2015年04月27日

良心的フランス風ジャーナリスト及川健二先生「バンドン会議におけるアベシンゾーは幼稚で自己中なモラハラ親父の自己陶酔、かつてのレイプ犯が無反省なまま威張っている構図」

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ゲイ@パリ 現代フランス同性愛事情
ゲイ@パリ 現代フランス同性愛事情

数年前に団長さんがキャッチ・アンド・リリースしていたのですね。
テレビってスカイプやユーストリームのことですか?謎の「日仏共同テレビ局」サイト拝見しました。トップページに小沢先生、鳩山先生揃い踏みですが、菅直人先生だけ掲載しないんだ。

日仏共同テレビ局フランス10

自称フランス人。

日仏共同テレビ局France10及川健二  esperanto2600 さん   Twitter

その正体は、でぶりんこ健ちゃん。

鈴木邦男をぶっとばせ! 

鈴木邦男先生のコメントによると「及川氏はフランスに留学していたし、国民戦線など、フランスの情況にはとても詳しいです」だそうです。典型的な「ミーはおフランス帰りザンス」

【話題】バンドン会議で露わになった安倍晋三の呆れ果てた植民地主義者の傲慢[04/27]

1: ダーティプア ★@\(^o^)/ 2015/04/27(月) 09:39:59.11 ID:???.net

今年のアジア・アフリカ会議は60周年であっただけでなく、開催国のインドネシアにとっては、ついに誕生した本格的な民主政権のジョコ・ウィドド大統領がホストとなった点でも意義深いものだった。だが日本のメディアの関心は、首脳たちの記念撮影でそのジョコヴィの左右を固めた習近平中国主席と安倍晋三日本首相にしか向いていない。それにしても安倍晋三首相自身が、ジョコ大統領にも他の首脳達にも目もくれず、ひたすら習近平の握手を求めようと懸命に待ち構えている映像がNHKのニュースで流れたのには、「ああ、なんてこった」と呆れてしまった。

この会議では日本政府の関心が日中首脳会談にしか向いていないのだから、メディアがそうなるのも仕方がないのだろう(こうした外遊では外務省と官邸の差配で報道内容がだいたい決まるものだし)。 しかも安倍氏がわざわざこの会議の参加直前に、戦後70年記念談話について「村山談話、小泉談話を引き継ぐと言っているのだから、わざわざその中身を繰り返すことはない」とさっぱり意味の分からないことを言っているだけに、全体会議での安倍の演説でも、関心は日本がこの会議の参加国の多くをかつて侵略・占領した歴史にどう触れるのかに集まった。

■バンドン会議・参加国の多くが日本の元・被害国

戦後10周年にインドネシアのバンドンで第一回が開催されたアジア・アフリカ会議の50周年は日本の戦後60年、60周年記念は日本の戦後70年に一致するわけだが、念のため繰り返しておこう。今年で言えばその70年前とは、あくまで「日本がこの会議の参加国の【多くを】かつて侵略・占領した歴史」である。 たとえば開催国のインドネシアでも、日本が占領するまでのオランダ植民地時代について「オランダ人はそれでも、まだ結婚して子どもを残した。日本は強姦しただけだ」という言い方がなされるし(実際、ジャカルタにでも行けばオランダ風の植民地様式の建築物は今でも多く残っているが、確かに日本時代は目につく遺産をなにも残していない)、日本軍に徴用・強制労働をさせられた「労務者」が「ロームシャ」、それに従軍慰安婦も「イアンフ」としてそのまま教科書に載っているし、ジャワ島などには元慰安婦の女性たちがひっそり余生を送っているコミュニティもある。

つまり、問題は日本のメディアがひたすら注目している中国や、韓国の反応だけではなく、この会議の多くの参加国が、自分達もその被害国であるところの日本の戦争を、日本の首相がどう総括・反省し、謝罪するのかに、当然注目していることを忘れてはならない。

ソース:日仏共同テレビ局フランス10‎ 2015年4月26日
http://www.france10.tv/international/5046/

続きます



2: ダーティプア ★@\(^o^)/ 2015/04/27(月) 09:40:33.19 ID:???.net

■日経新聞までもが安倍演説を批判

だが演説で安倍晋三首相の口から発せられたのは、予想通りといえば予想通りだが、かなり呆れる他はない空虚な言葉の羅列だった。「先の大戦の深い反省」とは言っているが、実際の侵略の問題についてはバンドン会議第一回で議決された侵略の否定の原則を「日本も誓った」という、なんともあやふやな言い方で、なにが言いたいのか分からず途方にくれてしまう。正確には「先の大戦の深い反省とともに、いかなる時でも守り抜く国であろう、と誓いました」という文言なのだから、その「反省」に侵略が含まれていると読めなくもないし、責められたら安倍はそう言い張るつもりなのだろうが、この様な玉虫色二枚舌ではかえって不信を買うことには、昨今安倍政権に不利なことをほとんど書けない日本の大手メディアでも、さすがに日本経済新聞が社説と朝刊コラム「春秋」の双方で厳しく噛み付いた。

「玉虫色の表現は国内では通用しても、外国人にもわかってもらえるだろうか。いまのままでは、戦後70年を平穏に終えるのは容易ではあるまい」という社説の結論は、この会議の参加国の多くと今後もビジネスを続けて行くつもりの日本の経済産業界の危機感を、如実に反映したものでもある。「春秋」 の方はさらに手厳しい。「強い者が弱い者を力で振り回すことは断じてあってはならない」という安倍演説に対し、「その精神をぜひこの国でも発揮してほしいのだが、現実はどうだろう。自民党がテレビ局幹部を呼びつける姿。あるいは国会で安保法制を「戦争法案」と呼んだ野党議員に修正を求める姿。ここ数日も、法の支配をはみだして「強い者が弱い者を力で振り回す」という、あってはならないことが 繰り返されていなかったか」と、その二枚舌の欺瞞を皮肉たっぷりに指摘している。

■パラオ住民を「三等国民」にした過去

だいたい「強い者が弱い者を力で振り回すことは断じてあってはならない。法の支配が、大小に関係なく国家の尊厳を」などと安倍が言ったのは中国を念頭においた牽制のつもりなのだろうが、日本が文字通り「強い者」として無法に「弱い者を力で振り回した」過去に言及しそれを反省した上でなければ言えないはずのことが、まるで他人事なのだ。こうした地域の日本の占領下では、当時の国際法で定められていた一般市民や捕虜の権利がまったく無視されたことも言うまでもないのに、日本が「法の支配」の代弁者気取り。では「先の大戦の深い反省とともに」とは、いったいなにを反省したつもりなのか?

先日、天皇皇后が戦死者…ではなく「この戦争で亡くなったすべての人」の慰霊の一貫で訪れたパラオ共和国でも、日本風の名を持つ元大統領のクニオ・ナカムラ氏が「忘れてはいけない。我々は忘れてはいない、が許している」と言っている。両陛下訪問時にほとんど触れられなかったが、パラオは戦前戦中の人気マンガ『冒険ダン吉』のモデルとも言われており、最初は国際連盟の委任統治としてこの島々を支配することになった日本が、現地人口の倍近い日本国民を移住させ、現地人を「三等国民」として野蛮人扱いの最下層に置いた過去もある。ちなみにその際に「二等」だったのは、朝鮮人と沖縄出身者だったという。「委任統治」とは名ばかりの差別的な同化強要支配の末、日本は国際連盟脱退後も支配を続け、その最終局面で、パラオは日本軍とアメリカ軍の最大の激戦地のひとつとなった。「いや現地人はちゃんと避難させた」と言い張る者もいるようだが、その避難先もまた日本側の軍事施設とみなされ米軍の攻撃を受けて犠牲者も出ているのだし、それ以前に自国の戦争のためにパラオ人に避難を強要することになり、その人たちの土地を自国の戦争に巻き込んだ、まさに「強い者が弱い者を力で振り回す」 をやった事実も、決して消せるものではない。


4: ダーティプア ★@\(^o^)/ 2015/04/27(月) 09:41:12.56 ID:???.net

■「許しているが、忘れてはいない」

「許しているが、忘れてはいない」、それが1955年の第一回からバンドン会議に招かれて来た日本に対する、多くの加盟国の偽らざる立場だろう。1980年代以降、徐々に中国と韓国が日本政府や日本国内の歴史修正主義的な流れに次第に直接的に抗議出来るようになったのは、この2国が経済的に発展して力を徐々に着けて来たからに過ぎない。他の国々は今でも、自国の重大な国益を左右する経済大国であり援助大国 でもある日本とその国民に、直接はっきり言うことはやはりはばかられる立場になってしまいがちだし、 だいたいこれは中国と韓国でも同じことだが、その国を訪れた日本人に直接戦争の過去に言及することは、客人であったり取引先、出資者、上司や雇用主にもなる日本人相手にはめったにやらない。大切な人間 関係を壊したくないと思うのは当たり前だし、構造的にはどうしても、あちらが遠慮して日本人が一方的に配慮を甘受する関係になりがちだ。つまりはコロニアリズム、植民地主義の構造は今でもそれらの国々と我が国の関係に影を落としているし、あちら側はそのことに常に自覚的に行動せざるを得ないが、日本人は配慮される側なので、注意しないと無視・無自覚な傲慢に陥りがちだ。

だからこそバンドン会議での安倍首相の演説には、戦争の謝罪と侵略についての反省がなかったこと以上に大きな問題が実はあるのだが、日本のメディアがそこに気づかないとしたら、かなり危険なことだ。

■安倍の恩着せがましい演説内容

実際には経済格差がそうとうに激しいアジア・アフリカ会議参加国どうしとはいえ、外交プロトコル上の立場では、だからこそあくまで平等でなければならない。そもそもバンドン会議は、民族自決権を提唱して中国首相の周恩来、インド首相ネルー、インドネシア大統領スカルノ、エジプト大統領のナセルらが開催を提唱し、かつては第三世界諸国会議とも称されたものだ。そんな過去を考えもしなかったのか、安倍はバンドン会議第一回で採択された原則の下に、アジア・アフリカ諸国の「先頭に立ちたい、と決意したのです」と平然と言い放ったのだから、呆れた植民地主義丸出しである。

この後がさらに酷い。なんと安倍はあろうことか、戦後日本がアジア・アフリカ諸国にやって来た援助の類いを恩着せがましく羅列したのだ。まるで『冒険ダン吉』気取り(南洋の島に流れ着いた日本人少年が “土人” を 教化してその王様になる話)の最後にとってつけたように「アジア・アフリカはもはや、日本にとって「援助」の対象ではありません。「成長のパートナー」であります」などと言ったところで、この文脈では日本の援助のおかげだとう、と恩着せがましく言っている意味にしかならない。

安倍の演説は題名でこそ「多様性」と「共生」を謳っているが、「多様性」と「共生」にあってはならないはずの「先頭」に立つと決意してお前らのために頑張って来たのだ、「お手伝いして来た」のが日本だと恩着せがましく言い張り、しかも将来に渡っての「多様性」と「共生」の必要性の理由として挙げたのは「リスクの共有」、 具体的にもっとも強調したのが、今の世界で欧米が熱中しているところの「テロ対策」である。場をなにも弁えないままにエゴの発散で威張る、恩を売って「先頭」気取りで自分の父権制的な価値観を一方的に押し付ける。 言葉は悪いが、バンドン会議における安倍の演説は「空気の読めないモラハラ親父の自己陶酔と幼稚で自己中な自己正当化(精神的なDV)」と形容するのが、ぴったりに思えて来る。しかもインドネシア人の歴史認識の喩えを交えていえば、そのモラハラ親父は、かつてのレイプ犯が無反省なまま威張っている構図だ。


5: ダーティプア ★@\(^o^)/ 2015/04/27(月) 09:41:51.67 ID:???.net

■安倍政権の頭は「八紘一宇」の発想そのもの

それにしても、安倍たちの頭のなかにあるのはいったいどういう共生、どういう多様性だったのか?

先頃、参議院で自民党のタレント女性議員と麻生副総理のあいだで「八紘一宇」を称え合う珍妙な会話が交わされたが、安倍の演説のいう「多様性」と「共生」でも「日本が先頭」で、テロを始めとする「リスク」があるから団結しようという論理は、まさに「八紘一宇」の発想そのものでしかないことに、演説原稿を書いた外務省も官邸も、報道している日本のメディアも気づいてすらいないようだ。

「強い者が弱い者を力で振り回すことは断じてあってはならない」と中国を牽制したつもりの安倍だが、日本が「先頭に立ちたいと決意した」、強い者が弱い者たちの「先頭」に立って守ってやる、「お手伝い」と称して導いてやっている気分でいることと、力で振り回すことのあいだに明確な線引きなぞあろうはずもないこと、それこそが「大東亜共栄圏」の大義名分を掲げた20世紀前半の日本の誤りの起原であったことに、気づかないのだろうか?

とはいえこのモラハラ親父の勘違いした似非マッチョめいた、無自覚なコロニアリズム、植民地主義の色濃い差別的偽善は、我が国では安倍に限った問題でもない。安倍の二回目の首相就任からしばらくして問題になった「反韓デモ」の「ヘイトスピーチ」に対抗するという日本人のカウンターと称する運動も、その大勢は「弱い者」と位置づけた在日コリアンを「守ってやる強い者」の立場で、そうした抗議に参加する在日コリアンには決して「自分達に向けられた差別と戦う主体性」を許そうとしないコロニアリズム的な同化主義の傾向も色濃い。そうした「在日の人たちを矢面に立たせるなんて」「かわいそう」「傷つくからいけない」的な「弱い者」 扱いのコロニアリズムであれば、安倍政権や自民右派でもある程度は許容できるわけで、今や自民党が「ヘイトスピーチ規制法」を検討し「弱い者を傷つけない、守ってやる正義」に耽溺している。

■呆れ果てた植民地主義者の傲慢と言われても仕方がない

同じ論理構造が安倍のバンドン演説にも垣間見える。呆れ果てた植民地主義者の傲慢と言われても仕方がない上に、その同じ傲慢さで過去に大きな過ちを犯したことにはほとんど触れもせず抽象的な語句で曖昧に誤摩化しただけでは、この演説は他の参加国に失礼を通り越して、呆れられるほどのレベルの低さだ(これは「カウンター」の言動を多くの在日コリアンがむしろ侮辱と受け取ったことにも通じる)。それでも経済大国である日本との関係を守らなければいけない多くの参加国は、なかなか文句が言える立場にはない。

一方、安倍が勝手にライバル意識でも燃やしているつもりの中国の習近平がAIIB(アジア・インフラ投資銀行) について演説で触れた際には、実際には自国の発案で、自国が大きな役割を果たすはずでも、あくまで他の参加国と「共に」と平等性をちゃんと踏まえている。どちらが信頼感を持たれるかは、言うまでもない。

そもそも安倍の演説は、他の参加国の立場や国民感情なぞほとんど考えていない。なにしろ後段