2016年02月16日

【ハンギョレ】「慰安婦、日本陸軍が主体となった典型的な人身売買であった」という典型的朝日新聞脳に朴裕河教授反論

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帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い
帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い

ハンギョレが日本語で読めるようになって便利になりましたね。以前は日韓ロボット翻訳経由で一生懸命読んでいましたよ。ナヌムの家=挺対協=対南工作機関のプロパガンダ情報に立脚した報道しか知らない朝日新聞脳や報道ステーション脳、しばき脳、シールズ脳な良心的日本人にとって、ネトウヨといっても過言でない韓国左派からのメッセージは劇薬かも。

以下、お互い属する国家が違うというポジショントークを織り込んでもなお、従軍慰安婦問題に関心がある方は是非お読みくださいという内容。反論テキストの元となる「帝国の慰安婦 公式要約版」並びに、北朝鮮工作機関怪文書をこつこつ拡散している北原みのりさんのテキストを文尾に参考貼付しました。慰安婦問題を絶対解決させない!という慰安婦ビジネスご本尊筋の力強い意志が感じられます。

「慰安婦」強制連行、『帝国の慰安婦』著者の朴裕河教授の反論 : 政治 : ハンギョレ

「慰安婦」強制連行、『帝国の慰安婦』著者の朴裕河教授の反論

 去る1月23日、『ハンギョレ』に「慰安婦、日本陸軍が主体となった典型的な人身売買であった」というタイトルの記事が載った。 確かに朝鮮人慰安婦動員はいわゆる「軍人が連れていった物理的強制連行」ではなく「人身売買」の枠組みのなかでのことだった。実際、学界ではもはや「軍人が強制的に連れていった」というような議論はしていない。日本の強制性とそれに伴う法的責任を立証したがる学者たちの論議は、せいぜい移送時に日本軍部の船で移送したから日本国家の責任であるとか、騙されてつれて来たのを黙認したから犯罪である、という程度の議論である。

 そうした事実がこれまで韓国社会に広く知られてこなかったのは、関係者たちがその部分について社会に向けて明確に言ってこなかったからである。また一方では強姦は存在したが、慰安所での性関係が基本的には対価が支払われた関係だったことも、学者ならば誰でも知っている事実だ。よって慰安婦問題をめぐる「混乱と不信」は、キル・ユンヒョン記者が主張したような「簡単で中立的な言語の提示に失敗」したからではない。2014年8月に『朝日新聞』が過去の「強制連行」記事の内容を公式的に取り消し、修正して以降、似たような発言をする韓国人学者や言論、あるいは支援団体関係者たちがいなかったからである。

(略)

 また、慰安婦を連れていった者が「剣を帯び、帽子をかぶった」「日本軍人」に見えたからといって、必ずしも軍人と断定できるわけではない。キル記者が引用した安秉直教授もいうように、日本軍は業者を軍属待遇し彼らに軍服を支給した。よって「結局、朝鮮での慰安婦動員は日本とは異なり性売買の経験のない未成年女性が多く、その手法も当時の日本の刑法の基準からみても犯罪といえる就業詐欺が大部分」だと断定できるわけではない。自ら行ったり、少女が属した共同体が知っていながら守らなかったケースもまた少なくないからだ。日本政府は業者の便宜をはかったが「管理」は管理監督の意味が強く、業者が慰安婦を搾取しないようにした。

(略)

「性奴隷」の主人は誰か

 植民地警察は当時横行した詐欺や誘拐を基本的には取り締まった。日本本土でなされた国民への法的保護は全く同じではないとしても、植民地でもなされた。植民地の女性たちだけが詐欺や拉致されるようにするほど、「植民地警察」が不道徳であったというのは、90万近い「植民地日本人」の存在を認識できていない発言だ。植民地警察は「抱主たちの涙も人情もない行為に対しては当時の警察も憤りを感じ、その署では再び転売したところに紹介して最後まで救う方針で努力」した。また警察は「女性を凶悪な抱主の手から再び北支へ売り飛ばされる前にそれこそ危機一髪」(『毎日申報』、日帝強占下強制動員被害真相究明委員会、『戦時体制期朝鮮の社会相と女性動員』から再引用)直前に救助しもした。

 もちろん朝鮮人を含む植民地警察が植民地人に過酷ではなかったという話ではない。だが彼らもまた「法」に反することを取り締まる程度の仕事はしたし、女性たちの慰安所行きを防ごうと努力した痕跡も見える。帝国日本の軍部と業者はいつでも共犯だったわけではない。騙されて慰安所に来た場合、軍部が他の場所に就職させたケースはそれを示している(長沢健一『漢口慰安所』)。あるいはあまりに幼ければ帰しもした(『帝国の慰安婦』)。この二つの事実は、軍部の基本方針が詐欺や拉致性の人身売買を許容しなかったことを示している。植民地警察は契約書を書くよう業者に指針を下し、慰安婦となる当事者たちにも、渡航許可願を提出するようにした。このような「契約」という罠にしばられた慰安婦が「廃業」をするのが難しかったのは、彼らが身代の所有者である「業者」の奴隷だったからである。

 業者には日本人も多かった。特に規模が大きい遊郭などはむしろ日本人業者多かったようにみえる(西野瑠美子ほか『日本人「慰安婦」愛国心と人身売買と』)。国家政策に協力し経済/利潤を追求した中間階級の問題をみなければ、慰安婦問題の全貌をみたとはいえない。そして私たちは、いまだ男性の責任はもちろん、貧困階層を搾取する者たちの責任を問うたことがない。民族主体と異なる主体の責任を問うことを、ただ日本の責任を稀釈させるものとのみみなす主張は、階級と男性の責任を隠蔽する。

同志的関係/帝国の責任

 「韓国人はいつも貧しかったから、花盛りの娘たちが承諾のもとに稼ぎに行くんだよ。その時の金で五十円や百円もらえれば、期限は五年期限だか三年期限だかというように。戦争や日本人にやられた人たちが実際には多いよ。自分が金を稼ぐために行った人は多いからね」(『強制的に連れていかれた朝鮮人軍慰安婦たち』5)という証言は、長らく埋もれてきた。「自分が金を稼ぐため」に行ったことをみることは、「満州の話は私は誰にもいわない。恥ずかしくて…家にきて質問されれば、やられたことだけ話してあげるよ」(『強制的に連れていかれた朝鮮人慰安婦たち』4)というように、自己検閲した証言が稀釈されることだと考えたためだ。

 しかし「韓国人はいつも貧しかったから」というこの証言ほど「帝国の支配構造」を明確に語った証言はほかにないだろう。ところが一つの声に一元化された20年の歳月のなかで、「強制連行は無かったと思う」と語ったお婆さんは、ただの一度もその言葉を公衆の前でいうことができないままこの世を去った。そしてこのお婆さんが亡くなると、支援団体はすぐに「お婆さんは国家賠償を願っていた」とインタビューで語ったことがある(2014年6月、ナヌムの家所長)。私はこうした人々の声を復元しようとしただけだ。強制であれ自発であれ、あるいは売春経験があろうがなかろうが、私は彼女たちを被害者であると考えた。

 『ハンギョレ』記事は朝鮮人慰安婦を「性売買経験がない」無垢な少女といいたがるが、こうした発想は少女ではない成年/売春女性たちを排除する。ところがこの記事にも出てきたように、慰安婦募集は30歳まで許容されていた。30歳の売春婦は被害者ではないのだろうか。1970年の『ソウル新聞』には「花柳界女性」もいたとはっきり書いてある。慰安婦を「少女」と考えたがることは、植民地を汚点のない「純潔な少女」と表象したい欲望が仕向けることだ。何より「未成年の少女」に対する執着は、むしろそれとは異なる慰安婦たちを抑圧する。

 私が「同志的関係」という用語を使ったのは、「他はいいとしても日本は北朝鮮と韓国にはあげなきゃだめだ。台湾までも理解できる。あそこも姓と名も日本式に直したから。私たちが国のために出なければいけないと同じ日本人扱いしたんだ。そうやって連れていったんだから、必ず補償をしなきゃならない。でも中国、フィリピンはみんな営業用で金を稼ぎにいったんだ。だからそれにはあげなくても大丈夫だよ」(『強制的に連れていかれた朝鮮人軍慰安婦たち』5)という声に、早くから出会っていたからだ。「同志的関係」があったが要求される構造であったし、それに従う「同志構造内の差別」について十分に説明した。しかし私を非難する人々はそれを黙殺した。

 私は慰安婦を朝鮮人日本軍と同じ徴兵と同じ枠組みで考えねばならないと考える。だが「法」は「軍人」は保護したが「慰安婦」は保護しなかった。日本人慰安婦に対しても同様であった。慰安婦がしたことを近代国家システムが必要視しながらも軽蔑したからである。「法」に依存し、歴史を判断する法至上主義ではなくても、歴史に対する反省、謝罪と補償は可能である。韓日合意は日本が謝罪と補償的意味を公式的に表明したという点で意義がある。ただ政府間合意のみでは十分ではない。加えて被害者の考えも一つではない。遅きに失したがいまこそ国民間合意のための論議を始める必要がある。

朴裕河(韓国・世宗大学校日本文学科教授)

韓国語原文入力:2016-02-10 10:43


※下記「帝国の慰安婦 要約版」は全て読むのに15分程度掛かります。

<帝国の慰安婦ー植民地支配と記憶の闘い>要約

2013年夏、韓国語版<帝国の慰安婦>の原稿を送った直後に日本で講演依頼を受けて書いてみた原稿があります。当時フェイスブックに<ノート>として載せましたが、その後日本語版を書きながら得た認識を踏まえて少しだけ補足しました。フェイスブックページはフェイスブックユーザーでなくても読めるので、それぞれのコミュニティ空間にシェアーしていただければ幸いです。

あらためてアップする最大の理由は、両極の批判者たちが
(悲しいことに、これまで解決を望んで来た側の人たちの批判がより本格的で多いようですが)細部・部分だけを切り取って勝手な解釈を加えているからです。要約とてもちろんその危険性はありますが、先日の英語要旨同様、意図的な誤読や勝手な解釈が出回っているので、まずはこちらをご参照くださいますように。

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慰安婦問題、どのように考えるべきかー秦郁彦・吉見議論(2013・6)を踏まえて(2013・7・15、明治学院大学)
慰安婦問題はどのように考えるべきなのだろうか。昨今大きな混乱を呼んでいるこの問題について、とりあえず日本で「慰安婦問題の第一人者」とみなされている二人の歴史家のお話に議論を添わせる形で話したい


ここで議論の土台にするのは、去る6月にラジオで放送された「秦郁彦 吉見義昭 第一人者と考える慰安婦問題の論点」である。安倍首相は「歴史家に任せたい」としていたが、歴史家の「第一人者」の議論がなかなか接点を見いだせていないことから分かるように、慰安婦問題はもはや単に「歴史家」の考えだけでは日韓の合意どころか「日本内」の合意さえ見いだせない状況となっている。

日本内、あるいは日韓間の「合意」を導き出すのが難しくなっているのは、この問題がすでに長い間解決されないまま長引き、両国民の多くがこの問題に関してかなり詳しい「情報」を持った結果として政治問題となってしまったからである。それには、「慰安婦」そのものをめぐる情報や考え方の食い違い自体よりも、現在身を置いている政治的立場やそれに伴う感情までが入り込んでしまったという背景がある。さらに、この問題に直接・間接にかかわってきている人の数が多く、そのほとんどの人たちが間接的な「当事者」にもなっていて、かかわった期間が長かっただけにそれぞれの主張が自らの価値観や政治的立場を示すものにさえなっていることも、既存の考え方や立場をなかなか崩せない大きな原因となっている。

この問題について考える時もっとも必要と思われるのは次のことである。
1)できるだけ早い解決
2)この問題を「慰安婦」という存在自体をめぐる状況はむろんのこと、ここ20年の運動や葛藤の様相についても知る。
3)これまで関わってきた人のみならず、、一般識者や市民たちがこの問題を考え、声を出す必要がある。

1、「慰安婦」とは誰か
近代以降、交通の発達や国家の勢力拡張の欲望を内面化する形で、海外へ単身で移動する男性たちは多かった。そしてそのような男たちを支えるために女性たちの「移動」も多くなった。日本の場合、最初は日本に入ってきた外国軍人のためにそういう女性たちが提供されていたが、同じ頃から海外へもでかけるようになっていた。いわゆる「からゆきさん」がそれで、彼女たちの殆どは貧しい家庭出身で親に売られたり家のために自分を犠牲にした女性たちだった。

そして彼女たちは朝鮮に駐屯した軍隊や国家の移住奨励政策に従って移住していった男たちのために朝鮮にも移住して行った。やがて朝鮮半島にも公娼制がしかれ、朝鮮人女性もそこで働くようになる。すでに日露戦争の時から軍人たちを「慰める」女性たちはいたのであり,軍隊を支える役割をしているという意味で彼女たちは「娘子軍」と言われていた。

つまり、「慰安婦」とは基本的には<国家の政治的・経済的勢力拡張政策に伴って戦場・占領地・植民地となった地域に「移動」していった女性たち>のことである。商人や軍人が利用した「慰安所」のようなものは早くから存在していた。「慰安所」や「慰安婦」という名前は1930年代に定着したようだが、その機能は近代以降の西洋を含む帝国主義とともに始まったと見るべきである。

2、「慰安婦」と「朝鮮人慰安婦」
当然ながら、日本の場合は遠い海外へ「国家のために」でかけている男性のために「慰安婦」が用意されるのでその対象は「日本人女性」だった。ところが、朝鮮が植民地となったがために「朝鮮人女性」や台湾女性もその仕組みに組み込まれることになる。1920年代にはすでに中国や台湾には朝鮮人女性も海外にいる「日本人」や「日本人となった朝鮮人」を相手するためにでかけていった。のちの「朝鮮人慰安婦」の前身と見るべき存在である。

3、「からゆきさん」の「娘子軍」化
からゆきさんの中には、たとえ売られてきていわゆる「売春」施設で働いても、拠点を築いた女性たちは「国家のために」来ている「壮士」たちのためにお金や密談のために場所を貸すような立場の女性たちもいた。彼女たちが「娘子軍」と呼ばれるようになったのはそのためで、そのようにして彼女たちは蔑まれる一方で「格上げ」されることになる。一方彼女たちも、間接的に「国家のために」働く男たちを支え、郷愁を満たしてあげることでそれなりの誇りを見いだすこと(もちろんそれは戦争に突き進む国家の帝国主義の言説にだまされたことでもある)もあった。「慰安婦」とはそのような仕組みが支える名称である。

4、様々な「慰安所」
したがって、日本軍が1930年代に入って突然「慰安婦制度」を発想して<「慰安所」を作った>のではなく、それまでにあったことをシステム化したと見るべきである。他国の場合と違うのは、‘愛国心がその仕組みに利用されたことである。

日本軍は、満州国と日中戦争のために駐屯軍のために、それまで衛生など(内地なら警察が管理していた)の「管理」をしてきた売春施設のうち(料理屋、カフェなどにはその役割をしたところもあった)、基準を満たすところを「指定」して「軍専用の慰安所」にした。しかしやがて軍隊の数が増えたことや、便宜性などを考えシステム化するにいたったのである。そして業者を使って「募集」するにいたったが、その形はさまざまであった。
つまり今日「慰安所」と考えられているところには、必ずしも軍が新たに作ったところだけではない。日清・日露戦争以降の既存の施設も含まれ、すでに個別に働いていた人たちに軍が接受した場所を提供し、「収容」する場合もあった。「業者」を、移動や経営に関する便宜を与えるために「軍属」(あるいは軍属扱い)にする場合もあった。

しかし、それはあくまでも「軍が作った」慰安所に限る。したがって「慰安所」の形が様々であるだけに、「業者」のあり方も様々だった。島などの場合、業者自ら、自分で粗末な「慰安所」を作り、「臨時営業」(一種の派遣業務)を始める場合もあった。しかしいずれにしても戦場の場合、移動に関して軍の許可が必要だったため、基本的にはその多くの動きを軍が知り、統括していたのは間違いない。しかし、将校などは指定慰安所を使わずに、普通の料理屋を慰安所として利用する事も多かった。
軍が慰安所を作った(指定した)理由は、言われているように性病防止やスパイ防止以外にも、利用軍人が多くなるにつれて、部隊から近いところにおく便宜性や「安く」利用できるようにするため、の理由もあったとようである。その場合の料金は<公>と言われた。
「慰安所」は、ひとつの形ではなく時期や場所によって様々な形があったことを念頭におく必要がある。

5、様々な「慰安婦」
したがって、本来の意味でなら、日本が戦争した地域にあった性欲処理施設を全て本来の意味での「慰安所」と呼ぶことはできない。たとえば「現地の女性」がほとんどだった売春施設は本来の意味でなら「慰安所」と呼ぶべきではない。つまり、そのような場所にいた女性たちは単に性的はけ口でしかなく、「自国の軍人を支える」「郷愁を満たす」という意味での「娘子軍」とは言えないのである。戦場で提供されて、半分継続強姦の形で働かされた女性たちや、戦場での一回性の強姦の被害者は、厳密な意味では「慰安婦」とはいえない。
したがって、アジア太平洋戦争で日本軍の性の相手をした全ての女性を「慰安婦」と呼ぶべきではなく、本来の「慰安婦」の名前にふさわしいのは、「日本人」や「日本人」にさせられた「朝鮮人」「台湾人」「沖縄人」だけと考えるべきである。

しかし、普通の売春施設にいた女性たちも「慰安婦」と同じように軍を対象にした性労働に従事し、「愛国食堂」のような看板を掲げて軍人を受け入れてもいたので(もちろん指定業所になっていたはずだ)、事態はややこしい。しかし、すくなくとも、戦場での一回、あるいは継続的強姦をさせられた女性たちと、日本人を含む「慰安婦」たちの、軍人との関係の違いは歴然としている。「慰安婦」は、このように国籍や時期、そして場所(最前線か後方か)によって、その体験は異なっている。にもかかわらず、そのすべてを「「慰安婦」と考えて、問題の対応に当たったことから、大きな混乱が始まったのである。

しかし、そのどのケースであっても性的労働に従事させられるのは、社会における弱者であり、彼女たちの多くが病気にかかりやすく、死が隣り合わせの悲惨な境遇にいたことを認識することは、慰安婦問題を考えるための大前提とならなければならない。

6、「強制連行」について
したがって、軍人を相手に性労働をするまでになった経緯も当然ながら一つではない。中には本格的な募集が始まる前から現地にいた女性もいた。韓国で最初にこの問題を提起した人は、自分が経験した「挺身隊」のことを「慰安婦」のことと勘違いした。彼女が経験した「挺身隊」は「学校」で「判子」を押すような形だったので彼女はその募集を「強制」と思ったのである。しかし「挺身隊」の募集が「学校」単位での「国民動員令」によるものだったことから分かるように「教育」のある人が対象だったのに対して「慰安婦」はほとんど低いレベルの教育か教育を受けていない人がその対象だった。韓国で慰安婦が「強制連行」されていったと考えるようになったのは、日本の否定者たちが言うように慰安婦が「嘘」を言ったからではなく、まずはこの90年代の勘違いによる。
しかしさかのぼれば植民地時代にすでに「挺身隊に行くと慰安婦になる」との風聞はあった。「慰安婦」は「挺身」して「兵隊さんのためのこと」をすると言われたのであり実際のところ看護補助や洗濯など「性的慰安」以外のことをさせられる場合もあったので、まったくの誤解とも言えない
(兵士の墓の掃除や洗濯なども、朝鮮人慰安婦たちはやらされていた)。

「軍人」がつれていったと証言する慰安婦の割合はすくなくとも証言集を見る限りむしろ小さい。そしてその場合も、「軍属」扱いを受けた業者が「軍服」を着て現れた可能性が大きい。また、業者自らが、集めやすいように、当時始まっていた国民動員としての「挺身隊」へ行くのだと言った可能性も排除できない。業者は、日本人と朝鮮人がペアで現れたことが多かったようである。

しかし、慰安婦の募集は、一人や少人数でいるところを「工場」へ行くなどの言葉でだまして連れて行かれたことが、証言では圧倒的に多い。そういう意味では、「軍につれていかれた」という意味での「強制連行」はなかったか、たとえあったとしても「例外的」なこと—つまり「個人」の逸脱行為と見るべきであって、「軍が組織として(立案と一貫した指示体系を通して)だましや強制動員をした」と見るのは間違いと考える。

オランダや中国の場合、軍が直接集めたり隔離して性労働に従事させたのでそれはより「強制性」が強い。ただその場合は上記の意味での「慰安婦」とは言いにくい。日本人・朝鮮人・台湾人が「日本帝国内の女性」として軍を支え励ます役割をしたのとは違って、彼女たちへの日本軍の行為は、「征服」した「敵の女」に対する「継続的強姦」の意味を持つからである。このような日本軍との「関係の違い」が無視されて同じ「被害者」としてのみ理解されたために、「強制連行」や「慰安婦」に対する理解が、否定者と支援者間に接点を見いだせずに慰安婦問題をめぐる混乱が深まったのである。

大まかに分ければ、問題発生以来、「慰安婦」としてみなされてきた人の中には,もとの意味での「慰安婦」(これは挺身隊よりゆるやかな「国民動員」の一種と見るべきである)、民間運営の施設(占領地や戦地に早くから存在した場所を含む)を軍が「指定」し衛生などを「管理」した所で働いた人たち、戦場で捕まって継続的強姦の対象になっていた「敵の女」の三種類の女性たちが混在している。

軍属扱いをされ、「軍服」のような制服を着ることもあったと見られる「業者」が集めた朝鮮の場合、業者が「挺身隊」(強制的、しかし「法律を作っての」国民動員。しかし「志願」の形となる)に行くとだましたがために、「強制連行」だったと当事者たちが認識した可能性も高い。つまりもと慰安婦たちが「嘘」をついているというより(まったくないとは言い切れないにしても)、今はいないはずの「業者」たちが嘘をついた可能性も大きい。

7.日本軍と朝鮮人慰安婦
朝鮮人慰安婦は、場所によっては着物を着て日本名をつけられて働いた。つまり「日本人」女性に代わる存在だった。慰安婦たちには料金の区別がつけられていて、「日本人」が一番高く,その次が朝鮮人だった。本来なら巻き込まれないでいいはずの(日本を対象とした)「愛国」に朝鮮人も動員されたのである。その意味では朝鮮人慰安婦は日本の「植民地支配」が生んだ存在であり,その点で日本の「植民地支配」の責任が生じる。そして、慰安所に着くと最初に将校や軍医による強姦も多く、部隊移動中にも朝鮮人たちは「朝鮮人」であるゆえに、決まった性労働以外にも強姦されやすかった。同時に、「国家のために」集められた「軍慰安所」に居た場合は、構図的には敵を相手に「ともに闘う同志」の関係にあった。兵士の暴行などを上官が取りしまり、業者の搾取を軍が介入して管理する場合も多かったようだ。

地域や時期にもよるが、慰安婦が、圧倒的多数を相手しなければならない過酷な体験をしたのは間違いない。同時に、基本的には兵士や業者の横暴から慰安婦たちを守るような規範もできていた。もちろんその規範が必ずしも厳しく守られたわけではなく、兵士たちはよく朝鮮人慰安婦によく暴行をふるい、注意程度の処罰しか受けなかったことも多かった。朝鮮人慰安婦はそのように総体的な民族差別の中にいた。朝鮮人慰安婦と日本軍人は恋愛も可能だったが、そのことを見ることが、宗主国・植民地出身という構図のなかの差別や搾取を無化することになってはならない。

朝鮮人慰安婦の一部は、最前線においても行動を共にしながら、銃弾の飛び交うような戦場の中で兵士のあくなき欲望の対象になり、銃撃や爆弾の犠牲になるような過酷な体験をした。つまり、たとえ契約を経てお金を稼いだとしても、朝鮮の女性たちをそのような境遇においたのは「植民地化」であった。したがって、朝鮮人慰安婦に対する日本の責任は、「戦争」責任以前に「植民地支配」責任として問われるべきである。

8、業者
軍が必要として集められたのは確かだが、拉致や嘘を軍が公式に許可したとする証言や資料は今のところみつかっていない。そして、嘘までついて強制的につれていったり、病気などの時も「強制的に」働かせたり、逃げないように監視したり、中絶させたのは、ほとんどの場合日本人や朝鮮人の「業者」だった。日本人業者の方が規模が大きく、朝鮮人業者の方が規模が小さかったように見える。
慰安婦たちの多くはは借金状態を抜け出せず、自由廃業ができなかったがその直接の原因はこうした業者たちの搾取構造にある。

吉見教授は慰安婦に「居住」「廃業」などの自由がなかったというが、それは基本的には「業者」による拘束と戦場であるがための拘束であり、「軍人」に移動の自由がなかったのと同じケースと考えるべきであろう。
そしてもと慰安婦たちの身体に残っている傷跡も業者によってつけられた場合が多い。軍が暴行する場合ももちろん多かったが、少なくとも公式には禁じられていた。
つまり、「慰安婦」を巡っての「犯罪」——当時の法律に抵触する行為は、拉致・誘拐や人身売買であって、「慰安所利用」を「道徳的に」問題のある「罪」と捉えることは可能でも,当時の(法律に抵触する)「法的犯罪」と捕らえるのは難しい。

9.20万の少女
「20万」という数字は、日韓を合わせた、「国民動員」された「挺身隊」の数だったことが、1970年頃の韓国の新聞記事から推測可能だ。新聞は、日本人女性が15万,朝鮮人が5—6万、と言及している。こうした誤解も手伝ってその後そのまま「慰安婦」の数と理解されてきたものと考えられる。しかもその「慰安婦」の全てが必ずしも「軍が作った」「軍慰安所」にいたわけではないことはこれまで述べてきた通りである.
慰安婦になった人には「少女」がいなかったわけではないが、1960年代の韓国映画には朝鮮人学徒兵たちにおける慰安婦が成人だったことが分かる。

実際に証言を見ると十代前半のケースはむしろ少なく、当時の軍人たちにも「例外」な状況として受け止められていた。「慰安婦」と名乗り出た人の多くがまだ幼かった「少女」であったことを強調するのは、彼女たちがその「例外」のケースにいた人々と見るべきだろう。実際には、証言者の多くが、「他の人は自分より年上だった」と語ってもいる。売春業界に少女が連れ込まれるのは世界中にあることであり、そういう意味で少女が多かったことはありうるが、それは日本軍の意思というより、業者の意思によるものと考えるべきである。慰安婦の都市は一概に推定できないが、証言集や資料による限り、その平均年齢は、20才以上と考えられる。

10、敗戦後の帰還
慰安婦が敗戦後に帰国できなかったのは、戦場での爆撃の犠牲になった場合や玉砕に巻き込まれた場合が多かった故のことと考えられる。中国にいた慰安婦たちは、いわゆる「引揚げ者」たちの受難を同じく経験していて,場所によっては帰ること自体が難しく、その道のりで犠牲になった場合もあると考えられる。そのほかは帰ってきたかその地に残ったものと見られる。敗戦後に「置き去り」にしたことに、動員した軍に責任があるのは言うまでもないが、それでも慰安婦たちの「おきざり」に対するうらみは、日本軍より「業者」に向かう場合が多い。軍と行動を共にした場合、負ける戦闘のさなかでのことであって、その状況は様々で、軍が帰国を助けた場合もあった。

11、1990年代の謝罪と補償
1990年代に日本が「慰安婦」と名乗り出た人々に「謝罪と補償」をすべく作った「アジア女性基金」は、被害者たちが要求した「国会立法」を経たものではなかったが、当時の閣僚たちの合意に基づいて作られたものだった。国会では立法を進めた議員たちもいたが、韓国の場合、1965年の日韓条約で国家間賠償が終わったことと「強制連行」の有無が議論の焦点となって法案を通すにはいたらなかった。「基金」は「国会」は通さなかったが、「政府」閣僚たちが合意してやった「謝罪と補償」である。それは「国会立法」を主張する人たちに「責任回避」の手段と非難されたが、1965年の国家間条約で個人補償は終わっているので国家賠償はできないと思った日本政府が、「法的責任」は存在しないと考えながらもなお、「道義的責任」を取るとして行った、いわば「責任を取るための手段」だった。国民の募金でまかなうと言われていたが、300万円に当たる医療福祉補助費も出されていて、名前こそ「補償金」でないが、実際に慰安婦たちにわたった補償金の半分以上が国庫金から出されている。最終的には事業費の89パーセントが国庫金からまかなわれていた。そういう意味では「基金」は、単なる「 民間基金」ではなく、日本政府と国民が心を合わせて行った「謝罪と補償」の試みであった。もちろんこのとき、日本政府は、基金への関与をより明確に言えばよかったであろう。

12、1965年の過去清算について
1965年の日韓条約は1952年のサンフランシスコ講和条約に基づいての条約だったので、「戦争」の事後処理をめぐる条約だった。「植民地支配」という過去清算に関する条約ではなかったのである。条約の文面にひとことも「植民地支配」に対する謝罪の言葉が入ってないのはそのためである。実際徴用などに関しての「補償」も、中日戦争後のことに限っていた。しかし朝鮮は日本の戦争相手国ではなく、むしろいっしょに闘った立場だったので、この補償は、恩給などに当たる、いわばもと「日本国民」としてのものだった。突然両国が引き離されることになったための、貯金やその他を含む金銭的事後処理が中心だったのである。

そして日本は「個人の請求権」は個別に請求できるようにしたほうがいいと言っていた。しかし韓国側は、北朝鮮を意識して、韓半島唯一の「国家」としての韓国が代わりにもらおうとしてその提案を拒否した。つまり「韓国」だけが補償を請求できる正統性を認めてもらおうとしたのには(チャン・バクチン)、厳しい冷戦時代のさ中にいたという歴史的経緯がある。

当初韓国側は「植民地支配」による被害について(人命損失など)も請求しようとした。最終的にそれが削除された理由は明らかでないが,おそらく今でも続いている論争——「植民地支配は合法」、つまり韓国の意志でやったことだというような議論があってのことかもしれない。確かに当時においてはほかの元帝国も「植民地支配」に関して謝罪したことはなく、それは時代的思考の限界だった。つまり、1965年の条約は植民地支配についての謝罪にはなっていないが、それは冷戦下にあって元帝国諸国がそのような事に関して謝罪するような発想をするような時代に至っていなかったこと、そして元植民地側も冷戦時代のあおりを受けて、自ら「過去清算」を急いでしまったためのことだった。

13、1910年の合併条約について
さらにさかのぼって1910年の合併条約自体が「強制的」なもので「不法」だったとする議論もある。そしてこの時の条約が「不法」だとすると当然日本に「植民地支配」についての「法的責任」が生じることになる。しかし、たとえ少数が率いてやった事が明らかでも、それが「条約」という(当時における)「法的手続き」を通してのものだった以上、このことを「不法」とするのは倫理的には正しくても現実的には無理がある。それはアメリカやイギリスなどやはり植民地を作った大国の承認を得てやったことであって、彼らだけの「法」に基づくものだったという意味でなら「不法」と言えても、ともかくも「合併」を韓国が承認した文面が存在する限り、残念ながらそのことを「不法」とは言えなくなるという現実もある。

もっとも、国民のほとんどに意見が聞かれたわけでも知らされていたわけでもない「合併」は、「ほとんどの朝鮮人」の了解や承認を得ていないという点ではほんとうの意味では「了承」したとは言えない。しかし国の代表がそうしてしまった時点で、不服でも、「不法」といえないことは、政治的・時代的限界と考えるべきであろう。そのような「法」に問題があったことを後世の人々が認めるのなら(すでに90年代の日本の謝罪はそれを間接的に認めたことにはなる)、たとえ「不法」でなくても、道義的に問題があったとみなすことは可能である。「法」にかかわらず、日本に植民地支配の責任があることは間違いない。

14,「法」の問題
韓国政府や支援団体が求めているのは慰安婦募集と慰安所使用に関わることを「不法」と認めて「賠償」せよとするものである(日本の支援者の多くもそれを主張している)。しかし、当時において日本内で「売春」が「不法」と認められていなかった以上、そのことを「不法」とみなすことは無理がある。たとえ国際的に不法と見なし始めていた時期だったとしても、である。当時は性暴力さえもまだ「法」で処罰することはしていなかった時代だったのであり、だからこそ男たちは罪の意識もなく強姦を繰り返したのである。

しかし「人身売買」は当時においても「不法」と認められていた。問題は、その人身売買を日本軍が指示したかどうかにある。実際に人身売買であることを知りながらも黙認したふしはある。しかし、日本軍は詐欺や誘拐によって連れてこられた場合返したり、別の就職先を斡旋するように業者に指示したケースがあり、軍として詐欺や誘拐を組織として容認したとは言いがたい。それでも、日本が宗主国として、植民地の女性を差別と強姦と搾取の対象にしたのは間違いない。

15、再び「アジア女性基金」について
そういう意味では90年代の「道義的責任」は、そうは意識しなかったにしても、まさにそこを突いての「謝罪と補償」だった。最初に声をあげた朝鮮人慰安婦が「植民地支配」による存在ということも認識されていて、それに対する補償だったからである。すでにイタリアやイギリスも植民地支配に関して謝罪をしたことがある。もっとも、日本も,細川首相や村山首相が行った。しかし、最初は「慰安婦問題」を「植民地支配」と捉えていたのが、のちに別の国の人たちが現れることになったことが影響して、普遍的な「女性の問題」と捉えられることになったために、そのような捉え方はやがて消えてしまった。

しかし、現在この問題で、ほかの国・地域は「アジア女性基金」を受け入れて一応解決されたことになっている。そして現在慰安婦問題を「不法」だったとして「賠償」を求めているのは「韓国人慰安婦」だけなので、「日韓問題」として捉え直す必要がある。

そして、あらためてそうした状況を念頭におきながらしかるべき解決を考えるべきであろう。オランダや中国などほかの国といっしょに考える「女性の人権」問題との捉え方だけでは、朝鮮人慰安婦の特殊性が見えてこない。そして、家父長制の中の犠牲者と捉える時、真なる「女性人権」の問題として向き合いなおすことができるだろう。

日本の一部の人はほかの国々もやったとして責任を回避しようとするのではなく、オランダを始め世界の「元帝国」に、「植民地支配」が起こした問題としての自覚と反省を呼びかけるべきだ。そうして始めて、アメリカもイギリスもオランダもこの問題を「自国」の問題として向き合うことができるだろう。それらの国の欲望のためにも、自国や他国の女性たちは動員されていた。

16、「性奴隷」について
朝鮮人慰安婦たちは「準軍人」のような役割もさせられていた。彼女たちの境遇が悲惨だったのはまぎれもない事実であるが、監禁し、強制にちかい労働をさせた主体は、軍のみならず業者でもある。自由がなかったという意味での彼女たちの「奴隷性」は、まずは「主人」と呼ばれた業者との関係で成立しすると考えるべきだ。
同時に、彼女たちは、国家の必要によって過酷な労働を強いられ、命さえも(戦場、病気、過労働)担保にしたという意味では「国家の奴隷」でもある。移動の自由も廃業の自由もさらに命を守る自由もないという意味で、軍人と変わらない。朝鮮人軍人には少ないながら一定の補償金が支払われた。それは彼らを守る法が存在したからである。そして、女性たちにはそのような『法』によって守られなかったのは近代国家システムが男性中心主義的だったからである。

17、河野談話
河野談話は「自分の意志に反して」慰安婦になったことを認めているのであって物理的な「強制連行」を認めているわけではない。つまり,連れていった過程が自分の意志ではなかったことと慰安所での性労働が彼女たちの選択ではなかったことに触れていて、物理的ではなく構造的な強制性を認めている。それは、朝鮮人の場合、たとえ自発的に行ったように見えてもそれが植民地支配によってもたらされたことであることを正確に認めている言葉でもあった。つまり、河野談話見直し派が主張しているような、いわゆる「強制性」を認めたものではない。しかも管理をしたという意味では「官憲が関与」したのは事実なので、そうである限り河野談話を見直す必要はない。

18、解決をめぐる葛藤
日本政府が作った「基金」が「民間」のものと認識されたのは、まずは、マスコミなどの報道にもよるが、新たな補償が1965年の条約に抵触することを気にした政府が、基金に深く関与していることを十分に説明しなかったことに第一の原因がある。しかし、「仕方のない次善策」として受け止める人たちもいる中で「責任を回避するもの」と強く非難し,以後今日に至るまでこの問題で日本政府を非難している人たちの一部は、国会立法だけが「日本社会の改革」につながると考えていた。それは、歴史認識をめぐる対立がポスト冷戦時代を迎えて行なわれ、過去の歴史に対する考え方でもって現在のアイデンティティを問われる形になったからである。
そして、正義のためのはずだったその主張は、慰安婦像と「強制連行」をめぐる理解において反対派と接点を見いだす努力を怠ったがために、結果として 、慰安婦問題に反発するひとたちが日本内にたくさん増えてしまった。

支援者たちは、天皇を犯罪者にするような国際裁判も開いたが、理念としてはいいとしても、「運動」としては広く「日本国民の合意」を得るのではない逆の方向へ行くものだったと言う点で、効果的だったとはいいにくい。2000年代以降、日本で「嫌韓流」に始まったへイトスピーチの根っこには左翼や慰安婦問題への嫌悪があった。

19、世界の意見
運動家たちは2000年代以降に日本政府を説得することよりも世界に訴えて日本を圧迫するやり方に出た。そしてKumarawasumi報告書をはじめ、数々の国連報告書のほとんどは 「20万の少女が強制的に連れて行かれ性奴隷として働かされ、敗戦後もほとんど虐殺された」と考えている。欧米の議会の決議もそれらの報告書を参考にしているが、これまで見てきたように、世界の慰安婦問題への理解は、必ずしも正しいわけではない。
国連ではオランダの女性も証言していて、オランダのケースは確かに「レイプセンター」の言葉に近いものだった。しかしオランダの女性は朝鮮人や日本人慰安婦とはその立ち位置が根本的に異なる。オランダの女性が被害を受けたのは、彼女たちがオランダが植民地にしたインドネシアに暮らしていたためで、植民地をアジアに多く持っていた、オランダをはじめとする欧米諸国が、日本だけを非難するのも必ずしも公平とは言えない。

20、帝国と慰安婦
韓国や沖縄基地をはじめ米軍が基地をおいているところでは今でも遠い地に送られた兵士たちを「慰安」すべきとされている女性たちがいる。つまり、戦後直後の日本や韓国戦争での朝鮮戦争当時やその後の韓国がそうだったように、「軍隊」は今でも「慰安婦」を作り続けている。日本軍の慰安婦と違うのは、「国家のため」と意識させられているかどうか、そして平時(しかし戦争に待機している)か戦時かの違いだけである。
それらの「基地」は、かつて戦争や冷戦のためにおかれ、その状態を維持し続けた。そして今やアメリカこそが日本や韓国に慰安婦を作り続けているのである。もちろん日本や韓国はそれを提供し黙認している。
かつて国家が政治経済的に勢力範囲を広げるべく「帝国」を作ったように、現在でも特定国家の世界掌握勢力は存在する。その中心にあるアメリカが、慰安婦問題に関して日本を非難する決議を出し続けているのは、アイロニーと言うほかない。

弱者のために闘ってきたはずのリベラル勢力は、そうは意図しなかったはずだが、日韓の葛藤を維持することで韓国の軍事化や保守化を進めた側面がある。日本を意識したものであるかのように見せかけながら、実は北朝鮮を意識した軍備増強が行われているからである。
したがって、支援者たちは冷戦的思考を乗り越えてこの問題を考え、否定者は慰安婦の悲惨さに気づいてほしい。そして日本内の国民的「合意」を見いだしてほしいものだ。

まずはそれに向けて、意見が対立する人たちで議論し、接点を作れるように日韓協議体を政府主導で作るのが望ましい。「合意」を前提にし、支援団体のほかに慰安婦本人(家族)や第三の識者を入れるのは必須である。密室議論ではなくメディアなどに聞いてもらうことで公論化し、この問題に関して豊富な知識をもつようになった両国国民に考えてもらい、納得してもらう必要があるからだ。

最終的には、その結果に基づいて、植民地氏支配の結果としての認識を盛り込み、その他の犠牲者にも触れた<国会決議>ができるのが望ましい。
それには、
1、1990年代の基金の試みのやり直し、つまり国民を代表する国会が主体的に解決
2、欧米の決議を受け止めつつの批判的応答
3、「戦後日本」との自己認識を「帝国後日本」と捉えなおす
この三つの意味がある。
必ずしも今年でなくとも、時間をかけてじっくり議論し、いつかそうした日が来るのを望みたい。

ーーーーーーーー
<秦・吉見議論について>
*秦郁彦教授の意見について
1)
売春婦としてのみ見なしているー愛国した存在、特に軍が運営した場合は「準軍人」として支えたことが看過されている。たとえ売春婦としても悲惨さは変わらない。お金を稼ぎ、楽しかったとすれば、「軍のために働く存在だったから」ための強制された誇りゆえ。お金を稼いだ人だけに注目する傾向が強い。慰安婦たちが楽しかったとすれば、それはそれだけつらい生活をしのぐための自己欺瞞的誇りの結果と見るべきだ。

2)
業者を朝鮮人だけと考えているが、日本人も多かったと見える。

3)
朝鮮人だけの責任にしたがっている—需要を作った日本国家の責任を考えない。

4)
業者が軍に働きかけた境遇だけではない。業者は軍属の地位を与えられることもあった。

5)
女性たちをチェックしたのはそういう「商品」を利用しないようにしたことと考えられるが、契約書があれば問題がないという主張になる。本人が認知せずに軍を手伝うことと考えた場合もあるのだから、契約書があれば問題がないとはいえない。

6)
運動が政治活動になった動きがないわけではないが、それは参加者の一部。ほとんどは単に善意で動いたと考えるべきだ。

*吉見義昭教授の意見について
1)
`強制連行`を、構造的な強制性と捉えるのは正しいが、それを官憲がつれていったことと理解する人が多い以上、その違いは正確に語るべき。

2)
性奴隷的側面があるのは確かだが、直接に自由を拘束したのは業者であり国家。売春婦にも奴隷性があることを看過している。

3)
世界が慰安婦問題で韓国の主張を認めたことは、必ずしも支援団体の主張が正しいことを証明しない。

4)
慰安婦の生活困難は業者の搾取によるもの。インフレだけではない。

5)
オランダとの関係における違いを看過。

6)
業者には純粋に民間も存在。軍属のみではない。前線に行くひとのみ。様々な慰安所があるのに軍運営のものに限定して語っている。

7)
責任—人身売買の主体は業者なのに業者の責任は語られない。国家が加担したのは事実だが、知っていて指示し、助けた(船を使っただけで人身売買を助けたと言っていいかどうか)のと、知って黙認したのと知らずに利用したのは違う。時期によって場所によって違っていたはず。それを全て軍の責任としている。

8)
構造的強制性の中にある自発性を看過。人身売買だから性奴隷というが,そうでないケースもあるし、何よりも慰安婦の「主人」は業者だった。

*どちらも慰安婦の一面だけど見ようとする傾向が強い。そうである限り「歴史学者」の議論であっても接点を見いだせないだろう。
*「被害」かそうでないかだけを強調しているが、「植民地」はその両方を持つ存在だった。
*考えるべきは、国家(帝国)欲望に動員された人々の不幸を誰が考え、償うかということ。兵士もその一人。慰安婦も。そこに加担した民間の責任(定住者たち、大人たち)も考える。
*この問題が難しいのは体験が異なるのに、「補償」は一つの形にするほかないということ。そのことを「矛盾」として引き受ける必要がある。
*慰安婦は「売春婦」も無垢な「少女」の面も併せ持っていて、そのような矛盾こそが「植民地の矛盾」だった。今では変わって来ている側面もあるが、慰安婦の役割は基本的に社会の弱者に担わされるという点で階級問題であり、家父長制、そして性をまで戦争に利用する国家の問題である。その背景には貧困問題がある。
そうした社会・時代の中で、彼女たちは自分の身体と命の「主人」ではありえなかった。この問題を否定してきた人も、支援してきた人も「売春」差別意識を持っていたといえる。歴史認識や「少女像」をめぐる闘いは、そうした側面を持つのであって、両極であるほどその意識は強い。それがポスト冷戦時代の、過去をめぐる左右の歴史認識の闘いと結びついたことが今日の混乱を招いた。
そうした背景を知り、そのような差別と支配の時代をすこしでも乗り越えることこそが、慰安婦問題を考えることの意味になるべきだろう。

朴裕河 - 北原みのりさんのFacebookのポスティングのことを教えてもらいました。

北原みのりさんのFacebookのポスティングのことを教えてもらいました。支援団体の嘘を指摘したので読んでみて下さい。
こうした事はほんとうにやりたくない事です。
学者、メディア、大衆と、韓国内の対応だけでも大変です。どうか、こうした事にまでエネルギーを使わせないでいただきたいと思います。
https://www.facebook.com/parkyuha/posts/1278071235553121

北原 みのり
1月26日 8:18 ・
衆議院議員会館で行われた「 2016 ナヌムの家のハルモニを迎えて 今伝えたいこと」の簡単なレポート。

89歳の姜日出(カンイルチュル)ハルモニ、90歳の李玉善(イ・オクソン)ハルモニお二人がいらっしゃった。

最初にナヌムの家の安所長が、年末の「合意」をハルモニたちと見ていたテレビで知ったことをお話になった。
安さんが話している最中、最前列の席に座っていた姜日出ハルモニが「私たちは知らなかったんだ」と300人は入る大会場に響く声で、叫ばれた。
癒えない怒り、まだこの方達をこれほど苦しめるのかとやりきれない思いになる。

その後に、ハルモニ二人がお話された。
李玉善ハルモニは「慰安所は人を殺す、ブタや牛のように殺す、死刑場だった」と。一日40人から50人の男の相手をさせられ、抵抗すると殴られ、そのために死ぬ人もいた、とお話になった。
李玉善ハルモニは、今も頭部に残る傷を見せて下さった。「抵抗してつけられた傷」「私は人間です。私は人間なのに日本によって連行された。(しかし日本は)このような問題を解決せず、私が何故このような場にこなければいけないのか。私は本当に怒ってます」とマイクが必要ないと思われるような、大きな、明確な声で怒りを表明された。

年末の「日韓合意」。まるで日韓関係の新しい幕開け!みたいに大手メディアは歓迎ムードだった。それはまるで「慰安婦」問題が、日韓関係のお荷物で、ようやくそこから解放されたかのような安堵も含まれているようだった。日本社会における、性被害者に対する視線の鈍感さが、こういう時に露呈するのだな・・・と実感するような「明るさ」だったと思う。
その報道の陰に、怒りと悔しさに叫んだ女性たちがいること。そして韓国の市民社会が「合意の白紙撤回」に向けて動き出そうとしていること。日本社会は向きあわなくてはいけないのだと思う。というか、今こそ、韓国と日本の市民でつながれる時でしょう! 反アベ、反パククネで。

最後に、安所長が「帝国の慰安婦」の著者である朴裕河さんを訴えた経緯についてお話になった。「帝国の慰安婦」を刑事告訴した経緯がよく分かるので、テープ起こししました (通訳は梁澄子さん)。ちょっと長いのですが、読んでいただけたら嬉しいです。

「2013年12月頃、突然朴裕河さんから電話がありました。
挺対協に反対する声をあげるべきだ、と言われたので、私は 挺対協と一緒に被害者の人権回復のために闘っているのに、なぜそういうことを私に言うのですか? と聞きました。
その次に(朴さんが)何を言ったかというと、『急いで言いたいことがあるから、世宗大学(朴氏の勤め先)に来てくれ』と言われました。私も都合がつかないので、そちらがナヌムの家に来て下さい、とお伝えしました。
そうしてある日突然、事前の連絡も、許可もなく、一人でもなく、NHKを一緒に連れて来たんです。NHKを何故連れてきたかと聞くと、朴裕河さんがハルモニたちと会うところを撮影したい、と言われました。それならば事前に連絡をするべきだと言うと、NHKの記者はさらに『朴裕河さんがナヌムの家でボランティア活動をしている姿を撮りたい』と言ってきました。私は『(朴裕河さんは)今までボランティア活動をしたこともないのに、どうやって撮るのか?』と言って、その日は撮影させませんでした。

そういうことがあったので、私は初めて『帝国の慰安婦』を二回読んだのです。
韓国で『帝国の慰安婦』が出版されたのは2013年7月だったと思いますが、当時は読む必要がないと思っていました。タイトルが『帝国の被害者』ではなく『帝国の慰安婦』ということで、これはハルモニを侮辱する本だと思ったので読まないつもりでいたのです。それでも(先のようなことがあったので)、抗議するためには朴裕河さんの本を読まなければいけないと思い、二回読みました。

その本を読んでみましたら、朴さんは(百数名の慰安婦たちによる)6冊の証言集を引用しているのですが、私が読んだ証言集の印象とはまるで違うと感じました。
しかし私はハルモニたちとは、ふだんから支援をする立ち場で読んだので、第三者の目で読んでもらった方がいいと考えて、パク・スナさんというロースクールで教えている方にこの本を読んでみてほしいと、渡しました。そこでロースクールの学生7人が分析し、非常に問題だという項目が100数項目、抽出されました。

それから私たちはハルモニたちにこの本を読んであげました。ハルモニたちは直接本を読めませんので、私たちが何度も何度も本を読んでさしあげました。
それを聞いたハルモニたちは、「私たちは被害者なのになぜ 売春婦と書かれているのか?」「日本軍に対して精神的な慰安/肉体的な慰安を与えた、というのはどういうことか?」「日本軍の同士、妻、協力者等と書いてあるのは全く理解できない。これは人権侵害だ」と仰いました。

これほどハルモニたちが怒っているのであれば、このままほっておいてはいけないと思いました。ハルモニたちには家族がいる方もいますが、法的な措置をとれる人がなかなかいない、お金もかかる、ということで、私たちのナヌムの家がお手伝いして、さきほどのパク・スナさんは漢陽大学のロースクールで教えているのですが、漢陽大学のロースクール が裁判費用を出して、この裁判をおこすことになりました。

はじめは、私たちは出版差し止めの仮処分申請だけをやろうと思いました。
なぜなら、韓国でも表現の自由は出版物に対して厳格に保護されますので、出版差し止めの仮処分だけをやろうと思いました。
名誉毀損でやろうと思っても、なかなか普通は刑事起訴ということには至りませんので、韓国でも。
しかしその後も、朴さんはハルモニたちとの関係について嘘を言うんです。これを聞いているうちに、これではだめだ、と。私たちが取れる法的措置は全部とらねば、朴裕河さんをおさえることはできない、と考えたのです。

そこで、3つの裁判を同時に起こしました。
一つは、出版差し止めの仮処分とハルモニたちに対する接近禁止。
もう一つは民事訴訟、名誉毀損による損害賠償を求める民事訴訟。
もう一つは名誉毀損による、刑事告訴です。
2014年6月17日に一度におこしました。

この出版差し止め仮処分に関する裁判は4回開かれました。原告のハルモニたちは四回全部出席したのですが、朴裕河さんは一度も参加せず、そういう形で被害者を無視しました。それでですね、裁判所の方も、販売禁止にはしていません。ただし、この本の中の34箇所の部分に関しては、このまま放置したのであれば、ハルモニたちの名誉を傷つけるということで、34箇所を削除しなければ、販売することも、また広報することも許さないという決定を出しました。
ところが、朴さんはこういう決定を受けながらも、34箇所だけを伏せ字にし、こういう部分が削除命令を受けたのだということをわざと出すような形で、新たに出版しました。そしてそのような法的な争いがある最中に、日本語版も出してしまったんです。
それに対してハルモニたちは大きく怒って反発されました。日本での出版というのは、裁判が終わった後でも充分にできるはずなのに、裁判中に出すということは法を無視していると仰いました。

それから刑事告訴についてですが、刑事告訴には対質尋問というのがありまして、一対一で被告と原告が両方に質問をするという、そういう制度があるのですが、これが二回あったのです。ナヌムの家からは柳喜男(ユ・ヒナム)ハルモニがそれにわざわざ出ていかれたのですが、朴裕河さんの方が拒否されたんです。
この刑事裁判というのは、起訴するかどうかというのは、一ヶ月くらいで決まるのですが、この事件には検察が悩み一ヶ月半かけて、2015年11月18日に在宅起訴になりました。虚偽事実流布の罪、ということです。

日本では、朴さんが、表現の自由を抑圧されている被害者で、検察が国家権力を使って朴さんを起訴したと思っている方が多いのですが、検察が自発的にやったわけではなく、ハルモニたちの刑事告訴に答え検察が捜査した結果として在宅起訴になったということです。法の保護を受けているのは、朴裕河さんの方です。

(先日)民事訴訟の判決が出たのですが、一人あたり3千万ウォンを要求していましたが、一人1千万ウォンの勝訴判決を受けました。
勝訴判決の中で、法律用語にない言葉が出てきます。裁判官が「全ての証拠をみて、朴さんの書いた内容は衝撃だ」と。「衝撃」、という言葉は法律用語では普通でないのですが、どれだけ人権侵害が酷いのか、ということを裁判官が表したのだと思います」

ナヌムの家、挺対協、中国共産党、在特会、しばき隊、辛淑玉、北原みのり、植村隆、民主党、社民党、共産党、在米華人会、在米韓人会、在米アルメニア系住民、朝日新聞、古舘プロジェクトなど、世の中には「従軍慰安婦問題」を未来永劫「解決したくない」人々が多数いるのです。その理由もそれぞれの数だけあるので巨大な呉越同舟状態。その中でも最も忌むべきは親族主宰する「慰安婦賠償詐欺」の広告塔として捏造記事を連発した破廉恥記者と、日韓関係破壊を厭わず破廉恥記者を焚き付けた朝日新聞では。

当該慰安婦捏造禍は、既婚の外務省女性事務官を組織ぐるみで姦淫し続けた毎日新聞による西山事件に匹敵する戦後日本報道史最悪クラスの汚点と思いますよ。植村隆。
元朝日新聞記者、韓国で客員教授に 植村隆氏:朝日新聞デジタル

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Posted by kingcurtis 固定リンクComments(8)従軍慰安婦 
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コメント
>日本軍は業者を軍属待遇し彼らに軍服を支給した
>「軍属」扱いを受けた業者が「軍服」を着て現れた
>軍属扱いをされ、「軍服」のような制服を着ること
最初、国民服のことかと思いましたが、
そうなら国民服と書くだろうし、
軍属用の軍服ってあったのでしょうか。

米軍慰安婦、韓国軍慰安婦は完全無視。
米軍慰安婦の証言を読みましたが、彼女たちがかわいそう。

Posted by 名無しさんはデマに苦しんでいます at 2016年02月16日 15:41
>米軍慰安婦の証言を読みましたが、彼女たちがかわいそう。

ベイグンガー(爆)
戦争になったら女子供の扱いなんてどこでもいっしょですよバカなの?w

戦争しないためにはクルクルパーを国の中枢においちゃあかんのに全く懲りてないからね日本はw
おまけにマスゴミが童貞は人間のクズだから生きてるだけで恥ずかしいみたいな洗脳もするしね
そりゃ慰安婦もなくなりゃしないし一生寄生虫にたかられ続ける訳だ(笑)
Posted by 名無しさんはデマに苦しんでいます at 2016年02月16日 16:57
重量系エントリありがとうございます。パクユハの話は分かる。まぁ納得。
クネちんにも少しは期待してみようかと思ったり。
流血が少ない方がやっぱり寝覚めイイw
Posted by ヤマ at 2016年02月16日 18:03
>戦争になったら女子供の扱いなんてどこでもいっしょですよバカなの?w

ライダイハン
Posted by 名無しさんはデマに苦しんでいます at 2016年02月16日 20:08
 >戦争しないためにはクルクルパーを国の中枢においちゃあかんのに

 7年前の選挙後の事ですか(棒)?
Posted by 名無しさんはデマに苦しんでいます at 2016年02月16日 21:53
やっぱり北星学園大の生徒って地雷だよね、心底思う。

そして、採用者名簿に北星学園大が載っている企業も不気味。

で、実際どうなんだろう、北星学園大に絡んだ人間って

履歴書見た時点で撥ねるし、得意先、取引先に登場したことが無いので対面したことが無いのだけど・・・
Posted by 名無しさんはデマに苦しんでいます at 2016年02月16日 21:58
「併合」っていう言葉は無くなったんですかね?
Posted by 名無しさんはデマに苦しんでいます at 2016年02月16日 23:35
ドラム缶に詰められてジープで運ばれたんでしょ?
Posted by んんー at 2016年02月17日 14:29
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