2017年03月29日

【批評 この世界の片隅に】隠岐さや香女史「映画版で省略された女や居場所、広島原爆。一体誰のためにそこまでまわりくどい表現をすることに拘る必要があったのか?」

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ピカドン PICADON
ピカドン PICADON

本作については当ブログもかなり厳しいことを書きました。元より原作ファンなので改悪批判、絶賛するサヨク方面批判、厚顔無恥な製作委員会朝日新聞へ対する天邪鬼ですけどね。
【映画評】この世界の片隅に

いろいろな意見があっていいと思うし寧ろ違う意見の方が参考になるのですが、こと「この世界の片隅に」については暗黙の了解的に聖域化されているようで、どこもここも批判を許さぬ大本営発表みたいな映画評。辟易します。「ララランド」はジャズ警察やミュージカル警察が口角泡を飛ばす酷評に溢れているのになんて自由な顔した不自由な言論空間。

以下、筆者の疑問箇所を抽出する形で適時引用。元はかなりの長文です。

『この世界の片隅に』と凶器としての「普通」 - messy|メッシー

「普通」の多義性と平凡に押し込められる女性像

「普通」とは何でしょうか。本作で「普通」はすずについてまわる言葉です。たとえば作中のクライマックスの1つに、既に人妻となった主人公のすずが、かつての幼なじみであった男性、水原哲の訪問を受け、言い寄られるシーンがあります。その時、水原はすずがとても「普通」であり、だからこそ良いという趣旨のことを述べます。

本作に対する感想や評を検索しても、「普通の人」「普通の日常」といったキーワードが散見され、更には戦時中を生き抜いた日本人女性全般を念頭に置いた「たくさんのすずさんたち」という表現すらみられます。このように「普通」は本作のヒロインの人となりに結びついた言葉であるばかりか、作品全体を貫く中核的なキーワードとみなされている様子が伺えます。

しかし、実際のところ「普通」という言葉とすずの造型には「かみあわなさ」もあると私は感じます。

広島、ほのめかしと省略

次に、「広島」について。まずことわっておくと私は広島出身者ではありません。だから恐らくよくわかっていないことは沢山あります。ただ、数年間広島に住んでいたので、広島県の「外」と「内」とで、どのくらい戦争や原爆といったことへの感覚が違うかを思い知らされたことはあります。

そこで思ったのは、本作において、広島の描き方はこれでよかったのだろうか、ということです。率直に言えば、この内容を語るのに、ここまで砂糖をまぶさないといけなかったのか? という気持がしてしまったのです。

(中略)だが、感動と衝撃の中にも私はつい思ってしまいました。

「何故この映画は、原爆体験の繰り返しのような独白を、呉で負傷した広島出身のヒロインに語らせたのだろう。何故、そのような『ずらし』をしてまで、広島の原爆についての直接描写を避けたのだろう」

(中略)ですが、私が改めて問いたいのは、本作の制作陣が「一体誰のために、そこまで『まわりくどい表現をすること』にこだわる必要があったのか?」ということです。

そして、だいたいの答えを私は推測できる気がしています。それは、原作者があまりにもよく「広島で原爆について語る事」の意味を知っていたから、そして同時に、日本の大半の人々があまりにも広島について無知であることをも知っていたからではないでしょうか。

映画版で省略されたもの——女と「居場所」

最後に、漫画版『この世界の片隅に』(双葉社)についても触れておきます。漫画版は少なくとも女性の生き方という問題については、映画版より複雑なメッセージを伝えるものとなっています。

その違いは主に、遊郭に生きる女性、白木りんの登場シーンが映画版では相当に削除されている事に由来します。

映画版では通りすがりですずに道を教えたり、すずの落描きに喜んだり、というシーンだけが印象に残るこの女性、漫画版ではヒロインの夫である周作が過去に通っていた遊女という設定となっているのです。しかも、真面目な周作は一時、彼女との結婚を考えていたらしいことまで示唆されています。

映画化するにあたりエピソードを整理するのは普通なので、尺の問題でりんのことは省かれたのかもしれません。だが、それにより映画版からはすずの女性としての葛藤が消えました。その分、義理の姪に当たる幼女の晴美(後に不発弾で死ぬ)と戯れる姿や、戦時の窮乏生活で家事を工夫する姿の印象が強く残ります。りんがいなくなることで、映画版のすずのイメージは「絵が好き」「家事を楽しむ」に集約され、「女」よりは「少女」と「母性」を行き来する存在になったのです。

映画でも言及はされる、すずの「居場所」の問題も、漫画版ではよりストレートでわかりやすいものになっています。夫の過去を知ったすずが、自分は居場所を見つけたと思ったが、誰かの「代用品」であったのかと思い悩む。更には夫の愛も疑わしい中、晴美が死に、婚家に留まる意義を見失っていく様子が克明に描かれているのです。

原作ファン的に原爆描写については「夕凪の街 桜の国」とセットで考えるので特に違和感ないのですがそれは原作ファン固有のマニアックな視点であって、俯瞰するとバランスを欠いている感は否めません。だからといって原爆被害まで追加しろというのは流石に暴論。昭和世代なら結構知っている「アニメ ピカドン」デジタルリマスター版と2本立てだったらよかったのにね。
戦争被害者が描いた絵を元にアニメ化する手法は中途半端な実写版より余程いいよ。



追記:「りんさん」問題についてコメント欄で寄せられた漫画アクション編集部ツイッター画像を参考添付。
発言がどんどん変節しているような気が。
【この世界の片隅に】製作委員会朝日新聞社の検閲と訝しまれた「遊女エピソード削除」は監督の意向「これ以上すずさんを苦しめたくなかった」

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コメント
緻密な考証やリアル、普通と言うものを売りにしてしまうと、どうしても反発は出ますわな
「沈黙」も、なぜ日本でキリスト教が禁止されたのかや、宣教師の「役割」について書かれていないと
よせられていたようで。今後歴史モノは当事者がおらずとも覚悟せにゃならんのでしょう

リンさんの件について、2/6の漫画アクション編集部‏ツイッターが町山×監督対談記事を一部のせとりますが
カットした理由がユリイカと変わっとりました。どちらが本音かはわからんが、商売上手ですわ


Posted by 名無しさんはデマに苦しんでいます at 2017年03月29日 20:47
「普通」という言葉はすずさんの個性に対してではなくすずさんの在り方(戦争という多くの人の運命を変える出来事の下にあってもすずさんはすずさんであり続ける)と解釈してました。
「原爆」に関しては自分自身も「夕凪の街 桜の国」から入っていたので特に疑問に感じていませんでしたが、しかし、いつもいつも戦時中の「広島」を描く時は「原爆」でないといけないという呪縛から解き放たれてもいいのでは、とも思いました。「原爆」を描いた優秀な作品はすでにたくさんありますし。
「りんさん」については完全同意。尺の関係だかで仕方はないんだろうというのは理解しますがあれですずさんがみんなが理想化する戦時中に市井で一生懸命健気に生きる「きれいなすずさん」に仕上げてしまった気がします。あののんさんの可愛らしい声がそれをさらにパワーアップしてる気がします。
Posted by 名無しさんはデマに苦しんでいます at 2017年03月30日 14:16
> 「りんさん」については完全同意。
文尾に外部情報追記しましたので参照下さい
Posted by bob at 2017年03月30日 14:58
追記www。
人のよさそうな顔して意外と食えないおっさんだなw。
まんまと乗せられたのか。


Posted by 名無しさんはデマに苦しんでいます at 2017年03月30日 16:08
以下、ネタバレあり。

私もこの作品絶賛には強い違和感を覚える1人です。作劇上の最大の失敗はすずさんの「怪我」だと思います。もちろん、あのような傷を受けた方がたくさんいることは承知しています。

だけど、フィクションであれをやると、もう観客の注意は体の一部にしかいかないんですね。これまで描いた世界が吹っ飛んでしまう。もちろん、そういう障害をテーマにした作品なら、それでいいのですが、違いますよね?時代を描きたいなら絶対違います。
Posted by 通りすがり at 2017年03月30日 21:43
予算の制限がある上で、どこを「削るか」という問題。
原作を丁寧になぞった上で、精緻な描写を諦めるという方法があります。
「よくある日本映画」の手法ですね。
この監督はそれをやらなかった。
ストーリーを大幅に削って、描写の精緻さで手を抜かなかった。
で、大ヒット。制作予算は確保され、精緻な描写のまま、完全版制作決定。
これをもし、「よくある日本映画」にしていたら、ここまでヒットしていたかどうか?
予算が限られている中で精緻な描写ストーリー完全版を作るにはどうしたらいいか?
この監督の戦略は極めてクレバーだと思います
Posted by 名無しさんはデマに苦しんでいます at 2017年04月01日 01:03
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