただける映画になったとおもいます。
―監督:トム・ヴォルフ

イントロダクション
音楽史に永遠に輝く星となったオペラ歌手、マリア・カラス。ひとたび聴けば忘れられない世界にひとつの歌声と、高度なテクニックを自在に操る歌唱力、演じるキャラクターが憑依する女優としての才能、さらにエキゾティックな美貌と圧倒的なカリスマ性で、観衆を虜にした不世出のディーヴァだ。

スターの座に上り詰めた彼女の名は、「完璧」を追い求め自分にも他人にも妥協を許さないスタイルや、自尊心が高いゆえの周囲との衝突、そして世間を騒がせた恋愛など、数々のスキャンダルによってさらに広まった。そんなドラマティックな人生は幾度か劇映画化され、舞台や記録映像を集めたドキュメンタリー映画も公開され、マリア・カラスの伝説はコンプリートされたかに見えた。

ところが、没後40年にして驚くべき事実が判明する。彼女は未完の自叙伝を遺していたのだ。オペラをテーマにした短編映画を数多く手掛けてきたトム・ヴォルフ監督が、マリア・カラスの歌声に惚れ込み、3年の月日をかけた〈真のマリア・カラスを探し求める旅〉でこの自叙伝を入手。

さらに彼女の親友たちから信頼を得て、封印されてきたプライベートな手紙や秘蔵映像・音源もふんだんに集めることに成功し、過去の作品群と一線を画す、まさに本物の人間ドラマが詰まったドキュメンタリー映画が完成した。

カラスが書き残した自叙伝の中の文章と未公開の手紙は、『永遠のマリア・カラス』でカラスを演じたファニー・アルダンが、命を吹き込むように朗読する。そこには、連日のようにゴシップ紙の一面を飾った数々のスキャンダル─28歳年上の男性との結婚、大統領やセレブも駆け付けたローマ歌劇場の舞台を第1幕で降りたことへの激しいバッシング、カラスに“クビ”を宣告したメトロポリタン歌劇場の支配人とのバトル、ギリシャの大富豪オナシスとの大恋愛と夫との離婚、愛し合っていたはずのオナシスが、暗殺されたアメリカ大統領ケネディの未亡人ジャクリーンと結婚したことを新聞で知るという衝撃の顛末─の真相と、カラスの心の叫びが切々と吐露されている。

その他に世界初公開となるのは、自宅や友人宅でリラックスする素顔や豪華クルーズを楽しむ姿が8ミリや16ミリに収められたプライベートフィルム、貧しかった少女時代などカラスの引き出しの奥から出てきたような個人的な写真、熱狂的なファンが無許可で撮影したパフォーマンス、親しい関係者やファンから入手した音声テープ、TV放映でカットされたインタビューなどで、作品中の実に50%以上を占める。過去に公開されたものも、1度生放送されて以来ずっとお蔵入りになって眠っていたインタビューや、モノクロに当時の写真をもとに色付けされた映像など、特別なお宝ばかりだ。

まさに全編が、マリア・カラス本人の歌と言葉だけで綴られる、“真実の告白”。頂点を極めてもなお高みを目指そうとするアーティストとしての信念と、結婚や出産などひとりの女性としての幸せの間で揺れ動く姿は、観る者の胸を熱くする。さらに、どんな一流のプロフェッショナルにも訪れる、キャリアの衰退にも果敢に立ち向かう姿勢も、多くの共感を呼ぶだろう。

今だからこそ、大スクリーンから全身で受けとめたい─どんな波乱にぶつかっても自分の魂に誠実に生きた人生からほとばしる、観衆に特別なパワーと優しさを与えてくれる歌声を─。

ストーリー
エピローグ「2人の私がいるわ」
「マリアとして生きるには、カラスの名が重すぎるの」と、1970年にニューヨークで受けたインタビューで打ち明けるマリア・カラス。この時のカラスは既に数々の困難に直面してきたにもかかわらず、その瞳は驚くほどまっすぐで、「今まで正直に生きてきたわ」という言葉がすべてを物語っている。

少女時代「生まれて初めてのウソよ」
1958年、ニューヨーク。TV番組のインタビューで、少女時代を振り返るマリア・カラス。ニューヨークで生まれ育った彼女の才能に最初に気付いたのは、母親だった。野心的でシャーリー・テンプルら子役の華やかな成功に憧れていた母は、カラスを歌手にすると決意する。カラスと家族は1937年にギリシャに移住。13歳のカラスは、17歳からしか入学できないアテネ音楽院に年齢を偽って見事に合格する。そこで巡りあったのが、カラスが「誰よりも大切で家族のような存在だ」と説明するスペイン人の恩師エルビラ・デ・イダルゴだ。カラスはどんな生徒だったかとインタビューされたエルビラは、「完ぺきよ」と即答する。毎朝一番乗りで、帰るのは最後だったというカラスの努力が明かされる。ここでカラスは、ベルカント唱法を学ぶ。

キャリアの開花「演技力のないオペラ歌手なんて問題外よ」
音楽院を卒業して、いよいよマリア・カラスの快進撃が幕を開ける。1952年のフィレンツェでは、まだふっくらとした少女の面影を残していたカラスが、1954年のスカラ座公演「ヴェスタの巫女」では、艶やかな美しさをたたえた大人の女性に変身していた。代表作の一つである「ノルマ」の1956年のニューヨーク公演では拍手が鳴りやまず、1958年のパリでは観衆が歌声はもちろんそのオーラに息をのんだ。だが、この頃の本音を、1970年のインタビューでカラスは、「幸せな家庭を築いて子供を産みたかった」と告白する。最初は母、次は夫に歌い続けることを強制され、逃げられない運命だったというのだ。

激しいバッシング「私の名前が泥まみれになった」
1958年1月2日、ローマ歌劇場。マリア・カラスは「ノルマ」の舞台で、1幕だけ歌って降板する。リハーサル中に喉をこわし、幕間で声が出なくなったのだ。その夜のチケットは完売、大統領も臨席していた。日頃から何事に対しても堂々と自分の意見を主張してきたカラスは、まるでその仕返しのように、ほとんどの新聞から「ワガママ」「傲慢」と非難される。2ヶ月後、リスボンでの「椿姫」の公演で、「さようなら、過ぎ去った日々よ」を歌うカラス。その歌詞は、カラスの現在の心情と怖いくらいに重なっていた。さらに、逆風は続く。メトロポリタン歌劇場の支配人に、若手を起用して新しい演目をやりたいと提案したところ生意気だと激怒され、いきなり“クビ”を言い渡されたのだ。

オナシスとの出会い「彼こそ探し求めていた男」
心身ともに弱っていたマリア・カラスがアリストテレス・オナシスと恋におちたのは、1959年、夏のことだった。その2年前から面識があり、夫のバティスタ・メネギーニと共に豪華クルージングに招待されたのだが、その頃のカラス夫婦は危機を迎えていた。お金や地位にしか興味が無く、妻の才能で得た名声でセレブ気取りの夫に幻滅したとカラスは書き残している。反対にオナシスの魅力については、「強烈な個性を持ち、誰でも夢中にさせる人たらし」と綴るカラス。さらに、クルーズから戻ったカラスが友人に「夫と別れます」と宣言した手紙が紹介される。だが、夫は離婚を拒絶し、二人は長い裁判闘争へと入っていく。

愛に満たされた日々「この2ヶ月、口を開けるのは笑うため」
オナシスの愛に包まれたマリア・カラスはすっかり穏やかになり、声の質まで変わったと指摘される。カラスはインタビューで成長したのだと語り、「大勢の人に歌心を感じてほしい」と微笑む。カラスのその言葉を証明するかのように、1962年の「カルメン」の“恋は野の鳥”の歌声は深みを増している。夫の監視のもと働き詰めだったカラスは、今では疲れるとすぐに休暇を取り、オナシスとのクルーズを楽しんでいた。1964年にバカンスで訪れたギリシャの小さな村の祭で、飛び込みで「カヴァレリア・ルスティカーナ」の“ママも知るとおり”を歌う貴重な映像が流れる。リフレッシュしたカラスは、ロンドンでエリザベス女王も臨席した「トスカ」で熱唱し、大成功を収める。そして遂に、1965年3月、メトロポリタン歌劇場への7年ぶりの復帰が決まる。観客の熱狂はカラスをして「こんな舞台経験は初めて」と言わしめるほどだった。親友のグレース・ケリーに綴ったプライベートな手紙が、大舞台を終えた歌姫の心境を語る。

オナシスの裏切りとトップからの失墜「耐えて生きなければ」
成功の美酒に酔ったのも束の間、再び体調を崩したマリア・カラスは、またも舞台で途中降板してしまう。喉に負担をかけない歌い方を模索するが、心身ともに消耗するばかりだ。オナシスとの愛に安らぎと救いを求めるカラスは、1968年1月の彼の誕生日に、愛を込めた手紙を送る。「永遠に、あなたと一緒にいたい」と─まさか、その9ヶ月後に、手ひどい裏切りが待っているとは思いもしないで。
その年の10月、オナシスは故ケネディ大統領の未亡人、ジャクリーン・ケネディと再婚したのだ。カラスはエルビラへの手紙に、「9年も共に過ごしたのに、新聞で知りたくなかった」と衝撃の“事実”を記している。

復活を目指して「私の自叙伝は歌の中に綴られている」
1969年、歌を休んでいたマリア・カラスの映画デビュー作『王女メディア』の撮影が始まる。評判がよければ女優に転身したいと望んでいたが、映画はこれ1本で終わってしまった。そんな中、オナシスからの復縁の願いを受け入れるカラス。オナシスはカラスに、「あの結婚は過ちだった」と認めたのだ。1973年のロンドンを皮切りに、カラスの“復帰ツアー”が始まる。オペラではなくコンサートだったが、ヨーロッパ、アメリカ、アジアをまわり、ラストは日本で、熱狂する観客に歌う喜びを取り戻すカラス。だが、1975年、病に倒れたオナシスが死を迎える。カラスが書き留めていた、最後に会った時のオナシスの言葉が胸を打つ。1977年9月16日の朝、カラスはパリの自宅で心臓発作のため息を引き取った。享年53歳。舞台復帰を目指して練習を続けていたが、叶わなかった。世紀の歌姫が書き残していた自叙伝は未完のまま、観客へのメッセージで途切れていた─「私にあるのは感謝のみです」。




世代的にマリア・カラスは名前しか知りませんし、オペラ自体もまともに観た経験がないのである意味新鮮、ある意味退屈な感が率直な感想。エンドロールの曲は知っていましたがタイトルが「私の音お父さん」というのも恥ずかしい話、知りませんでした。クロード・モネ「ラ・ジャポネーズ」からケイティ・ペリーの着物姿まで、日本大好き外人さんを育む起因となったのは蝶々夫人なんだろうね。マリア・カラスの着物姿見てそう思いました。とはいえお隣の韓国さんは怒り心頭の様子ですが。
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クラプトンやジャニスの自伝映画は身を乗り出して観ていたくちなので、オペラファンなら垂涎な作品なんでしょうね。

満足度(5点満点)
☆☆☆



Posted by kingcurtis 固定リンクComments(3)映画 | 音楽
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コメント
おっちゃんが物心ついた時には既に故人であった伝説の歌姫。
音響機器も格段の進歩を迎えていた時代でもあり、フルトヴェングラーとかトスカニーニとかモノラル音源は個人的に興味無かった。
当然彼女もそう。

で、話は横路に逸れるけど、ミロス・フォアマン監督の名作“アマデウス”、お薦めしまっせ。
アカデミー賞主要他部門受賞のお墨付きでエンターテイメントとしても確かだが、当時何となくオペラを避けて器楽曲ばかり聴いていた若かりし頃のおじさんに、思わずオペラのレーザーディスク(ここ重要)を買いに走らせた作品。

突然湧いて出て失礼しやした。
Posted by 通りすがりの二日酔い at 2019年01月03日 13:43
> で、話は横路に逸れるけど、ミロス・フォアマン監督の名作“アマデウス”、お薦めしまっせ。

情報提供ありがとう
リアルタイムで映画館で観たので心配無用
ファルコのロック・ミー・アマデウスも知っているので心配無用

Posted by bob at 2019年01月03日 19:33
え、リアルタイムって。
私もあれは学生時代。
たまにしかコメ投下せんかったんでてっきり若い方かとばかり。
失礼しました。
Posted by 通りすがりの二日酔い at 2019年01月03日 20:20
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