2018年11月29日

【映画評】エリック・クラプトン〜12小節の人生〜

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今でこそ有田芳生と徒党を組み反アベお笑い芸人に甘んじている桑田佳祐さんがまだ普通に人気者だった頃、「エリック・クラプトソ」というアルバムまでリリースした元ネタの人の物語。2018年映画界で最大のヒット作品となった「【映画評】ボヘミアン・ラプソディ」に続く音楽映画ですが、こちらはドキュメンタリー。客層もクイーンと比べたら相当高かったよ。

映画「エリック・クラプトン〜12小節の人生〜」公式サイト

イントロダクション
輝かしい名声と成功の裏にあった、人生の苦悩と悲哀。いつも“何か”を探して彷徨い続けてきた。過去そして現在、すべてを赤裸々に曝け出す。
グラミー賞を18回受賞、ロックの殿堂入りを3回果たすなど、長年音楽界を牽引し続ける世界的スーパースター、エリック・クラプトン。“ギターの神様”と評され、お金や名声よりも音楽性を優先し、愚直なまでにブルースに身を捧げ、天才の名を欲しいままにしていたが、私生活では欲望と愛情、快楽と幸せの区別もつかないまま、いつも“何か”を探して彷徨い続けてきた。酒、ドラッグ、女、そして音楽、全てのものに溺れていくー。

母親に拒絶された少年時代の孤独、共にギターの腕を競いあった仲間たちの喪失、親友ジョージ・ハリスンの妻への恋をはじめとする病的なまでの女性遍歴、ドラッグとアルコールに溺れた日々、そして最愛の息子コナーの死。天国と地獄を行きつ戻りつするような、過酷で数奇に満ちた人生を経て、初めて自分の居場所を見つけた今だから振り返ることができる、エリック・クラプトン自らが語る、音楽と愛と魂の軌跡。

貴重なアーカイブ映像とともにクラプトン自らが語る、珠玉の音楽ドキュメンタリー
アカデミー作品賞受賞作『ドライビングMissデイジー』をプロデュースしたリリ・フィニー・ザナックが監督を務め、『シュガーマン 奇跡に愛された男』のジョン・バトセックがプロデュースを担当。編集に『AMY エイミー』のクリス・キングが、音楽は『ブロークバック・マウンテン』のグスターボ・サンタオラヤが担当し、作品の悲しみのトーンを決定付けている。

ジョージ・ハリスンやジミ・ヘンドリックス、B.B.キングをはじめ、若かりし頃のザ・ローリング・ストーンズ、ザ・ビートルズ、ボブ・ディランなど豪華アーティストの貴重なアーカイブ映像や、デレク・アンド・ザ・ドミノスのライブ映像をはじめ、デュアン・オールマンとの「いとしのレイラ」のレコーディング風景、ザ・ビートルズと共に「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」をレコーディングするフィルム映像などが音楽的なストーリーに彩りを添える。ヤードバーズ、ジョン・メイウォール&ザ・ブルースブレイカーズ、クリーム、ブラインド・フェイス、そしてソロと、長年に渡るクラプトンの未発表のプライベートを含む映像の数々、私的な日記や手書きの手紙やデッサンなどをとともに、その時の心情をクラプトン自らがナレーションで率直に語る。その波乱に満ちた人生を赤裸々に描き出す、珠玉の音楽ドキュメンタリー。

エリック・クラプトン ERIC CLAPTON
1945年3月30日、イギリス、サリー州リプリーに生まれる。独学でギターを習得し、63年にロンドンで注目を集めていたバンド、ヤードバーズにギタリストとして迎えられる。その後、ジョン・メイオール・ブルースブレイカーズを経て、ジャック・ブルース、ジンジャー・ベイカーと伝説のバンド、クリームを結成するも、人間関係の悪化により解散。ブラインド・フェイスを結成後、アメリカに渡りデレク・アンド・ザ・ドミノスを経てソロとして活動する。「スローハンド」と呼ばれるギターの名手で、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジとともに世界3大ギタリストの一人とされ、後に続くギタリストたちにはギターの神様といわれる様になる。ヤードバーズ、クリーム、ソロで「ロックの殿堂」を3度受賞。2015年には「ブルースの殿堂」入りを果たす。その卓越したギタープレイを核に、デレク・アンド・ザ・ドミノス時代の「いとしのレイラ」(71)、ボブ・マーリーのカバー曲「アイ・ショット・ザ・シェリフ」(74)、幼い息子の死を悼んで作られた「ティアーズ・イン・ヘブン」(92)など名曲を生み出す。これまでに「461オーシャン・ブルーヴァード」「アンプラグド」など数々の名盤、ヒット作を世に送り出し、合計18個のグラミー賞を獲得し、現在も第一線で活躍中。




個人的な立ち位置として、3大ギタリストで無理やり括っても三度の飯より好きだったツェッペリンやジェフ・ベックと比べると個人的にはクラプトンは大ファンという訳ではなく、それでもデレク・アンド・ザ・ドミノスの「レイラ」は生涯で最も繰り返し聴いたアルバム上位に位置するのは間違いないという複雑な位置付け。廃人から復活後の「ラスト・ワルツ」〜「スローハンド」辺りからようやくリアルタイムで追ったニワカの第三?第四?世代でして、所謂、知識では知っているも初めて見る「伝説の」シーン多く非常に勉強になりました(マイ・スウィート・ロードのスライドや、アレサのレディ・ソウルにクラプトンが参加していたとは知りませんでした)。とはいえジミヘンのそれはあってもデュアンの死に触れていない編集はなんだか解せない。

印象に残ったのは「クロスロード」ライブ演奏エンディング後のジャック・ブルースMC「エリック・クラプトン、プリーズ」が観れたこと。あれLPで散々聴いたけど印象的だよね。心酔したと称されるインド音楽は今聞いても何がいいのかさっぱり分からん。作中でデュアンが言っていた「フェンダーとギブソンでどちらが弾いているのかが分かる」は手癖を含めノンエフェクターナチュナルディストーションなので違いはよく分かりますが、「エレキギターが俺でアコースティックがクラプトン」は笑えない。カバー曲「リトルウィング」レコーディングした数週間後の訃報は本当、衝撃的だったでしょうね。デュアンとのツインリード聴かせたかっただろうな。

しかしこの頃のアーティストで真っ先に死ぬ感じですが悪運強いんですね。仮に27歳頃だったらデレク・アンド・ザ・ドミノス解散後の廃人真っ只中の時代なんだな。いつまでもお元気で。

そうそう。思い返すにディランとクラプトンのステレオタイプな印象は映画「ラスト・ワルツ」での出で立ちだよな。ラスト・ワルツも観に行けてよかった〜

満足度(5点満点)
☆☆☆☆







Posted by kingcurtis 固定リンクComments(9)映画 | 音楽
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コメント

現在で云う左翼思想に犯された

40年50年前の二十代が何でもかんでも

クラプトン、クラプトン、と言っていたね。

他の歌手やグループが、と言ったらシカト。

今でも当時の連中が大挙してコンサート会場に。

で、昼間は沖縄で道路封鎖、国会議事堂でデモ〜っと。

クラプトン曰く、銭が無くなったら、ニッポンつあー。



Posted by 名無しのぱよぱよちーん at 2018年11月29日 11:59
>しかしこの頃のアーティストで真っ先に死ぬ感じですが悪運強いんですね。

悪運じゃなくて鉄人超人だからでしょう。
ビートたけしの由利徹超人説というのがあって、
ヒロポン合法時代にデビューしてまだ生きてるよって言っていた。
クラプトンも同類。
ストーンズなんか全員現役でミックは未だ近年子供つくるとか、奇跡そのもの。
Posted by aikobros at 2018年11月29日 12:27
自殺しなかったのは
酒が飲めなくなるからだ。

く〜かっこええ〜!
Posted by 名無しのぱよぱよちーん at 2018年11月29日 12:30
藤原ヒロシがクラプトンと友達だってBSフジの番組で言ってたな
Posted by 名無しのぱよぱよちーん at 2018年11月29日 16:40
ほんと、頑丈なんだろうね。
あの歳で、2時間立ちっぱなしでギターひきまくり、歌いまくりってなかなか真似できないと思う。

クラプトンとデュアン・オールマンのツィンギターのライブ演奏、見たかったですね。
つくづく惜しまれる。

サヨクとクラプトンとはなんの関係もないでしょ。
Posted by 名無しのぱよぱよちーん at 2018年11月29日 20:13
映画見たけど、ニワカファンでは、話についていけないくらいの展開が早い。
よく生きてたなぁ、って感じと、いきててありがとうって感じ。
いまだに日本でライブが見れるのがうれしいねぇ。(つーても、最後の来日って何年前だ?)
Posted by なのななし at 2018年11月29日 21:21
For everManは
柳ジョージさんの方がカコイイと思うの
異論は認めたくないのボキュ
Posted by 名も無き友愛伝道師 at 2018年11月30日 12:48
ストーンズのメンバーは絶対に早死にする、
と思ったのでw、1990年の初来日は無理して行ったなぁ。
いまだにピンピンしてて、笑ってしまうけど。
ジョージハリスンの訃報の方が
信じられなかったな。
Posted by 名無しのぱよぱよちーん at 2018年11月30日 16:34
1990年行ったよ
次のブードゥーラウンジ福岡ドームはガラガラだった
Posted by bob at 2018年11月30日 17:24
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