2015年03月24日

【東京地裁】横断歩道で女性を轢き殺した自転車乗り(42)「構造上、前屈姿勢なので歩行者が見えないのは仕方ない」→禁錮二年、執行猶予三年判決

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確かに仕方ないので、今度はトレーラーに突撃して下さい。

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命奪う一瞬の不注意 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

 2010年1月の昼下がり。東京都大田区に住んでいた母、令子さん(当時75歳)は歩いて買い物に出かけた。横断歩道の信号が青になり、渡り始めた、その時だった。

 右から、信号を無視してスポーツタイプの自転車が飛び込んできた。はねられた令子さんは転倒。道路に激しく頭を打ち付け、病院に運ばれた。

 「意識がない」。連絡を受けた東さんは、自転車事故に遭ったことと、頭を打ったこととの関係が理解できなかった。だが、病室で見た母はベッドに横たわり、顔は黒ずみ、生気もなかった。一度も目を開けず、5日後、息を引き取った。

 「加害者」は40歳代の男性だった。趣味のサイクリング中で、乗っていたのは座席よりハンドルの位置が低いロードバイク。手で握る部分が下向きに曲がったドロップハンドルと呼ばれる形状で、やや前傾姿勢で運転するタイプだった。

 重過失致死罪で起訴された男性側は公判で、脇見運転を指摘され、こう反論した。「自転車の構造上、下向きになり、ヘルメットもかぶっていたので、信号が見えにくかった」

 東さんは憤りを抑えられなかった。どんな自転車であれ、よく前を見て乗るのが当然ではないか――。

 被害者参加制度を使って法廷に立ち、「永遠に親孝行ができなくなってしまった。(事故を)一瞬一秒でも忘れることは許さない」と実刑を求めた。だが、判決は禁錮2年、執行猶予3年で確定した。

 不注意で車やバイクの事故を起こせば原則、自動車運転死傷行為処罰法が適用され、最高刑は懲役7年。しかし、自転車は道交法上は「車両」なのに、同処罰法の対象には含まれない。悪質な運転でも、適用されるのは重過失致死傷罪で最高刑は懲役5年だ。

 「母の命は軽いのか」。東さんは、今も無力感に襲われる。事故後、父はふさぎ込み、会話をほとんどしなくなった。「自殺しないだろうか……」。東さんは気がかりでならない。

 「事故を軽く見ないでほしい」。東さんは裁判や賠償手続きなどの体験、憤りをブログにぶつけ続ける。

そのご遺族のブログを少し転載。

東光宏(自転車交通犯罪遺族)のプロフィール|Ameba (アメーバ)

【訴訟経緯のまとめ】

第1回弁論は2012年3月7日。加害者本人は出ず、ギリギリ出してきた答弁書は「不知」「争う」の連発。

第2回弁論は4月16日。子供じみた知らぬ存ぜずの態度に、人殺し笛木への怒りを新たにしました。

第3回弁論は6月11日。父の成年後見審査中なので次回期日を決めたのみ。加害者の例の笑える非常識弁護士が「電車遅延」を理由に欠席(遅延の事実なし)。そのいい加減ぶりにあらためて失笑でした。
その後7月13日に弁論準備手続という書記官室での非公開の流れになりましたが、「被告と同じテーブルに座るのは汚らわしく屈辱的だ!」と主張したところ、裁判官がそれを認めてくれて、一旦延期の上、公開法廷に戻してくれました。

第4回弁論は9月3日。被告は「医療ミスだ」「適正な治療があれば死なずに済んだ」と医師のせいにしてきました。

第5回弁論は10月19日。非公開の弁論準備手続になりましたが、単独制から合議制に変更。それだけ裁判所が重大視している証拠です。

第6回弁論は12月6日。被告は、母が入院中ベッドの下にしゃがみこんでいたことを、「この時に頭を打って死んだに違いない」「だから自転車でぶつけたのとは無関係」と主張してきました。怒りを通し越して呆れかえるのみです。

第7回弁論は年が明けて2013年1月28日。私は骨折入院中で、涙を飲んでの欠席。そのため弁護士に任せましたが、自爆主張を繰り返すのみの被告に対して、関係医師の方々の(ごく当たり前の)意見提出予定を報告したのみ。被告はまた弁護士が1名欠席。相変わらず適当な弁護団です。

第8回弁論は3月15日。第9回弁論は4月18日。更新できずにいたのでまとめますが、被告側が医者のカルテをいじくりまわして必死に責任逃れの要素を探しまわっている段階で、特に書くべきことなし。私としては、昨年からずっと書けずにいた遺族心情陳述書をようやく書きあげました。言うべき論点は漏れなく書き出し、思いも尽くしたつもりです。肩の荷が少しおりました。

第10回弁論は5月31日。加害者側は、噴飯ものの珍説をバッサリ論破された後も、さらに反論しようとして「1ヶ月半ほど時間をくれ」と言ってきました。「恥を知れ」の一言です。また父の通っていたメンタルクリニック医師が、患者攻撃の滅茶苦茶なカルテを書いてきたトラブルもありました。ただ判決に深刻な悪影響はないと思っています。

第11回弁論は7月24日。医療ミス云々の珍説を、搬送先病院側より完膚なきまでペシャンコに潰されたあと悪あがきの準備書面を出してきました。「病院側意見は過失当事者だから信憑性がない(つまり金で書かせた珍説の方が信憑性がある)」「自転車の衝突は自動車事故ではなく、自転車でぶつけることなんて大したことではない」・・・おそらく「不誠実」という意味では日本裁判史上に残る逸物を相手にしているようです。

第12回弁論は9月17日。被告は「絶対ベッドから転落して死んだに違いない」「病院の管理体制がしっかりしていれば起きなかったはずだ」「だから病院を訴訟に巻き込むぞ!」と主張してきました。ただ失笑しかありません。

第13回弁論は10月28日。加害者側のトンデモ主張で搬送先病院が巻き込まれて長期化かとうんざりしていましたが、病院側は「事件で死亡したのは明らか」「あとは意見書で書いた通り」「よって訴訟参加はしない」と裁判所に文書通知。裁判官もそれに同意し、次回私が証言台に立って結審の予定です。病院もまとも。裁判官もまとも。異常なのは加害者のみ。ということで訴訟が終局に向かうことになりました。

第14回弁論は11月19日。私の原告証人尋問で結審となりました(結局本人は民事で一度も出廷せず)。私の弁護士からの質問に答えて、当時と現在の辛い状況を吐露。また加害者側弁護士側は無礼な言葉づかいで、「加害者は謝罪しているだろ?」という作り話のための露骨な誘導尋問を繰り広げてきましたが、実際のやり取りを突きつけて、バッサリ斬り捨てさせてもらいました。加害者本人は最後まで醜悪なままで、加害者弁護士は最後まで愚かな自爆に終始しました。

判決は年明けて2014年1月28日。加害者の珍説主張は当然ながら一蹴され、私の勝訴判決で終わりました。判決直後、東京地裁記者クラブで記者会見を行い、大々的に報道もされました。しかし奪われた生命は帰ってくるわけではなく、加害者は無反省なまま以前通りの日常生活を送り、町を歩けばマナーの悪い暴走自転車が横行し、自転車による被害者・遺族は出続けています。現実は何も変わっていません。私の自転車交通犯罪遺族としての活動は、今も変わらず続いています。

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コメント
あ〜あ、これでロードレーサータイプの公道走行は禁止されるな。欠陥品だもの。
Posted by 名無しさんはデマに苦しんでいます at 2015年03月24日 15:58
犯人は田舎もんに全部w
東京に来て何十万の自転車買ってハッピーなはずの自分なのに何で。。。
都会の田舎のサイコパス、あなたの周りにも心当たりありませんか?www
Posted by 名無しさんはデマに苦しんでいます at 2015年03月24日 22:31
犯人は日本人ですか?
Posted by worldwalker's weblog(・∀・)! at 2015年03月26日 11:47
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