2014年02月20日

反日材料に悪用するもイギリスで習近平に大恥を掻かせた英映画「レイルウェイ 運命の旅路」予告編公開される

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泰緬鉄道 癒される時を求めて
泰緬鉄道 癒される時を求めて

インパール作戦時、韓国光復軍はイギリス軍と共同戦線を張り日帝を粉砕したとか教科書に載っている位で(【あるべき歴史】中韓政府が民族の自信を取り戻す為に捏造・改竄した「中国共産党と韓国臨時政府・光復軍の輝かしい戦歴」)、中韓では首脳クラスまで正しい歴史を知りませんが、これは共に軍事独裁国家を経た特殊事情による構造的問題なので個人を責めても仕方ないです。

彼らの常識レベルは先進国の小学生並。バカと囃し立てるより、再教育した方がお互いに宜しいかと。
UNが主体となり再教育〜マルクス主義などイデオロギーを排し、儒教原理主義思想を解き、公共ルールや性道徳、社会規範など西側基準の価値観を押し付ける思想改造実施したら、世界はもっと幸せになるよ。

先ずやらなきゃいけないのは、盗まないこと、嘘を吐かないこと。
それさえ出来れば、日本はいつでも中韓を歓迎しますよ。

英国紙に中国の大使が「反日」寄稿、寄せられた500件のコメントの中身とは:JBpress(日本ビジネスプレス)

 ちなみに、劉大使は自らの文章の後半で、近々イギリスで公開予定の映画「The Railway Man(レイルウェイ 運命の旅路)」について、ここぞとばかりに「第2次世界大戦時に日本軍に苦痛を与えられた英国の捕虜の悲劇の物語だ」と取り上げた。

 しかし、この映画は劉大使の意図する材料にはなり得ないものだった。主人公は確かに第2次世界大戦時に日本軍の捕虜となり、タイとビルマを結ぶ泰緬鉄道の建設現場で過酷な扱いを受けた。だが、この映画は、残虐さではなく、戦争がもたらした憎しみを乗り越えての「和解」がテーマだからだ。

 ちなみに、主人公は泰緬鉄道での過酷な体験の記憶にいまだ苦しめられるという生活を送っているのだが、ひょんなことから当時の日本人通訳の永瀬が今も存命であることを知る。その男性は、償いの思いから戦争体験を伝えようとタイで暮らしていた。永瀬隆氏は実在する人物である。

 その永瀬を真田広之が演じているが、「日本人として、このストーリーを世界に語らなければいけないと思った」(シネマトゥデイ)とコメントしているのは興味深い。

 おそらく劉大使もここまでの内容とは知らなかったのかもしれない。「和解」をテーマにしたこの作品、劉大使にも、また多くの中国人にもぜひ見ていただきたいものである。林大使が指摘するように、和解は両者の未来志向の寛容さによってもたらされる。世界世論に訴えて圧力によって覆すといった手段で行うべきものではない。

 さて、さらに関心を引くのが、読者から記事に寄せられたコメントである。デイリー・テレグラフの読者の間では、「チベット問題はどうなのか?」「ウイグル問題はどうなのか?」「天安門事件は?」「文化大革命は?」などの議論が持ち上がった。いずれも中国にとっては“禁断の泣き所”である。

 参考までにマリナ・メンデスさんのコメントを紹介しよう。

I am too far away from both Japan and China to really have a strong interest in their problems with each other. But in my humble opinion, the Chinese government must compensate and apologize to the Tibetans and Uighurs, and vacate their homelands which it has invaded and occupied illegally through killing and wars of conquest, before it can talk to Japan about any similar issues (apology, militarism, etc.)

 要約すれば「日本の謝罪や軍国主義について語る前に、中国政府はチベット、ウイグルに対して謝罪すべきである」という内容である。

日帝に対し何十年も怒りを溜め込んだ英国人男性が遂に目にしたものは?
IMDBも7点台となかなかの良作の模様。実話の由。

映画「レイルウェイ 運命の旅路」公式サイト

映画「レイルウェイ 運命の旅路」公式サイト

物語

鉄道好きな初老の男性エリック・ローマクス。少々気難しそうにも見えるが、列車で美しい女性パトリシアと相席となり、一目で恋をする。不器用に話をするエリックに、自分のことを素直に話すパトリシア。彼女の方もまた、はにかみやでどこか謎めいたところがあるエリックに心惹かれるのだった。間もなく2人の愛は一気に深まり、エリックはパトリシアへの愛を貫き結婚式を挙げる。式にはエリックの退役軍人会の仲間たちも出席していた。そのうちのひとり、フィンレイは幸せそうなエリックを複雑な表情で見つめているのだった。

エリックとパトリシアは深く愛し合っていたが、幸せな日々は長くは続かなかった。エリックは若い頃に第二次世界大戦に従軍していた際の、過酷な戦争体験で負った心の傷に苛まれていたのだ。日増しに気難しくなり、自分の殻に閉じこもるようになるエリック。そんな夫をパトリシアは何とか救いたいという一心で、フィンレイを訪ねて救いを求める。だが、フィンレイもまた戦争のトラウマから立ち直っておらず、同じ苦しみを抱えていた。そんな中、エリックやフィンレイの悪夢のような体験に深く関わる、日本人通訳だった永瀬が、今も生きていることを新聞記事により知る。その記事によれば、彼は戦争体験を伝えようと寺院を建て、タイで暮らしているとのことだった。永瀬の生存に動揺を隠せないエリックの脳裏に、まるで昨日のことのようにはっきりと当時の記憶がよみがえる。

全てを忘れたいと思いながらも、深い心の傷を呼び覚まされ、正気を失いそうになるエリック。だが、あるショッキングな事件が起こり、エリックは思い悩みながらも、本当の意味で過去と決別し、パトリシアと人生を歩んでいくためにも永瀬と直接向き合うことを決意する。心配しながらも夫の再生を信じる妻に見送られて、単身でタイへと向かうエリック。何十年もの時を経て、かの地で永瀬と対峙する瞬間は刻々と近づいていた———。

物語の背景

チャーチルは1942年2月15日のシンガポール陥落を「英国史上最悪の災難」と称している。人員も武器も敵軍より少なく、空軍のサポートもなく、ジャングルの戦術もろくに知らない連合軍は組織立った敵軍相手では勝ち目がなかった。連合軍の予測とは裏腹に日本軍は海から攻め入ることはせず、マレーのジャングルを南下していった。日本軍の捕虜となった20万人のうち、25,800人が英国軍、18,000人がオーストラリア軍の兵士だった。

1942年6月にミッドウェイ海戦に負け、インド洋への海上ルートが閉ざされた日本軍はビルマ戦線の物資輸送のために中国とインドをつなぐ鉄道を建設する決断に至った。後に「死の鉄道」と称されるようになったのはこの鉄道のタイとビルマをつなぐ415キロに及ぶ区間である。それよりも40年前にイギリスが建設を検討していた鉄道だったが、地形が複雑だったため、計画は断念された。悪天候や衛生問題もあるなか山を削ったりジャングルを切り倒したりするのは物理的に無理と判断されたのである。

ジュネーヴ条約に加盟していなかった日本政府は捕虜となった者は自らの権利を放棄し、敵軍に寝返った者と見なしたため、連合軍捕虜を鉄道建設に従事させることにした。環境は劣悪だった。戦争捕虜のうち6,648人の英国人と2,710人のオーストラリア人が命を落としたとされており、その他戦地のトラウマに苦しむ人が大勢いた。生き延びた連合国軍の兵士の多くは、一番過酷な労働に従事させられたのはアジア人だったと強調し、その中で命を落としたのは鉄道建設に従事した人のおよそ半分に相当する80,000人だったとされている。

退役軍人たちはまた、「死の鉄道」に関しての一般の知識がデヴィッド・リーン監督の『戦場にかける橋』で描かれている程度のものでしかないことにも不満の声をあげている。映画自体は立派だが、あくまでもフィクションとして位置づけられているものだ。エリック・ローマクスは「あんなにたらふく食べる戦争捕虜を見たことがない」とのコメントを寄せている。

現にクワイ河というのは存在しない河なので、クワイ河にかかる橋も存在しない。映画は現スリランカにあたるセイロンで撮影された。後に映画の橋を訪れたいという観光需要に応えようと、タイ政府は戦争捕虜によって建設されたもので残存する最後の橋がかかる川の名前をクワイに改名したのである。この橋は『レイルウェイ 運命の旅路』が撮影されたカンチャナブリーにある。




70余年が過ぎた「過去の歴史」とは国家発揚に悪用したり、謝罪と賠償材料探しの「ドラえもんのポケット」ではなく、過ちを二度と繰り返さない為のテキスト。
特に韓国は500年の時を越え未だ「秀吉」を公式に責めている事実を鑑みるに、根拠なき日韓併合時の恨みもあと500年続きます。我々の子孫に余計な迷惑かけないためにも、一日も早く韓国の甘えを断ち切るべき。
言いたいことを言い合い、相手の話をきちんと聞く。事実は事実で認め、誤りは誤りと指摘する。
未来へ遺恨を残さぬことが今を生きる我々世代の責務です。

俺はやればできるのにこうなったのは親のせい、学校のせい、友達のせいと言い訳ばかり続けるダメな子供。それが中韓の正体。

【スクープ最前線】韓国「二股外交」に米で怒りの声が噴出 ケリー国務長官の忠告も無視され… 政治・社会 - ZAKZAK

公衆の面前で、尹氏にバカにされたケリー氏はイラつき、その表情はみるみる険しくなっていた。

 以下、複数の米国政府、国防総省関係者から得た情報だ。とくとお読みいただきたい。

 「ケリー氏の正確な発言は『put history behind them』だ。一部メディアは『歴史問題を克服しろ』と訳したが、真意は『過去は忘れろ。水に流せ』という強烈な忠告だ。それを無視されて、ケリー氏や米国のメンツは丸つぶれになった」

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Posted by kingcurtis 固定リンクComments(4)中国 | 映画
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コメント
シンガポールでの捕虜の数がちと多いような…。
鉄道建設での死者もインパール作戦での死者より多いし…。
原作自体が粉飾決算みたいな…。
私の親父もインパール作戦から生きて帰ったが、捕虜収容所での酷さを口にせずトラウマにもなっていないけどね。口にしないが断片的な話からも肉体的にも精神的にも大変だったようだが、日本に生きて帰るのだと強い意志を持っていたから肉体的にも精神的にも耐えられ生きて帰れたのだろう。
Posted by 名無しクネクネ〜 at 2014年02月20日 16:59
 うちのおじさんは、インパール作戦の戦争小説で名前も出てた。小説では突撃して戦死した中尉って事になっている。このところ、インパール作戦とか戦場に掛ける橋云々を聞くので調べてみたら、日本政府のODAで、ミャンマーに石油、天然ガスの基地と港を作り、まさに戦場に掛ける橋の貨物列車を走らせ、海賊問題のあるマラッカ海峡を通らない輸送路を作りたいのだとか・・・これに異を唱えるのがシンガポール。マラッカ海峡スルーされたら一気にしぼむ。そんなんで今イギリスと仲が悪くなりつつあるとか。
Posted by 名無しのクネクネ at 2014年02月20日 20:13
永瀬さんは信用できるお方なのでしょうか。
Posted by 名無しのクネクネ at 2014年02月20日 22:41
親父によると、英国軍との戦闘はお互いに拡声器?で戦闘開始します、傷付いた兵隊さんを救護するので撃ち方を止めます、と大変に紳士的だったと。
ほんまかいな、と驚きました。
さすがは紳士の国、英国軍。
さすがは帝国陸軍。

そういう話を聞いているから、英国軍の作家の原作には?が浮かんだのです。
Posted by 名無しのクネクネ at 2014年02月21日 00:59
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