2018年03月27日

【映画評】BPM ビート・パー・ミニット

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BPM(Beats Per Minute)
BPM(Beats Per Minute)

90年代冒頭の暴力的エイズ啓蒙活動団体を描いたフランス映画且つ、昨年度(第70回)カンヌ国際映画祭グランプリ作品。

誤解を恐れずに申し上げますが、BL要素てんこ盛りなので腐女子の方はお仲間やお友達をお誘いの上、劇場鑑賞されたし。かなり泣けるよ。

映画『BPM ビート・パー・ミニット』   2018年3月24日 土  ROADSHOW

イントロダクション
世界各国で絶賛&賞賛の嵐!!
受賞一覧
第70回 カンヌ国際映画祭グランプリ 国際批評連盟賞、フランソワ・シャレ賞、クィア・バルム受賞!

実話から生まれた、魂を激しく揺さぶる濃厚で鮮烈な愛と人生の物語
90年代初頭のパリ。HIV/エイズが発生してからほぼ10年の間に、その脅威が広がるなか、政府も製薬会社もいまだ見て見ぬ振りを決め込んでいた。仲間が次々と亡くなっていくなか、業を煮やした活動団体「ACT UP-Paris」のメンバーたちは、より過激に人々へ訴える手段に出る。彼らにとってこれは文字通り生死をかけた闘いであり、一刻の猶予もならない事態だったのだ。そんななか、新たにメンバーとなったナタンは、グループの中心的な存在であるショーンに出会い、ふたりは徐々に惹かれ合うようになる。だが、ショーンはすでにHIVに感染しており、自分の運命を自覚していた―。

前作『イースタン• ボーイズ』がヨーロッパで高く評価されたカンピヨ監督は、実際に当時ACT UPのメンバーであり、自らの体験を元に脚本家のフィリップ•マンジョとともにストーリーを構築した。それだけに、当時のパリの空気やメンバーたちの活動ぶりがヴィヴィッドにスクリーンに再現されている。とくにゲイパレード並みの華やかなデモ行進や、ダンス•ミュージックが響くパリのクラブの場面などは、絶望のかたわら、運命に抗い、限りある生を謳歌しようとした彼らの痛切な叫びが聞こえてくるようだ。

そんな彼らの生きざまを鮮烈に体現した若い俳優たちのアンサンブルもまた、本作のみどころのひとつ。カンピヨ監督はほぼ9ヶ月を掛けてオーディションをおこない、知名度に拘らずそれぞれのキャラクターにもっとも合った俳優を選び出した。彼らの生き生きとした表情や、全身からほとばしるエネルギーがスクリーンに刻み込まれ、観る者の感情を激しく揺さぶる迫真のドラマに仕上がっている。

ストーリー
90年代始めのパリ。HIV/エイズは目に見えない形で確実に広がり、とくに若い世代に大きな被害を及ぼしていた。だが政府も製薬業界も一向に対策に本腰を入れず、社会的にもHIV感染者に対する偏見や差別が広がりつつある。そんな状況のなか、パリを拠点にする活動団体「ACT UP - Paris」には、さまざまな人々が集まっていた。恐怖や不安に苛まされる感染者たちはもとより、恋人や子供が感染し対策を訴える家族、あるいは陽性ではないものの問題意識を持った者。彼らにとって、団体こそが本音を語れるいわば疑似家族のような存在であり、他のメンバーたちと熱心な議論を交わしたり、抗議運動に参加することは個人的な支えにもなっていた。

新しくメンバーに加わったナタンもそんなひとりで、HIV陰性ながら、積極的にミーティングや示威活動に参加していく。彼らはエイズ患者やHIV感染者への不当な差別や環境を改善するため、正しい知識を啓蒙するためのデモ行進や、政府や製薬会社への抗議、高校での性教育などの活動を行っていた。

グループのなかでももっとも政治的で行動派なカリスマ的存在のショーンは、自身もHIV陽性という現実を抱えており、温和な活動を続けていてはいつまでも現状を変えられないと訴えていた。メンバーのまとめ役であるチボーやオーガナイザーのソフィは、そんなショーンのやり方に、時に反感を覚えながらも、製薬会社の責任者たちの偏見や無関心さに失望し、行動を共にする。
やがて彼らは、製薬会社のオフィスに押しかけ、血液に見立てた真っ赤なペンキを袋詰めにしてオフィス中に投げつけたり、許可なく学校を訪れて生徒たちにコンドームを配ったりと、その活動は日に日に過激さを増していった。

内向的なナタンは密かにショーンに惹かれていく。ある日、女子学生に差別的な言葉を投げかけられたナタンにショーンがキスをしたことをきっかけに、ふたりの距離は一気に縮まる。

まるで死への恐怖に抗うかのように、エネルギッシュに生を謳歌し、お互いを求め合うふたり。だが病魔は確実に、ショーンの身体を蝕んでいた。
一向に治療薬の開発は進まず、手の施しようがない状況下で、目に見えてやつれていくショーン。そんな彼をナタンとACT UPのメンバーたちはただ見守ることしか出来ず―。

ACT UPの歴史 山田創平|京都精華大学准教授・社会学者
2016年夏、私はアメリカ、ニューヨークでACT UPの定例ミーティングに参加した【1】。フランス、パリで活動するACT UPをテーマとした映画『BPM』でも描かれているが、ACT UPではミーティングにおける発言をファシリテータがコントロールする。ニューヨークのACT UPでも、ミーティングはファシリテータによって見事にコントロールされており、複数の議題が次々に消化されていた。この時のミーティングの様子についてはまた後ほど触れたいと思う。まずは ACT UPというグループの成り立ちとアメリカでの主な活動を振り返りたい。

1981年から1987年にかけてアメリカでは4万以上の人々がエイズで死亡したとされる。大きな社会的問題であるにもかかわらず、レーガン大統領は当初エイズについて一切言及しなかった。ロン・ゴールドバーグは映画『怒りを力に・ACT UPの歴史』【2】の中で、当時エイズに罹患した人々は、薬物使用者やゲイ・バイセクシュアル男性など、 政府や権力者にとって「むしろ死んで都合がいい人々だった」と語っている。そしてそのような中、1987年3月10日、自らもゲイであることを公表し、エイズ危機の最初期に民間団体ゲイ・メンズ・ヘルス・クライシスを立ち上げた劇作家のラリー・クレイマーが歴史的な演説を行う。「きみたちは余命半年だ。さあ、どうする!」という激しいアジテーションがなされたというこの演説の二日後、ACT UPが発足した。

ACT UPは「AIDS Coalition to Unleash Power (力を解き放つためのエイズ連合)」の頭文字を取って作られた造語だが、そのままで「派手にやれ」というフレーズとしても理解できる。ACT UP発足の7日後、1987年3月19日、アメリカ食品医薬品局(FDA)は HIV 治療薬AZTを認可する。しかしその薬価は年間1万ドルという法外なものだった。3月24日、ACT UPはウォール街で最初のデモを行う【3】。またエイズを発症する人々にゲイ・バイ セクシュアル男性が多かったこともあり、ACT UPの活動は、セクシュアルマイノリティ(性的少数者)の権利運動の様相をあわせもつようになる。ウォール街でのデモの3ヶ月後、ACT UPはレズビアン&ゲイ・プライドパレードにフロートを出し、当時マス・メディアなどで語られはじめていた「エイズ患者の隔離」に反対の主張を展開した。 ACT UPは、ニューヨークのゲイ&レズビアンセンター1階、101号室で毎週月曜日に開かれる定例ミーティングによって運営されていた。

メンバーの中にはこれまでに様々な市民運動に参加してきた人々がいる一方で、市民運動の経験など全くない人々もたくさんいた。当初、その割合は半々だったという。ACT UPの活動は、女性の権利獲得運動や公民権運動の流れを引き継ぎつつ、同時に多くの全くの「素人」によっても支えられていた。参加者数は発足間もなく400人を越えた。市民運動での活動経験が長く、かつ ACT UPのアクティビストでもあったマキシーヌ・ウルフは当時の活動の印象を「互いが互いの生命を支え合っている」「肌に刺さるようなリアルな感触があった」と語っている【4】。またウルフはニューヨーク市立大学ハンターカレッジで1997年に演説し「私たちの仕事は、コーヒーやカクテルパーティーに招待されることではありません。私たちの仕事は、可能な限り迅速かつ直接的な行動を起こすことです」【5】と述べている。この直接行動という理念は、その後 ACT UPの活動を一貫して支えていくことになる。

ACT UPの主張は87年当時、薬価の値下げやエイズに関するマスコミの歪曲報道への抗議、政府の不作為に対する抗議などが主要なものだったが、1988年10月11日には初めて治療薬の早期認可を求めるデモが行われた。合言葉は「薬を体内へ!」だった。当時、アメリカ食品医薬品局(FDA)には審査前の治療薬が約80種類あるとされていたが、その審査には通常5年から10年がかかる。ACT UPはその期間の大幅な短縮を求めたのである。

映画『BPM』でも描かれる「赤い液体」を用いた抗議行動は実際にアメリカでも盛んに行われたものだが、1988年の FDA での抗議行動のそれが最初の事例である。この時期の FDA に対する抗議行動はマスコミでも大きく報じられ、結果的に FDAは新薬の審査基準を変え、臨床試験へのHIV陽性者の積極的参画が実現することになる。1989年3月28日にはニューヨーク市庁舎前で大規模なデモが行われ、貧困状態にある HIV 陽性者への居住環境の整備や医療制度の拡充を訴えた。この時期の活動では多数の逮捕者が出ているが、ほとんどの場合、即日か翌日には釈放されている。

1989年5月4日には、ACT UPはカナダ、モントリオールで開かれた第5回国際エイズ会議のオープニングセレモニーを占拠。会議へのHIV陽性者の参加を求めた。同年9月にはHIV治療薬 AZT を製造するバローズ・ウェルカム社への抗議行動をニューヨーク証券取引所で行い、4日後に同社は AZT の値段を2割引き下げると発表した。また当時、ニューヨークのカトリック教会はオコーナー枢機卿をはじめ、人工妊娠中絶と避妊に反対の立場をとっていたが、「避妊に反対」は同時に「コンドーム不使用の推奨」を意味していた。ACT UPはこの方針に反対するため、1989年12月10日、ニューヨークの聖パトリック大聖堂でダイ・イン(座り込み)を行った。この時、教会は7千人の市民や活動家に囲まれた。

ACT UPは1990年代に入ると、有色人種や女性、低所得者、薬物使用者を対策に含めるよう、さらに活動を展開させる。1991年1月、湾岸戦争が起こるとニューヨークのグランドセントラル駅を占拠、またCBSのイブニング・ニュースに乱入するなどの活動を展開する。

グランドセントラル駅の巨大なホールではピンクのバルーンを使って巨大な幟(のぼり)が掲げられ、そこには「お金は戦争ではなくエイズ対策に使おう」と書かれていた。1992年10月11日にはワシントンDC、ホワイトハウス前においてエイズで亡くなった人々の遺灰や遺骨を撒く抗議行動が行われる。これ以降、いわゆる「政治的葬儀」「抗議的葬儀」が行われるようになる。1996年には新しい治療法が発見され、HIV/エイズをめぐる状況は大転換することになるが、その後も ACT UPの活動は続き、現在へと至る。

あまり語られないことではあるが、その間一貫して存在したACT UPの大きな問題意識が「健康保険制度の改定」であった。この問題が大きく前進したのは、2008年の大統領選挙でバラク・オバマがいわゆるオバマケアを公約として掲げた時である。オバマケアの保険適用は2014年からはじまったから、ACT UPの結成から実に27年が経過してようやく健康保険制度の改定が実現したことになる。

ACT UPの活動についてもうひとつ大きな特徴が挙げられるとすれば、それは活動と共に出会いやセックスがあったという点だ。ミーティングの場は出会いの場であり、そこでは日常的にセックスパートナーや恋人と出会うことができた。ダドリー・ソーンダーズは「仲間がいたから安全なセックスは当たり前だった。考えるまでもなく実行した」と語っている。またマキシーヌ・ウルフは「真面目な社会 運動と楽しい生き方がうまく混じり合っていた。それが ACT UPの美徳だった」と語っている【6】。

先に述べたように、2016年夏、私はアメリカ、ニューヨークで ACT UPの定例ミーティングに参加した。一つ目の議題は「エピペン」と呼ばれる医療器具の値上げに対する抗議集会についてであった。「エピペン」は独占企業から供給されており、そこのCEOは年収18億円だという。やがて議論は抗議集会の内容へと移ってゆく。大きなエピペンの着ぐるみを作ろう。大きな張り子のエピペンを作って壊すとお金が出てくる演出をしよう、というように様々なアイデアが出てくる。

二つ目は海外の問題。フィリピンのドゥテルテ大統領が 「薬物に関わった」とされる人々は殺しても良いという声明を発表して以降、実際には薬物には関わっていないにも 関わらず、多くのマイノリティが差別による虐殺の危機に瀕しているという。いわゆるヘイトクライムである。セクシュアルマイノリティや HIV陽性者、セックスワーカーへのヘイトクライム/殺人が事後的に正当化できる(この人は「薬物に関わっていた」と証言すればいい)という状況に対して何ができるかが議論されていた。

現在、ACT UPニューヨークの定例ミーティングは月に1回である。エイズをめぐる状況は大きく変化したが、いまだエイズやマイノリティをめぐる社会的課題は山積している。活動はこれからも続いてゆく【7】。

【1】2016年8月30日に山田がニューヨークで実施したフィールドワーク。
【2】Documentary, "UNITED IN ANGER: A History of ACT UP" (2012),by Jim Hubbard & Sarah Schulman
【3】ACT UP New York records, 1969, 1982-1997, Manuscripts and Archives, New York Public Library, p5.
【4】Documentary, "UNITED IN ANGER: A History of ACT UP" (2012)でのマキシーヌ・ウルフに対するインタビュー
【5】ACT UP New York's organization document archive” After 10 Years of ACT UP_Maxine Wolfe_and her Oral History excerpt: Changing the CDC Definition of AIDS”(ACT UP Homepage, 2017.12.08参照)
【6】Documentary, "UNITED IN ANGER: A History of ACT UP" (2012)でのダドリー・ソーンダーズとマキシーヌ・ウルフに対するインタビュー。
【7】(参考資料)ACT UP New York records, 1969, 1982-1997, Manuscripts and Archives, New York Public Library.(ニューヨーク市立図書館が1998年に作成したアーカイブの2008年の改訂版)




原題は「120 BPM」でした。なんで邦題から数字削ったんだろう?因みに120は標準的なEDMテンポだよね。日本人向けに分かりやすく喩えるとミスチルのイノセント・ワールドが120だそうです。

前半はドキュメンタリー映画かと見紛うような展開、後半は一転しシリアスドラマ基調なのが面白い。最近はだいぶ免疫付きましたが容赦ないホモ要素連発。昔だったら「(劇中登場した)エイズ啓蒙ポスター アナルセックスVer」はモザイク処理だった筈だよね。
上述情報の通り監督さんが「ACT UP」メンバーだったそうなので、(主人公は中学生時の既婚男性教師との初体験で一発感染等)実体験に基づき描写される内容も結構事実よりだと信じて鑑賞しましたが、出る俳優出る俳優、みな美男ばっかりだったのがちょっと違和感。ホモだってブ男いる筈だし、ブ男のホモセックスがないとリアリティないよなぁ。とか思いながら観ていました。

ヒロインのアデル・エネル嬢は昨年公開された「【映画評】午後8時の訪問者」「【映画評】ブルーム・オブ・イエスタディ」と、すっかり日本でもお馴染みのフランス映画女優さん。彼女は確かレズだとカミングアウトしていた記憶があります。そういうキャスティングを意図したのかもね。ノンケじゃ演技が白々しくなるし。

ということで首相官邸前での「アベは辞めろデモ」とは違う命を削った暴力デモに戦慄します。ホモ苦手な方にもオススメ。力強い作品です。

満足度(5点満点)
☆☆☆☆

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