2017年06月26日

【映画評】ハクソー・リッジ

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私の沖縄戦記 前田高地・六十年目の証言 (角川ソフィア文庫)
私の沖縄戦記  前田高地・六十年目の証言 (角川ソフィア文庫)

沖縄戦「前田高地」争奪戦を描いたメル・ギブソン監督〜アメリカ映画。




 ROADSHOW

イントロダクション
第2次世界大戦の激戦地〈ハクソー・リッジ〉で武器を持たずに、
たった1人で75人の命を救った男の実話から生まれた衝撃作

 銃も手榴弾もナイフさえも、何ひとつ武器を持たずに第2次世界大戦の激戦地〈ハクソー・リッジ〉を駆けまわり、たった1人で75人もの命を救った男がいた。彼の名は、デズモンド・ドス。重傷を負って倒れている敵の兵士に手当てを施したことさえある。終戦後、良心的兵役拒否者としては、アメリカ史上初めての名誉勲章が授与された。
 なぜ、彼は武器を持つことを拒んだのか?なんのために、命を救い続けたのか? いったいどうやって、奇跡を成し遂げたのか? 歴戦の兵士さえひと目見て言葉を失ったという〈ハクソー・リッジ〉の真に迫る戦闘シーンが、
“命を奪う戦場で、命を救おうとした”1人の男の葛藤と強い信念を浮き彫りにしていく─実話から生まれた衝撃の物語。

皆が殺し合う戦場で、僕は命を助けたい
今明かされる、デズモンド・ドスの知られざる真実

 緑豊かなヴァージニア州の田舎町で育ったデズモンド・ドスは、第2次世界大戦が激化する中、陸軍への志願を決める。先の大戦で心に深い傷を負った父からは反対され、恋人のドロシーは別れを悲しむが、デズモンドの決意は固かった。だが、訓練初日から、デズモンドのある“主張”が部隊を揺るがす。衛生兵として人を救いたいと願うデズモンドは、「生涯、武器には触らない」と固く心に誓っていたのだ。上官と仲間の兵士たちから責められても、デズモンドは頑として銃をとらない。とうとう軍法会議にかけられるが、思いがけない助けを得て、主張を認められたデズモンドは激戦地の〈ハクソー・リッジ〉へ赴く。そこは、アメリカ軍が史上最大の苦戦を強いられている戦場だった。1歩、足を踏み入れるなり、目の前で次々と兵士が倒れて行く中、遂にデズモンドの〈命を救う戦い〉が始まる─。
本年度アカデミー賞R2部門受賞を始め34部門受賞!
同オスカー、ゴールデン・グローブ賞、
英国アカデミー賞含む102部門ノミネート!(2017.3.1現在)

 主人公のデズモンド・ドスを演じるのは、大ヒット作『アメイジング・スパイダーマン』シリーズで人気を獲得し、マーティン・スコセッシ監督の『沈黙-サイレンス-』で演技派俳優としても高く評価されたアンドリュー・ガーフィールド。デズモンドの人並外れた勇気と深い人間愛の源を理解するために、家族や生い立ちを徹底的にリサーチした。問題を抱えた父を持ちながらも、真っすぐに育ったデズモンドのピュアな心を体現し、彼の信念に命を吹き込んだ演技が高く評価され、本作で本年度アカデミー賞R主演男優賞に初ノミネートされた。
 恋人のドロシーには、オーストラリアの注目の新鋭女優、『聖杯たちの騎士』のテリーサ・パーマー。その他、友を戦争で亡くした悲しみを酒で紛らわせる父親には、『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズのヒューゴ・ウィーヴィング、大尉役に『タイタンの戦い』のサム・ワーシントン、鬼軍曹役に『Mr.&Mrs.スミス』のヴィンス・ヴォーンら実力派俳優が顔を揃えた。
 監督には、『マッドマックス』の主演でその名を知られ、数々の大ヒット作でスター俳優となると共に監督業にも進出、2作目となる『ブレイブハート』がアカデミー賞R作品賞、監督賞をはじめとする5部門に輝いたメル・ギブソン。『アポカリプト』以来10年ぶりの監督作となる本作が、本年度アカデミー賞Rの作品賞、監督賞を含む6部門にノミネートされ見事2部門を受賞した他、世界各国の映画賞に輝き、鮮やかな復活を遂げた。
〈ハクソー・リッジとは…〉第2次世界大戦の激戦地・沖縄の前田高地のこと。多くの死者を出した壮絶な戦いの場として知られている。ハクソーとはのこぎりで、リッジとは崖の意味。150メートルの断崖絶壁の崖が、のこぎりのように険しくなっていたことから、最大の苦戦を強いられたアメリカ軍が、“ハクソー・リッジ”と呼んだ。

ストーリー
 ヴァージニア州の豊かな緑に囲まれた町で生まれ育ったデズモンド・ドスは、元気に野山を駆け回る少年だったが、家族に問題を抱えていた。父親のトム(ヒューゴ・ウィーヴィング)は、兵士として戦った第1次世界大戦で心に傷を負い、酒におぼれ、母バーサ(レイチェル・グリフィス)とのケンカがたえない日々を送っていた。
 月日は流れ、成長したデズモンド(アンドリュー・ガーフィールド)は、看護師のドロシー・シュッテ(テリーサ・パーマー)と恋におち、心躍る時を過ごしていた。だが、第2次世界大戦が日に日に激化し、デズモンドの弟も周りの友人たちも次々と出征する。そんな中、子供時代の苦い経験から、「汝、殺すことなかれ」という教えを大切にしてきたデズモンドは、「衛生兵であれば自分も国に尽くすことができる」と陸軍に志願する。
 グローヴァー大尉(サム・ワーシントン)の部隊に配属され、ジャクソン基地で上官のハウエル軍曹(ヴィンス・ヴォーン)から厳しい訓練を受けるデズモンド。体力には自信があり、戦場に見立てた泥道を這いずり回り、全速力で障害物によじ登るのは何の苦もなかった。だが、狙撃の訓練が始まった時、デズモンドは静かにしかし断固として銃に触れることを拒絶する。
 軍服や軍務には何の問題もなく「人を殺せないだけです」と主張するデズモンドは、「戦争は人を殺すことだ」と呆れるグローヴァー大尉から、命令に従えないのなら、除隊しろと宣告される。その日から、上官と兵士たちの嫌がらせが始まるが、デズモンドの決意は微塵も揺るがなかった。
 しかし、出征前に約束したドロシーとの結婚式の日、デズモンドはライフルの訓練を終えないと休暇は許可できないと言われ、命令拒否として軍法会議にかけられることになる。面会に訪れたドロシーに、銃に触れないのはプライドが邪魔しているからだと指摘されたデズモンドは、その“プライド”こそが大切だと気付く。「信念を曲げたら生きていけない」というデズモンドの深い想いに心を打たれたドロシーは、「何があろうと、あなたを愛し続けるわ」と励ますのだった。「皆は殺すが、僕は助けたい」─軍法会議で堂々と宣言するデズモンド。ところが、意外な人物の尽力で、デズモンドの主張は認められる。
 1945年5月、沖縄。グローヴァー大尉に率いられて、「ハクソー・リッジ」に到着した第77師団のデズモンドとスミティ(ルーク・ブレイシー)ら兵士たち。先発部隊が6回登って6回撃退された末に壊滅した激戦地だ。150mの絶壁を登ると、そこには百戦錬磨の軍曹さえ見たことのない異界が広がっていた。前進した瞬間、四方八方からの攻撃で、秒速で倒れていく兵士たち。他の衛生兵なら見捨てるほどの重傷の兵士たちの元へ駆け寄り、「俺が家に帰してやる」と声をかけ、応急処置を施し、肩に担いで降り注ぐ銃弾の中を走り抜けるデズモンド。ひるむことなく何度でも、戦場に散らばった命を拾い続けるデズモンドに、感嘆の目を向け始める兵士たち。しかし、武器を持たないデズモンドに、さらなる過酷な戦いが待ち受けていた─。

デズモンド・ドスとは
 1919年2月7日ヴァージニア州生まれ。子供の頃から人を助けることが好きだったデズモンド・ドスは、ラジオで事故のニュースを聞いて輸血が必要な女性がいると知ると、片道約5キロも歩いて病院へ行き献血をしたという。

 大人になったデズモンドは、実際には教会でドロシーと出会う。当時、造船所で働いていたため兵役を延期することができたが、「命を奪うのではなく救いたい」と軍に入ることを決め、本格的な訓練が始まる前の1942年にドロシーと結婚する。デズモンドが武器を持つことを拒否したのは主に信仰心によるが、大きな転機となったのは、酔った父がケンカになった叔父に銃を向けたこと。映画ではそれが、父と母に置き換えられている。

 ライフル部隊に配属されたデズモンドが、同僚から嫌がらせを受けたのは事実。サム・ワーシントン演じるグローヴァー大尉は、上官にデズモンドを別の部隊に異動させるべきだと進言した。しかし、後に大尉は「彼が僕の命を救ったんです。皮肉ですよね。彼は最も勇敢な人物です」と語っている。

 ハクソー・リッジで仲間が撤退した後にも戦場にとどまり、もやい結びで一人ずつ崖から降ろしたのもすべて事実。デズモンドはその理由を、負傷した仲間たちより自分の命に価値があるとは思えなかったと語っている。

 戦後は、傷の後遺症に苦しみながらも家具職人として働き、ドロシーとの間に息子も生まれるが、1991年にドロシーが交通事故で亡くなる。2006年3月23日逝去。享年87歳。

〈良心的兵役拒否者とは…〉
宗教上などの信念に基づき、兵役を拒否する者のこと。アメリカでは建国当時から存在し、第二次世界大戦中も認められていた。戦争に参加しないという選択肢があったにも関わらず、ドスは自らを“良心的協力者”と呼んで従軍している。

プロダクション・ノート

亡くなる数年前にようやく許した映画化

 デズモンド・ドスが1945年10月にトルーマン大統領から名誉勲章を授かった時点から、彼の物語を映画化したいと考える人々が現れ始めた。しかし、デズモンド本人は静かな生活を送ることを選び、これを拒み続けた。2006年、デズモンドは87歳で亡くなったが、実はその数年前に、本作のプロデューサーのテリー・ベネディクトに、映像化の承認を与えていた。プロデューサーのビル・メカニックは、「デズモンドは人生の終盤になってようやく、彼の行為が語り継がれるべきだと言う人々の説得に応じたのだ」と説明する。

 メカニックは、ピューリッツァー賞に輝く脚本家のロバート・シェンカンに脚本執筆を依頼する。メカニックとシェンカンは、デズモンド本人の証言と陸軍の記録を徹底的にリサーチし、たとえ戦場でも人を殺すことは誤りだというデズモンドの揺るぎない信念がいかにして形作られたかを突き止めた。

 メカニックはこう説明する。「デズモンドが下した決断について理解するには、彼の来歴を深く知ることが不可欠だった。両親からの影響や妻となるドロシーとの出会い、年若い時期に基盤を固めた信仰心などがきわめて重要だった」

なぜメル・ギブソンか―『ブレイブハート』に繋がる物語

 デズモンドが成し遂げた偉業を映像で再現するためには、できる限り実録そのままを心掛ける必要があった。つまり、この映画の監督には大激戦を目眩がするほどのリアルさで再現できるだけの力量が不可欠なのだ。メカニックは、『ブレイブハート』でタッグを組んだメル・ギブソンに粘り強く打診した。「最初の脚本をメルに送ったのが2002年だ」とメカニックは振り返る。「メルは自分で温めてきたプロジェクトの方に精力を傾けていた。ところが3度目に送った2014年、メルは徹夜で脚本を読み、朝にはすっかりその気になってくれた。僕にとって本作は、『ブレイブハート』の姉妹作のように思えた。主人公の生い立ちや生きた時代は大きく異なるけれど、信仰、暴力、戦争というテーマは共通する」

 当のギブソンは、忘れ去られた英雄に光を当てる絶好のチャンスだと考えた。デズモンドは、たとえ世界中を敵に回しても、決して自らの信念を曲げない男で、そこに惹かれたのだとギブソンは語る。「最悪の戦場に武器も持たずに行くなんて、いったい誰が考える?」

 デズモンドは自らを、絶対に“良心的兵役拒否者”とは呼ばなかった。それは陸軍の用語であり、彼自身は自らを“良心的協力者”と呼んでいた。人を殺す義務を果たさなくても、大いに祖国に奉仕できると、揺るぎない信念を抱いていたのだ。「戦争に身を投じたいという情熱の強さでは、彼はまさしく戦争協力者だった。だが、命を奪うためではなく、救うために戦う者として従軍したいと考えた。そこに心を奪われたのさ」と、ギブソンは振り返る。

CGに頼らないリアルな映像で迫る史上最大の激戦

 のこぎりの歯を思わせる絶壁から“ハクソー・リッジ”と呼ばれた、沖縄の前田高地での戦いを、ギブソンはリアルなシーンに作り上げたいと考えていた。すでに独立戦争やベトナム戦争の戦闘シーンを描いてきたギブソンだが、今回初めて第2次世界大戦を描くことになった。

 ギブソンの作品へのアプローチは、とにかくできるだけ現実に近付けるというものだった。なるべくCGを使わずに、カメラでの撮影の効果を最大限に利用するのだ。メカニックがギブソン流アプローチについて解説する。「『ブレイブハート』から『アポカリプト』まで、メルのスタイルは“全てを実際に行う”だった。そうすることで観客は、まるで自分が実際にその世界にいるかのように感じられるからだ。」

 激しい照明弾が飛び交う戦場をセットとして再現するため、特殊効果担当のチームは新しい装置を作り出した。特殊効果の助監督であるロイド・フィネモアが説明する。「段ボール箱の中に、爆発物と飛び散っても安全な瓦礫を入れて地面に置くんだ。装置の中には閃光を発するための物質も入っているので、爆発の威力が大きいように見せることができる。」

 ギブソンがこう付け加える。「この装置によって、スタントマンたちは信じられないほど爆発に近付ける。撮影カットを 見せると、皆が『すごいCGだね。本物に見えるよ』と言うので、『これは本物の爆発だ。僕たちの特殊効果のチームはそれだけ腕がいいのさ』と答えたよ。僕はいつでも、瞬間の中にある真実を見つけ出そうとしているんだ。」

 メカニックは語る。「こうした爆発を見た観客は、自分が激しい戦闘の中に飛び込んだかのように感じるはずだ。その上、メルはカメラが戦闘のど真ん中にいるかのように撮影するので、衝撃がより強調されるんだ。」




浦添市サイトより
『ハクソー・リッジ』の公開によせて | 浦添市

日本軍の総反撃と死闘の末

 態勢を整えた日本軍は、前田守陣地を死守すべく物量に勝る米軍と死闘を展開していった。戦闘のあまりの激しさに米兵の中には発狂者も続出したといわれている。次にその戦闘状況を資料で跡づけていく。

「四月二十九日の未明から朝にかけて、日本軍は、第九六師団前線の前面にかけて総反撃にでた。午前五時十五分、第三八三連隊の第二大隊は、手榴弾や槍をもった日本軍の強襲をうけ、G中隊の一小隊などは、この戦闘で三十名から九名になってしまった。とはいえ、第三八三連隊では二回にわたる日本軍への猛反撃で、およそ二百六十五名の日本兵を倒し、またその日の午後の戦闘では、戦車隊や火炎砲装甲車を先頭に、二百名以上の日本軍をやっつけたのである。(一三四頁)

 四月二十九日に前線交替をするまでに、第三八一連隊は戦闘能力四〇パーセントに激減、損害じつに一千二十一名にのぼった。そのうち五百三十六名は、前田丘陵四日間の戦闘でなくしたものであった。また小隊の中にはわずか五名ないし六名しか残らないところもあった。兵の多くは消耗しきっていて、彼らを後方に運ぶため、丘の下でトラックが待っているにもかかわらず、そこまで兵器をもっていく気力さえ失っていた。

 第三〇七連隊が、四月二十九日浦添丘陵分水嶺に達しておどろいたことには、ニードル・ロックのてっぺんは、幅六十センチそこそこの広さしかないということだった。丘陵の南側はけずられたように急に落ち、高さは北側ほどではなかったが、日本軍が洞窟を掘り、トンネルを通したのはここである。地下壕でそれぞれの洞窟を連絡していることがわかったのはまったく偶然からで、五月二日、一台の戦車が一つの洞窟に六発の黄燐弾をうちこんだところ、十五分ほどたったころ、三十名ほどのかくれた陣地からもくもくと煙がでてきたのが目撃できたのである。

 前田丘陵に、はげしい争奪戦がくりひろげられた。いくたびか攻め、いくたびか攻められた。手榴弾は飛びかい、洞窟やタコ壺壕には弾薬がなげこまれ、夜は夜で、双方とも敵のいつくるともしれぬ夜襲におびえていた。米軍は地上軍に加えて、空からも応援をたのみ、爆弾やナパーム弾が毎日のように投下された。戦車と装甲車は南東の方面から猛烈に攻めたてたが、丘の頂はいまなお頑強な日本軍の手中にあって、兵隊の言葉をかりていえば『ありったけの地獄を一つにまとめた』ようなものであった。(一三五〜一三六頁)

 一方、第二七師団右翼のほうでは五月一日、第三〇七連隊第三大隊が仲間部落を攻め、そこから学校のほうにむかって進撃をつづけていった。ところがこの作戦中、日本軍の砲弾が後方の弾薬集積所に落ち、大爆発音とともに一瞬にして五名が戦死、米軍はかなりの時間、弾薬にこと欠いてしまった。二日になっても戦況は進展しなかった。3日になって、同連隊の第一大隊では手投弾戦で死闘をくりひろげたが、日本軍もまた、反対側丘腹から手投弾や機関銃弾を雨あられのようにそそいではげしく応戦し、加えて遠距離から八一ミリ砲白砲で攻撃したのである。

 それは全く地獄絵図だった。帰ってきた兵隊は『もう二度とあんなところへなんかいくもんか』と叫んだ。だが小隊長の話によると、そういった兵隊自身、五分もたつとふたたび手投弾をもって引返していって、栓をぬくが早いか、日本軍めがけて投げつけたのである。(一三六頁)

 前田高地の戦闘で、とくにめざましい働きぶりを示したのは、B中隊の衛生兵ドス一等兵。彼はセブンスデー・アドベンチスト教会の信者で、信教上銃はもたないことになっていた。そのため衛生兵に回されたわけだが、高地攻略戦中、他の兵が撃退されても彼だけは頂上にふみとどまり、何回となくロープで、負傷兵を下方に降ろし、洞窟から洞窟にとび回って、負傷者に救急手当てをほどこし、こうして日本軍の猛砲火の中を、実に多くの兵のいのちを救ったのである。彼はのちに議会名誉勲章を授けられた。

 浦添丘陵の戦闘で、米軍の損害は大きかった。三十六時間もつづいた一回の戦闘で、第三〇七連隊の第一大隊は、少なくとも八名の中隊長を失ったことがあった。また四月二十九日、八百名で丘陵を攻めたてた部隊の、戦いすんで五月七日、丘をおりるときは、三百二十四名に減っているところもあった。だがこの戦いで日本軍は推定三千の兵を失ったのである。」(一三七頁)

 この前田の戦闘では、血なまぐさい肉弾戦の末、米兵でさえ、日本軍の“バンザイ攻撃”を地でいくような行動に出たことが記録されているが、第三十二軍残務整理部資料によると、弾の尽きた日本軍の中には、石を投げつけて抵抗しようとした部隊もあったことが記録されている。

かなりハードルを上げて鑑賞しました。面白かったけど過去の戦争映画と比べるとどうなんでしょう。馴染めなかった点ですが、小隊に属す主人公が地獄より命を拾っていく他の隊員のパーソナルがよく分からなかった〜感情移入出来なかった。軍曹は分かりましたが、他のキャラについては顔も似ているし違いがよく掴めず。監督が拘った前半の非戦闘シーンの尺の一部を新兵訓練に回せばもっと色々サイドストーリーも肉付け出来たのでしょうけど、入隊前の描写は全体バランス的に長すぎない?「【映画評】ウォーム・ボディーズ」のお姉ちゃんは相変わらず可愛かったけど。

迫真の戦闘シーンについても、ほぼ全てが接近戦で、全体構成が分かんないです。激しさはあれど、互いのゴールが見えないのでなんかダレる。実際の戦闘は戦闘機でのナパーム弾攻撃などもあったそうですが、援護は艦砲射撃のみでしたね。割愛したのは予算の関係?それと両軍共に兵士は二十歳前後の筈なのに、若い俳優が殆どいなかったような。これは本作に限ったことではないけどね。

ということで、これは戦争映画の衣を借りた宗教映画ですね。宗教観、主演俳優、日本。スコセッシ作品とコラボしている。
【映画評】沈黙 -サイレンス-

メル・ギブソンは「パッション」みたいな映画を作りたくて堪らないのでしょう。イーストウッドの日米戦争映画とは根っ子が違いますねぇ。その辺が違和感の根源みたい。取ってつけたような切腹斬首とか、どこの昭和のフジヤマゲイシャだよ。

満足度(5点満点)
☆☆☆

映画見終わりまして改めて、こんな悲惨な戦争二度とやるべきじゃありませんし、特に美しい沖縄は永遠に平和であって欲しい。というのが皆の共通する願いであっても、その「平和を守りたい」という思考のアウトプットが、憲法9条を護れとか、自衛隊解体とか、米軍出て行けってのはどうなの?

先の戦争での反省点ってのは領土で揉めない、資源で揉めない、負ける喧嘩はしない。可能な限り敵を作らない。これらの対策を施すのが結果的に戦争回避=平和の維持・継続な訳で、戦後、全ての西側先進国の領土領民が戦火に塗れなかったのに、殊更日本だけが平和だった。憲法9条が護ってくれた。って論理としてインチキでしょ?戦後の日本の仮想敵は中国とソ連だけ。それら赤軍から領土を守ってくれたのは米国主導の西側軍事力。憲法9条が必要なのは第二次世界大戦終了直後の米国のような日本の仮想敵国だよ?



沖縄軍反対活動の中心たる暴力主義平和団体はミンダナオ島みたいに武装独立宣言したいのかなぁ。
フィリピン・ミンダナオ島の武装勢力占拠、長期戦になる可能性も - BBCニュース

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コメント
戦場に行く前の主人公がずーっとニヤケ笑いしてるのが苦痛でならなかっ
たんだけど、後半はハードなコンバット!な感じで面白かったです

あと崖の上の戦闘シーンはゾンビ映画だと思って見てました
最後の少林サッカーはさすがにちょっとやりすぎですね
Posted by LICCA at 2017年06月26日 12:44

東京、大阪のみならず、国内の都市の多くを

一般住民を的にして焼夷弾で焼き尽くし

広島、長崎に核爆弾を投下した国が

不思議とこういう僅かな話を

さも、美談の様に取り上げる。

usaならぬusoくさい国による

国民への一神教宗教的精神安定と洗脳。

戦争の本質の問題のすり替えでしょう。

好かんな〜

あ、大西洋横断のリンドバーグの本を

映画化して欲しいな。

絶対にハリウッドは、

作らんだろうけど。

Posted by 名無しさんはデマに苦しんでいます at 2017年06月26日 14:21
> 先の戦争での反省点ってのは領土で揉めない、資源で揉めない、負ける喧嘩はしない。可能な限り敵を作らない。これらの対策を施すのが結果的に戦争回避=平和の維持・継続な訳で、戦後、全ての西側先進国の領土領民が戦火に塗れなかったのに、

 日英同盟切られた理由が、イギリスが思っていたほど、日本が好戦的では無く、イギリスの中国利権に協力的では無かった・・・てのも大きいからなぁ・・・もうちょっと中国派兵を増やして「貸しを作るべきであった」てのもあるよ
Posted by 名無しさんはデマに苦しんでいます at 2017年06月26日 16:28
>大西洋横断のリンドバーグの本を映画化して欲しいな。

「翼よあれがパリの灯だ」じゃ、なにが足りないの?
Posted by 名無しさんはデマに苦しんでいます at 2017年06月26日 20:17
> >大西洋横断のリンドバーグの本を映画化して欲しいな。
>
> 「翼よあれがパリの灯だ」じゃ、なにが足りないの?

日本兵虐待の話だと思うよ
Posted by bob at 2017年06月26日 21:47
>日本兵虐待の話だと思うよ

なるほど「リンドバーグ第二次大戦日記 」の方ですか
Posted by 名無しさんはデマに苦しんでいます at 2017年06月27日 00:28
>日本兵虐待の話だと思うよ

ですよね。戦争中の日記みたいな本があって、米軍もオーストラリア軍も日本兵は捕虜にしないで殺すみたいな話を書いていたらしい。ネットでよく出てきた、オーストラリア軍が日本兵捕虜を輸送中の飛行機から突き落として、彼らはハラキリしたという報告で済ませたという話の出典もここからだと思う。
いずれにしてもオーストラリアとアメリカが日本絡めた戦争映画をつくっても見る気がしないな。
Posted by hanachan at 2017年06月27日 00:33
現代戦に於いても、「野蛮なイスラム教徒vsキリスト教」てなっているな・・・先の大戦では「太陽神信じる野蛮で未開の民に、科学的で文化的なキリスト教の真理知らしめるべく・・・」て言ってたし。当時は満州のアヘン。今はアフガンのアヘンにコロンビアのコカイン・・・トランプさんは、庶民感覚的に「麻薬撲滅」掲げているから、アフガンの政策も変わるかもね。その実タリバンは宗教的にアヘン禁止していたから潰された面も有るんだし。トランプさんはドラッグツーリズムにも目を光らせているから「麻薬密輸を含む不法ビジネスに手を染める不法移民の排除」が、何故か「移民反対法」とか報道されているし。EUがパトロンのコカイン、アヘン生産も多いんだと思う・・・トランプさん麻薬関係激おこで、EUでトン単位の摘発が相次いでます・・・
Posted by 名無しさんはデマに苦しんでいます at 2017年06月27日 06:12
米軍の戦闘の相手がわが軍(日本軍)であり、
戦場においての切腹のシーンがあったり、
また日本軍が白旗を挙げて油断した米兵に向けて手榴弾を投げるシーンなど、このような卑怯なことをわが軍が試みることが実際にあったのだろうかと感じることもありました。
Posted by worldwalker's weblog(・∀・)! at 2017年06月27日 17:48

そうで〜す。

USA的な日本人蔑視および下等民族扱い等、

リンドバーグが、自国民を深く考える様になった、

そして、その後、

彼は以前の様に英雄として評価されなくなった、

とかね。
Posted by 名無しさんはデマに苦しんでいます at 2017年06月29日 20:03

ビルマでは、英国軍と一緒に

拡声器により撃ち方を止め〜、と

そして両軍ともに負傷兵の救出を行ったそうな。


この映画で、主人公が負傷兵を助けようとしているのを

日本軍兵士が見たら、撃ち方止め〜、で

主人公が撃たれずに済んだ、

という事があったのではないのかな。


Posted by 名無しさんはデマに苦しんでいます at 2017年06月29日 20:09
スピルバーグ(太陽の帝国)、イーストウッド(硫黄島からの手紙)、メル・ギブソン(ハクソー・リッジ)と日本兵を描いた描いた映画あるけど、メル・ギブソンが一番エイリアン扱いしているな。ベトナム戦争の映画も酷かったし、アジア人蔑視は確実かと。
Posted by 通りすがり at 2017年06月29日 23:55
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