良心的愛知県立大文化人類学者「初日舞台挨拶に聾者を招待せず手話通訳もいない。2週目から日本語字幕付上映を開始する聲の形はヘイト映画」
mixiチェック聲の形(5) (週刊少年マガジンコミックス)
ノーマライゼーション提唱でなく監視。検閲。恫喝。
期待通り良心的地球市民の大量爆釣が続く映画「聲の形」でして、件の准教授はご夫婦で「日本語字幕がない邦画は観ない」ポリシーだそうで、まるで堺市ちびくろサンボ公務員家族を彷彿する団結力。こういう輩が鬼の首を獲ったように恫喝するからマイノリティを題材にした作品は萎縮し、自然敬遠されるのが世の常。原作者と京アニさんは糾弾を怖れず頑張ってね。
昨日から上映の『#聲の形』を見た聞こえる人たちの、感動しました!的な感想が流れてくると、少々むごいですね…
— KAMEI Nobutaka (@jinrui_nikki) 2016年9月18日
あのー、聞こえない人たちはアクセスできていないのだよね。待たされているんだよね。
表現の自由は尊重するけど、ちょっとイヤな構造が見えてしまって釈然としない連休のなか日。
私ら夫婦は映画好きなんですが、「字幕のない日本語映画は観ない/関心をもたない/話題にしない」の三ない運動を徹底しているので、さっさとネタバレ記事読んでしまって興味を失い、日本映画産業の衰退に拍車をかけています。
— KAMEI Nobutaka (@jinrui_nikki) 2016年9月18日
洋画には通うけどね。
ほんと、顧客を大事にしない業界だなあと思う
『#聲の形』(@koenokatachi_m)の上映初日舞台挨拶に「手話通訳の準備はありますよね?」という質問・要望があって当たり前なのです。
— KAMEI Nobutaka (@jinrui_nikki) 2016年9月18日
まさか、聞こえない人たちを主題とする映画が、ろう者を招待せず、手話通訳も用意しない「聞こえる人たちだけのための行事」をするわけないよね?
映画『#聲の形』(@koenokatachi_m)をきっかけに考えました。
— KAMEI Nobutaka (@jinrui_nikki) 2016年9月18日
「聞こえない人をネタにしつつも、結局は聞こえる人たちが進め、かつ楽しむこと」というのは、その辺に横行していませんか?
映画、行事のみならず、役所や学校、大学、職場なども。人ごとではないな、と受け止めました
映画の日本語字幕の準備ができているなら、初日からそれで上映すればいいのに。なぜ聞こえない客は1週間待たねばならないのか?という素朴な疑問があって。
— KAMEI Nobutaka (@jinrui_nikki) 2016年9月18日
本当にそう思います。なぜ遅らせた?
こんなこともう二度としないでいただきたい。同日上映開始を。
>> 映画の配給と上映の責任者各位
時どき勘違いする人がいる。字幕付き上映がある以上、聞こえない人たちは観に来い、と。違います。
— KAMEI Nobutaka (@jinrui_nikki) 2016年9月18日
観に行くかどうかは本人たちの自由です。さらに、作品をほめるかどうかも、本人たちの自由です。
選択の自由を守るために、字幕上映をせよと言っています。唯一の原理は「個人の自由」。それだけです
映画に字幕付けたからと言って、ろう者たちがみなその作品をほめるとは限りませんよ。
— KAMEI Nobutaka (@jinrui_nikki) 2016年9月18日
極端な話、ろう者たちがボロカスのように文句言うかもしれない自由を守るためにも、字幕付き上映は必要だということです。
表現とはそれくらいオープンでなければならず、それすら怠る作品は表現の名に値しません
「なぜ2週目から?」 映画「聲の形」日本語字幕の対応巡り疑問の声 - BIGLOBEニュース https://t.co/gF9NHnGP8P via @BIGLOBEニュース
— KAMEI Nobutaka (@jinrui_nikki) 2016年9月20日
「少し違いのある他人の境遇をまったく想像できない症候群」がわんさかわいていて。多数派による表現の自由の名において、少数者の人たちの主張を押しつぶし、心に負荷をかけています。
— KAMEI Nobutaka (@jinrui_nikki) 2016年9月20日
こういう事態への長期的な視点での処方箋を提示するのも、文化人類学の仕事だろうなあ。という雑感を抱いています
「字幕上映はある。1週間も待てないのか」というのは表層的な認識。
— KAMEI Nobutaka (@jinrui_nikki) 2016年9月20日
本作だけが批判されているわけではなく、「いつもいつも無視・軽視・後回しの繰り返し。学校でも役所でも人間関係でもそのほかでも。もう、たくさんだ!」という聞こえない人たちの憤怒の象徴が、「1週間の時差」に現れていたわけ
今回はとくに顕著でした。「予算がない」「技術的にムリ」などの物理的な制約がどうやらなさそうな状況の中で、決断さえすれば対等な上映ができたはず。
— KAMEI Nobutaka (@jinrui_nikki) 2016年9月20日
それをさまたげたのは何ですか?やはり、聞こえる人たちを優先し、聞こえない人たちにはガマンしてもらえばいいという「判断」があったはずです
日本映画界は敵ではないが、構造的にマイノリティを軽視し続けてきたのは事実です。
— KAMEI Nobutaka (@jinrui_nikki) 2016年9月20日
願わくは、著名な監督や俳優/女優、声優、脚本家など、映画界で力をもつ人たちが、このような問題にどんどん発言してくれる風潮になりますように。客側からだけでなく、創り手側からも風向きが変わるといいけどね
あらためて思いましたけど。『蜘蛛の糸』のカンダタみたいな発想、多いよね…。
— KAMEI Nobutaka (@jinrui_nikki) 2016年9月20日
「自分だけは救われたい、しかし、他の人たちが同じように救われることは、足蹴にしてでも阻止したい」というメンタリティ。
本当は、そんな奪い合いではないはずなのにね。蜘蛛の糸を増やせばええやん、という話なのに
この大先生の論法を踏襲すると、下肢切断ヒロインを演じたマリオン・コティヤール主演「君と歩く世界」や四肢麻痺主人公の性処理を描いた「セッション」上映の際は客席の一定割合を車椅子スペース、移動用担架スペースに開放せよ(但し観に行く行かないは障害者の自由)みたいな、赤い貴族にありがちの非現実的要求に相手が屈するのを見て悦に浸るいつものパターン。
例えば松竹と掛け合い舞台挨拶の手話通訳を斡旋、近隣の聾学校生徒を愛知県立大学生が招待するとか、行政や大学を巻き込み小中校や聾学校で巡回字幕上映会を開催するとか、そういう具体的且つ楽しい発想や提言は微塵もなく、肩書を誇示しながら上目遣いで「俺ら夫婦は日本語字幕がない邦画は観ない」という社会的にどうでもいい次元に収束するのが映画並みに面白いですね。亀井伸孝の研究室: 履歴書
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業界はこういうダニに決して屈してはならない。
そんな自分をみんな褒め称えるべき。
俺様を褒め称えない奴はまちがい。
殺人鬼が主役だと殺人鬼を招待するのか?w
同意。既得権益ですんで。
字幕を付けたら、次は手話通訳を要求しますよ。
そして、経費節減のためにCGを使って、アバターの手話通訳を付けたら、激おこ。
「なんで普通の人間の手話通訳(最低時給1万円x15分交代なんで最低2人)にしないんだ!」
手話通訳は、英語の同時通訳並みのコストです。
文部科学省の立場は、字幕でOK。あと、対面対応は、紙とペンがあれば十分... なんですがねぇ。
「エレファントマン」の招待試写はすごかったらしいです
ほんとこれ
本当に聲の形を聴覚障害者にも見てもらいたいなら
手話を学んで、配給会社巻き込んで、ボランティアで手話通訳上映会やればいい話