2009年05月06日

チャングムに熱狂しながら明成皇后殺害は知らないチョッパリには開いた口が塞がらないとドキュメンタリー監督鄭秀雄さん

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閔妃(ミンビ)は誰に殺されたのか―見えざる日露戦争の序曲

鶯の鳴き声聞きながら山の中でブログ更新しています。なんて真面目なおいらww

【日韓】 チャングムにわきながら明成皇后殺害は知らない日本〜韓国から正しい歴史知らせに熊本訪問★2[04/15]
1 名前:蚯蚓φ ★[sage] 投稿日:2009/04/18(土) 09:36:41 ID:???

http://image.chosun.com/sitedata/image/200904/15/2009041501669_0.jpg
▲「誤った歴史を日本人たちに正確に知らせてくる」と明成皇后殺人犯たちの故郷である熊本県を訪問するイ・ドンジェ恭陵奉享会会長(左側)とドキュメンタリー監督、鄭秀雄(チョン・スウン)さん。

「日本の人々は明成皇后弑害事件をよく知りません。開いた口が塞がらない事です。日本の高位層の人士の妄言が繰り返される理由もそこあります。今回行って彼らの誤った歴史を正確に知らせてくるつもりです。それでこそ両国関係の発展があるんです。」(イ・ドンジェ)

明成皇后(閔妃、1851〜1895)忌晨祭を主監している恭陵奉享会イ・ドンジェ(78)会長とドキュメンタリー監督チョン・スウン(66)さんは17日、日本の熊本県を訪問する。こちらは明成皇后弑害に加わった日本浪人48人のうち21人の故郷。2005年にお詫びの意を伝えるために明成皇后忌晨祭を訪れた日本の市民団体「明成皇后を考える会」と一部浪人の子孫たちに会うためだ。

イ会長は「'明成皇后を考える会'の韓国訪問に対するお返しの意味もあるが、今回の機会を通じて最大限多くの日本の人々に明成皇后がどのようにお亡くなりになったのか詳しく知らせて来る。朝鮮の国母を弑害した人々が一体、どんな土地で生まれたのか知りたいと思う」と言った。

チョン監督は2005年KBSを通じて放映されて大きな反響を起こした作品「110年ぶりの追跡、明成皇后弑害事件」取材過程で明成皇后殺人犯子孫のお詫び訪韓を取り持った事情で今回一緒に日本に発つ。彼のドキュメンタリーは来る6月から市民団体の助けを借りて日本各地で巡回上映される予定。

チョン監督は「日本政府が明成皇后弑害事件に対して我が国に公式に謝罪しなければならないが、まだ期待できない状況。それなら民間次元でこの事件の真実を日本の人々に広く知らせなければならない」と言う。「日本の教科書にも登場しないのに日本人の誰がこの事件を知っていますか?」

「明成皇后を考える会」所属の日本人らは2007年から明成皇后忌晨祭でお辞儀ができるようになった。イ会長は「その前は帝室近くに来ることもできないように阻んだが、遠い所から明成皇后を拝みにきた人々をそれほど突き放すことも正しくないようだった」と言った。「恥ずかしい歴史であるほど自分たちがもっとよく知らなければならないと思う人々です。『大長今』(邦題:宮廷女官チャングムの誓い)にわき返えりながら、こんな痛ましい過去を知らずに生きてきたのが恥かしいと言ったりします。日本でこのような人々がもっと多くならなければならないでしょうに。」

ソース:朝鮮日報(韓国語) "日,大将金に沸き返えながら明成皇后弑害は分からなくて"
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2009/04/15/2009041501767.html

関連スレ:【韓国】熊本の教員団体、明成皇后の墓で「謝罪」
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/owabiplus/1185868381/
【韓国】明成皇后殺害した日本人外孫「祖父が間違いだった」[11/08]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1194492589/
【日韓】 「明成皇后を考える会」会員13人訪韓〜小学校教師「教え子に正確な歴史教えたい」[07/30]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1185800436/

前スレ:http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1239975525/
★1の立った時間:2009/04/17(金) 22:38:45



16 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[sage] 投稿日:2009/04/18(土) 09:43:39 ID:cLWM6UIc

「明成皇后を考える会」って、角田某の本を鵜呑みにしてる人たち?



27 名前:エラ通信 ◆0/aze39TU2 [] 投稿日:2009/04/18(土) 09:46:44 ID:Eii3r/tS

実は、当時の朝鮮って、ウラジオストクまで実質的な朝鮮民族領だったんですよ。

でもロシアが来て、朝鮮人を駆除・撲滅し、残った一部を中央アジアに連れて行った。
で、このミンビはそれを知りうる立場にありながら、ロシアを引き入れようとしてたんですね。



37 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[] 投稿日:2009/04/18(土) 09:52:42 ID:tl5JErQH

李周會と尹錫禹と朴銑の裁判宣告書(官報)
http://stat.ameba.jp/user_images/34/42/10010230332.jpg
http://stat.ameba.jp/user_images/7c/21/10010230363.jpg

http://ameblo.jp/dreamtale/entry-10018188148.html



60 名前:エラ通信 ◆0/aze39TU2 [] 投稿日:2009/04/18(土) 10:01:09 ID:Eii3r/tS

売国閔妃の経歴

●大院君が息子の高宗に妻の親戚に当る「閨秀」(kyusu) 後の閔妃を王妃として冊封した
●高宗が宮女である李氏に男子(wanhangun)を生ませた
●閔妃が男子「拓」(cyou)を出産 後の純宗王となる
●後継者争いが勃発
●閔妃が側近(iyuji)を北京に派遣し、清朝から 拓(cyou)を嫡子として承認を得る
●閔妃が反大院君派を取り込み、儒学者の(cheikuhyon)を利用し大院君の失脚を策動
●大院君失脚 実質的に閔妃の専制政治に移行
●閔一族による勢道政治が復活。李朝内部に腐敗と搾取が蔓延
●閔一族を主体に開化党(kefadan)を創設。

 鎖国から開化政策へ移行し、日本や欧米と修好条約締結
●清朝に忠誠を誓う事大党(sadedan)との軋轢が深刻化
●日本に「紳士遊覧団」を派遣、視察を実施させると共に日本式に訓練制度を変更(開化派として親日行動を強める)
●巫堂ノリ(mudan nori)と呼ばれる呪術に没頭。多額の資金を浪費する
●金剛山に国庫の6倍にものぼる寄進を実施。国家財政が破綻状態に陥る
●自身の誕生日を祝う式典を実施。軍近代化のための資金を流用させる。
(王宮守護の近衛兵(5772人)に対してさえ、13ヶ月分の給与未払が発生)
●壬午軍乱発生 疲弊した軍人が大院君と結託。実力者 閔謙鎬(minkyomuho)殺害
 閔妃は殺害を逃れ、閔応植(minunsiku)の邸宅へ非難 大院君が復権
●清が朝鮮出兵 ソウルにて大院君を捕縛 清国軍艦に連行
 閔妃が再度政権を掌握(清への事大を強め、開化派と距離をおくようになる)
●開化派によるクーデター勃発 甲申政変で一時政権を失うが清の軍事的進駐で復権(日本がクーデター派を支援した為、対日感情を悪化させる)
●天津条約が締結。日清両軍は朝鮮半島から撤兵し朝鮮に真の独立の好機が訪れる
●ロシアがソウルに外交官(supe-ru)を常駐させる。閔妃が急速にロシアと接近する。
●閔妃一族が主体となり朝露密約を締結しロシアの勢力化に入ろうとするが、外務督弁の金允植(kim yunsiku)がこれを拒否。
(密約の内容 軍事的保護とロシア皇帝勅命の大臣をソウルに常駐させ朝鮮の海域はロシア海軍の軍艦が防衛の任に当たる・・)


■閔妃の夫、高宗の発言(1896年の勅令)
「禍乱の張本人たる禹範善、李斗鎬、李範来、李シンコウ、趙義淵、権鎭等を
 斬首して露館に来り、朕の観覧に供せよ」

※意味「王妃を殺害した張本人である禹範善たちを死刑にして、ロシア公館に
     来て、首を私に見せろ」「王妃を殺したのは自分の部下だ。復讐する。
     国が滅んでもかまわない」


■殺害現場にいた閔妃の子、純宗の発言(往電31号)
「国母を殺したのは、禹範善だ」 ※その後、純宗は刺客で禹範善を暗殺


■禹範善の発言(在本邦韓国亡命者禹範善同国人高永根魯允明等ニ於テ殺害一件)
「王妃を殺害した実行犯は、私です」
ttp://www.mf10.com/dreamtale/4gazoume.jpg



68 名前:エラ通信 ◆0/aze39TU2 [] 投稿日:2009/04/18(土) 10:04:04 ID:Eii3r/tS

■ロシア人カルネイェフの発言
「殺害計画の首謀者は、大院君だ」

…閔妃の夫と息子が「犯人は禹範善だ」と断言しています。しかも2人とも殺害現場
にいたとされています。そして禹範善も殺害を認めています。間違いなく閔妃を暗殺
した実行犯は「韓国人・禹範善」です。そして首謀者は高宗の父、大院君です。
仮に三浦梧楼が加担していたとしても、それは「協力」というレベルであり、事件の
基本的な責任は韓国人にあるのです。


韓国人は「日本人は閔妃の死体を強姦した!」と信じています。
「石塚英蔵の記録にそのような記述がある!」と韓国の反日小説に書かれたからです。
しかし本当は…。

■石塚英蔵の記録
ttp://photoimg.enjoyjapan.naver.com/view/enjoybbs/viewphoto/thistory/1719000/20060726115385214909363300.jpg

「守備隊の警護の制止を突破し、城内に侵入し、野次馬は深く建物の内部に入り
王妃に傷を負わせ、裸にし、念入りに局部の検査をし(笑いながら、また、怒りながら)、
最後に油をかけて焼き殺した…」

…何処にも「強姦」の記述はありません。
ただ、「野次馬が王妃の性器を検査した」と書いてあります。
日本人が何の注釈も無く、「野次馬」と呼ぶのであれば、それは100%韓国人です。
つまり閔妃の死体を陵辱したのは、韓国人の民衆だったのです。


閔妃の殺害の首謀者は大院君です。

閔妃の殺害の実行犯は禹範善です。

閔妃の死体を陵辱したのは韓国人の民衆です。



82 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[sage] 投稿日:2009/04/18(土) 10:14:26 ID:Pj3szRyQ

【正論】筑波大学大学院教授・古田博司 増殖する韓国の「自尊史観」
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/081217/acd0812170302001-n1.htm
2008.12.17 03:01

 ≪「チャングム」のまやかし≫

近頃、会合で話をすると10人に1人位は韓国時代劇チャングムのファンがいて、物語をそのまま史実だと思いこんでいることが多いので、正しておきたい。まず朝鮮の李朝では、女子が宮中に出仕すると王様と疑似婚姻関係に入るので一生外に出られない。チャングム女史のように出たり入ったりはできない。

ドラマでは李朝時代は色彩にあふれているが、ほんとうは顔料がないので民間に色はない。
中国の清朝でも日本の江戸時代でも陶磁器に赤絵があるが、朝鮮には白磁しかないのはそのためで、民衆の衣服が白なのも顔料が自給できないからである。民芸研究家による「朝鮮の白は悲哀の色」というのも、今では真っ赤なウソである。上流階級だけは中国で交易する御用商人から色のある布を買っていた。

李朝は清朝や江戸時代と異なり、技術革新を嫌い、低レベルの実物経済で500年もの統治を可能にしたのであり、どこに似ているかといえば、いまの北朝鮮に似ている。19世紀初めの朝鮮の儒者が、「(我が国の拙(つたな)きところ)針なし、羊なし、車なし」(鄭東● 『晝永編』)といっている。

針は粗雑なものがあったが、ちゃんと縫うには中国から針を買わねばならなかった。当時の中国針は優秀で、日本も輸入している。羊はモンゴルに征服された高麗にはいたが、いつの間にか滅びた。車は西洋文化が流入するまではない。木を曲げる技術がなかったからである。だから李朝には樽(たる)もない。液体を遠方に運ぶことすらできなかった。かつて日本が保護したとき、韓国はそのような国であった。



83 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[sage] 投稿日:2009/04/18(土) 10:15:29 ID:iFrmFX19

>>79
もう忘れたけど、こいつのやった事って李氏朝鮮にとってマイナスにしかなってないんだよな。
何をやったかに焦点をあてれば殺されて万歳なんだが。
下手人はどうでもよいと思う。暗殺だから五里霧中。
朝鮮人は大いに関わってる。でないと無理。



94 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[] 投稿日:2009/04/18(土) 10:27:21 ID:GpT2Z0cf

>>83
もともとそれ程、富があった訳じゃなかった李氏朝鮮において、多く無い
国有資産を外国にはした金で売って贅沢三昧の日々を送ってた女帝だから
ね。
本当に朝鮮を研究してれば決して賢帝でも国母でも無いと分かるはずなん
だけど日本批判出来れば、そんな事実もどっかに放り投げるんだよね。
まったく救えない民族さね('A`)



106 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[] 投稿日:2009/04/18(土) 10:45:44 ID:x0flMB2l

ドラマ版チャングムの最終回

王(?)の主治医になったチャングムのその後

・【江戸時代に天然痘の予防接種を考案した緒方春朔をパクって】
自ら天然痘の治療に最前線に赴き、初めて治療に成功した人物になる。
(医者なので感染とか当然しない設定。)

・【三国志演義で有名な華佗の逸話をパクって】
麻酔を開発し、開頭手術の先駆者となっている。



107 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[] 投稿日:2009/04/18(土) 10:49:14 ID:87flSv2T

朝鮮ではコイツと大院君が下らない政権争いを繰り広げ
清では西太后が好き勝手やったせいで両国は近代化のチャンスを完全に逃した。
時代の変換期に、優秀な指導者や傑物に恵まれた日本は本当に幸福だったよ。

さて現在において中国では西太后は中国史上における三大悪女の1人として忌み嫌われてますが
韓国ではビンピは何故か時代に翻弄された悲劇の女性として慕われてますw



141 名前:エラ通信 ◆0/aze39TU2 [] 投稿日:2009/04/18(土) 11:27:40 ID:Eii3r/tS

チャングムの生きてた時代の朝鮮医学の先進性
http://megalodon.jp/?url=http://f17.aaa.livedoor.jp/~kasiwa/korea/photo/igaku.html&date=20070805180753

ちなみにチャングムって、まともに出てきたのはこの一文だけ。

>傳曰: “予證, 女醫知之。”
>女醫長今言: “去夜煎進五苓散二服, 三更入睡。且小便漸通, 大便則如舊不通, 今朝始用蜜釘。’ 云。
わたしの体の調子は、女官が知っている
女官曰く、昨夜 煎進五苓散二服飲み 三更ごろお休みになり、おしっこは多少でましたが
ウンチはでませんでした。今朝は少しでたようです。



147 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[] 投稿日:2009/04/18(土) 11:35:08 ID:1eE+wMgG

しかし韓国内でここまで評価が変わった歴史上の人物も珍しい
20年くらい前までは閔妃は朝鮮史上最悪の売国奴で
親類縁者なんかは身を隠すように暮らしていたんだが
日帝にもらった称号だからと言う理由で皇后とは呼ばれていなかった

角田婆の小説一冊でコロッと変わった



169 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[sage] 投稿日:2009/04/18(土) 12:40:48 ID:fbJnZCVZ

>>1
 ところで韓国人は、チャングムというのは料理人として昔の文献に一度記載されていただけの名前であって、
ドラマはすべて創作で生い立ちや事件はすべてフィクションだということを知っていますか?



191 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[] 投稿日:2009/04/18(土) 13:33:35 ID:Zs1Q9YmP

閔妃の写真はなかった
http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dairokujuuhachidai

ネット上のHPでもよく紹介されている。
http://www.bishu.jp/r-yagi/koria/saito/rekisi-sp9.htm
それは閔妃の写真ではない

クンモリとは?
 この写真で目につく大きな特徴は頭部の左右に丸く張り出した大きなかつらで、全体的にハート形を呈する。
イサベラの記録からは、その謁見時においてクンモリをしていたのは閔妃ではなく、侍女であったことが判明する。

王妃はクンモリをしない

『日露戦争 写真画報』第2巻(1904年5月)のなかに、4月14日夜におきた韓国皇宮炎上事件の画面がある(註9)。そこでは火災から逃げてきた多くの人々のなかにクンモリの女性がいる。

閔妃の写真は一枚もない
  閔妃の写真とされてきたものが否定されたので、彼女の写真はいまや一枚も残っていないことになる。

8月12日付け朝鮮日報にこの写真についての記事があるとの情報を頂きました。新たな資料の発見で、
写真の女性が閔妃でないとする根拠となるものです
http://www.chosunonline.com/article/20040812000038



194 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[] 投稿日:2009/04/18(土) 13:42:57 ID:1eE+wMgG

最近は李氏の末裔などが現れて「皇族会」を組織したり、女皇とか皇帝とか
言っているようだが、以前は「大韓帝国は日帝の傀儡」というのが南北朝鮮
共通の評価だったから、少なくとも韓国では朝鮮王室に対して皇帝とか皇后
とか皇族とかいう言い方をしていなかった。

李方子妃死去の際も日本では「韓国元皇太子妃」と呼んでいたが韓国では
概ね「元王世子妃」という呼び方だった。

閔妃の一族もいろいろ活動しているようだが、かつては韓国人も李玖や
桃山虔一一家といった李王家の正統な末裔が日本にいることを知っていたため、
韓国内の李氏庶流や姻族の閔氏などは軽い扱いで、顧みる者も少なかった。

今はぺなどの韓国芸人を表紙にしている日本の女性週刊誌も、大韓航空機
爆破事件の時には閔妃を「100年前にもいた金賢姫」として取り上げ、同胞を
大量に殺した悪女として嘲笑的に紹介したりしていた。

またフィリピンのマルコス政権崩壊の際には閔妃を「韓国にもいたイメルダ
夫人」として、贅沢三昧の暮らしをした挙句国政を壟断して国を崩壊に導き、
今も国民に呪われている糞女としてテレビ番組でも紹介されていた。
韓国でも似たような、ないしはそれ以下の扱いだった。



196 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[] 投稿日:2009/04/18(土) 13:55:52 ID:wpcqJsm6

日本の作家や評論からは何故か「反日、左翼、共産主義者」てき人間が
多いのは何故だ。

角田房子とはなんぞや。



197 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[sage] 投稿日:2009/04/18(土) 13:56:29 ID:35qNzxN0

当時、閔妃殺害関に日本人が関与したという記録は、以下の2点だけである。

1.「朝鮮旅行記」 『1895―1896年の南朝鮮旅行』にあるロシアのカルネイェフ中佐の発言

これには、刀を持った日本人が城を取り囲み殺したと殺害状況が書かれているが、以下の疑問があり証拠能力は、ほとんどない。

(疑問1) 城にいたとされるロシア人技術者から聞いた話らしい。つまり、又聞の又聞の旅行記に証拠能力があるか?
(疑問2) 日露戦争直前の敵国の軍人の又聞証言が信頼できるか?
(疑問3) 顔や実名さえ知られていない隔離された存在の閔妃の殺害現場を、ロシア人技術者が目撃するのは無理がある。

しかも、この本では、首謀者は日本人ではなく、大院君だとされている。(これも証拠能力などない)

2. 当時の官報号外「裁判宣告書」で、絞首刑判決を受けた朴銑が日本人を雇い入れてたという記録。

(疑問1) 雇い入れた日本人の名はない。
(疑問2) 朴銑 自身が日本人に成り済ましていた。(服装を含む)
(疑問3) 閔妃殺害関係者の中の恐らく最年少の26歳の若者が日本人を雇いれ殺害を計画したのか?
(疑問4) 後に、無罪となり保証金は支払われ、官位も復官されている。

この他には、日本政府側では、当時赴任したばかりの日本公使・三浦梧楼を始め、朝鮮にいた40数名が殺害の嫌疑を
かけられ日本へ償還されたが、裁判の結果無罪となっている。
つまり、殺害現場に日本人がいたという噂は当時からあり、日本側でも取り調べたが、殺害に加わった証拠は何もない。

また、首謀者が三浦梧楼とする説も、角田房子の小説かKBSドラマ由来の創作、仮説また捏造以外、何の記録もない。
首謀者についての確証はないが、当時の日本、朝鮮、ロシアでは、大院君であるとみられていた。



198 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[] 投稿日:2009/04/18(土) 14:07:43 ID:wpcqJsm6

閔妃 (Wikipedia)

???2001年出版の韓国金辰明著「皇太子拉致事件」でも暗殺事件が取り上げられている。
ここでは残虐非道な日本人が妃を「死姦」したと記述し、根拠として小説家角田(参考文献)
から示された石塚栄蔵報告書をもとに実話であるとしているが、????
詳細な資料検討の結果、フィクションであることが判明している[26]。



213 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[sage] 投稿日:2009/04/18(土) 15:07:04 ID:35qNzxN0

◎ 閔妃殺害の実行犯は、禹範善 (朝鮮軍部 訓錬隊第二大隊長)でほぼ間違いない。

証拠は、1907年(明治40年)8月31日付『往電第31号』他がある。
(禹範善の暗殺犯 高永根の特赦を依頼する朝鮮側と、閔妃殺害の共犯の特赦を依頼する日本側との報復通信)

この中で、閔妃の息子であり殺害現場にいた純宗の証言として
「乙未事件に際し、現に朕が目撃せし国母の仇、禹範善」が記録されている。
また、禹 自身も閔妃を殺害したと漏らしていたと書かれている。
高永根に禹範善の暗殺を依頼したのも純宗である。

◎ その他の閔妃殺害共犯については確証はない。日本に逃れ特赦を依頼されたのは以下の通り朝鮮軍関係者。

李斗?(訓錬隊第一大隊長)、李軫鎬(親衛第二大隊長)、李範来(訓錬隊副隊長)、権?鎮(当時警務使)

朝鮮軍訓練大隊が、閔妃殺害グループの中心だったとも思えるが、現場では敵見方入り乱れ、誰が殺害側で
誰が守備側か、判別不可能であり、朝鮮政府は現場にいた総てを犯人したと見るのが妥当だ。

最高責任者である朝鮮軍部大臣は、死刑判決を受けながら、禹範善の暗殺前に早々と特赦されている。
つまり、日本側はトップが特赦された以上、部下も特赦すべきだと主張したわけだ。
実際に、ほとんどの人間が死刑判決を受けながら特赦されている。

◎ 日本人の関与に関する考察

朝鮮で死刑判決を受けた日本人もいなければ、純宗に殺害を依頼された日本人もいない。
敵味方入り乱れた殺害現場でも日本人なら判るはず、殺されたり捕まったりした日本人が一人もいなければ、
指名手配された日本人もいないのは、日本人がいなかったからと推測できる。

これで、閔妃殺害は日本人だと言うのは、あまりに無理がありすぎるだろう。



226 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[] 投稿日:2009/04/18(土) 16:44:08 ID:sooe5g+v

【正論】筑波大学大学院教授・古田博司 増殖する韓国の「自尊史観」

≪「チャングム」のまやかし≫
近頃、会合で話をすると10人に1人位は韓国時代劇チャングムのファンがいて、物語をそのまま史実だと
思いこんでいることが多いので、正しておきたい。まず朝鮮の李朝では、女子が宮中に出仕すると王様と
疑似婚姻関係に入るので一生外に出られない。チャングム女史のように出たり入ったりはできない。

ドラマでは李朝時代は色彩にあふれているが、ほんとうは顔料がないので民間に色はない。中国の清朝でも
日本の江戸時代でも陶磁器に赤絵があるが、朝鮮には白磁しかないのはそのためで、民衆の衣服が白
なのも顔料が自給できないからである。民芸研究家による「朝鮮の白は悲哀の色」というのも、今では真っ赤な
ウソである。上流階級だけは中国で交易する御用商人から色のある布を買っていた。

李朝は清朝や江戸時代と異なり、技術革新を嫌い、低レベルの実物経済で500年もの統治を可能にした
のであり、どこに似ているかといえば、いまの北朝鮮に似ている。19世紀初めの朝鮮の儒者が、「(我が国
の拙(つたな)きところ)針なし、羊なし、車なし」(鄭東●『晝永編』)といっている。

針は粗雑なものがあったが、ちゃんと縫うには中国から針を買わねばならなかった。当時の中国針は優秀で、
日本も輸入している。羊はモンゴルに征服された高麗にはいたが、いつの間にか滅びた。車は西洋文化が
流入するまではない。木を曲げる技術がなかったからである。だから李朝には樽(たる)もない。液体を遠方
に運ぶことすらできなかった。かつて日本が保護したとき、韓国はそのような国であった。



286 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[sage] 投稿日:2009/04/19(日) 10:22:17 ID:Xp9ed1nT

朝鮮人は閔妃暗殺の実行犯の名前は知らないんですか?
ファンタジー小説にも実行犯の名前がないね

韓国国定歴史教科書
http://members.tripod.com/textbook_korea/7_2.html#7_2_3_1

>このとき、明成皇后は親露派と連結して日本の侵略勢力を排除しようとし、
>このために日本侵略者らは明成皇后を弑殺する乙未事変を起こした(1895年)。



299 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[sage] 投稿日:2009/04/19(日) 13:15:42 ID:niSoMDQk

明成皇后は忍者に殺されたそうです…
だから犯人の痕跡が一切見つからないんですねw ↓↓↓


【韓国】日本の忍者は職業スパイ…朝鮮侵略の先鋒に立ったのも忍者だった(中央日報)06/09/01

『日本書紀』には601年に「新羅(シルラ)の間者である迦摩多を対馬で捕らえた」という一節が出てくる。
日本の忍者は職業的細作だ。 大名から金を受け取って殺人、情報収集などをした。 旧韓末に明成皇后
(ミョンソンファンフ)を殺害するなど、朝鮮侵略の先鋒に立ったのも忍者だった。

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=79442&servcode=100§code=100

【韓国】我が国への唐辛子伝来は、文禄の役で日本軍が「化学兵器」として朝鮮半島に持ち込んだため(中央日報)10/31
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=33905&servcode=100§code=100

アッヒャッヒャ!ヽ(゚∀゚)ノアッヒャッヒャ!

李朝時代に化学兵器、明治時代に忍者か...
すげーファンタジーだなww



396 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[sage] 投稿日:2009/04/19(日) 19:01:17 ID:GuO5yhlo

『東学史』 呉智泳
一方閔妃についていえば、やはり女傑という評価が下されているが王権をかりて私的な
親族の勢力を扶植し、外敵と結んで自党の勢力をもりたて、巫女や妖僧をひきいれて
国財を私用に費し、雑輩を重用して国政を紊乱させるなど、けしからぬことが多かった。
宮廷内は邪鬼が横行して、夜ともなれば眠るに眠られなかったといい、巫女や占い師、
僧徒その他もろもろの妖術使いをよびいれて占いをさせるやら読経念仏をさせるやら、
また娼妓や花郎〔若衆〕などあらゆるよたものを集めて宴楽にふけっていた。
いわゆる大闕〔宮廷の大門〕のうちは一大混乱の場と化してしまった。そのため宮中は
昼間に眠る習慣まで生じ、太陽が天高く昇るまで、帳を垂れたままにしておくと
いうような弊害を生じた。「上が濁れば下も清からず」と格言にあるように、王宮の
昼眠るような悪風は全宮廷内の百官に伝染していった。この当時の
官吏と称される者たちは夜ともなると大闕に入りこんであやしげな者どもとたわむれ、
酒歌に時をすごし、朝になってからやっと退出して家に帰って眠るというありさまであった。
このためいわゆる朝会〔本来宮廷で朝開かれる国政のための定例会議〕がおのずから
「夕会」になってしまうのだった。「紅簡」〔本来王妃の私的文書〕とよばれる恐ろしい
力を持つ文書が一日に何十枚も出され、賄賂も思うままであった。
「紅簡」は死ぬべき人を生かし、生きるべき人を殺しもする、まことに恐るべき文書で
あった。この「紅簡」は、たいてい、別入侍や内官、宮女などを通じて発せられた。



403 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[sage] 投稿日:2009/04/19(日) 19:20:33 ID:XTKSlJ5p

http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/060/resi036.html
閔氏政権の腐敗

 閔氏政権の腐敗ぶりは、外交史料には直接の記述が少なくて分かりにくいのであるが、
軍のトップが兵卒への給与を私有したり更に掠め取る汚吏がいたということである。
前記した山ノ城管理官の建白にもあるように、国は腐敗し搾取と収奪は横行し人民は塗炭
の苦しみにある朝鮮の国情とも言うべきその姿は想像を絶するひどさだったようだ。
 それはまた次のように条約締結後の9月2日に朝鮮国王高宗が八道四都の人民へ諭告した
書からも窺うことが出来る。
 高宗自ら、その不徳を謝罪し、また厳罰を以って国法を正さんとする文意であるが、ここでは
「これ予の罪なり」の語を添えて繰り返し謝罪する部分を取り上げる。
(中略)
 延々と腐敗しきった朝鮮の実情を吐露しており、国王自ら朝鮮の実情を述べた史料として貴重であろう。
 以上のように朝鮮事変は、別技軍と「旧軍」の差別待遇とか、米価高騰とかが原因ではなく、更に軍兵
卒への給与遅配と石交じりの給与米なども「導火線」のいわば薬剤であったに過ぎず、そもそも叛乱の
チャンスを窺っていた大院君が爆ぜて起こしたものであり、その背景には閔氏政権の恐るべき腐敗が
あったと言うことである。

 



449 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[] 投稿日:2009/04/19(日) 23:36:47 ID:sR5CkrtV

>>60
・「閨秀」は固有名詞ではなく才芸に優れた女性、転じて未婚の女性を丁寧に言う言葉だそうです。
 閔氏の女子であることを示しているに過ぎないようです。
・高宗の男子は完和君で読みはwanhwagunです。
・開化党(kefadan)の読みはkaehwadangです。
・事大党(sadedan)の読みはsadaedangです。
・巫堂もmudangです。
・閔謙鎬(minkyomuho)の読みはmin gyomhoと思われます。
・閔応植(minunsiku)の読みはmin eunsikかmin eunsigが適当かと思います。
・金允植(kim yunsiku)の読みはkim yunsikかkim yunsigが適当かと思います。
訂正して次回からのペーストに使ってください。
純宗の名「坧」の読み方は解りませんでした。(てへんではなくいしへんです)



496 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[sage] 投稿日:2009/04/20(月) 10:29:58 ID:KJ54o1PM

>>106
・【三国志演義で有名な華佗の逸話をパクって】
麻酔を開発し、開頭手術の先駆者となっている。

この話は大笑いしたよ
チャングムが魚に針麻酔するんだよな
そして魚を仮死状態にすることに成功
当時、当然だが朝鮮には腹を切る手術なんてものはない
でも、何処からか手に入れた人体解剖図が何故かあって?
王の腹を切るのに魚麻酔で成功したからやらせてくれと騒ぐwww

あれって俺には小学校の時に実験でやったカエルの解剖を
王様にやろうとしてんの?としか見えなかった
チャングムは嘘を塗り重ねてもここまで酷い内容だぜ



578 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[] 投稿日:2009/05/01(金) 14:11:49 ID:qVPnWrpu

高宗と閔妃が売り払った利権↓

1896年
ロシアへ咸北・慶源・鐘城の金鉱採掘権 鐘城の石炭採掘権 豆満江・鴨緑江上流地域と鬱陵島の森林伐採権
アメリカには京仁鉄道敷設権 雲山金鉱(平北)採掘権
イギリスには財閥顧問の派遣と海関管理権
フランスには京義鉄道敷設権
1897年
ロシアへ財政顧問の派遣と海関管理権 軍隊の教育訓練権
ドイツに江原・金城、金鉱採掘権
1898年
アメリカにソウルの電車・電灯・水道経営権
日本へ京釜鉄道敷設権
イギリスに平南・殷山金鉱採掘権
1899年
ロシアへ東海岸における捕鯨権
1900年
ロシアへ慶南・馬山浦の栗九味租借忠北・稷山金鉱採掘権
日本に京畿道沿海の漁業権

1901年 フランスに平北・昌城金鉱採掘権

日帝以前の半島の統治者は善政を敷いてたんでつねw



590 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[sage] 投稿日:2009/05/01(金) 14:55:29 ID:1heBBDBt

むしろ、朝鮮人はミンピの実態を知らないんじゃないかと思うわ

ミンピと重根を同時に持ち上げるなんて、正気の沙汰じゃないんだけどな



592 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[sage] 投稿日:2009/05/01(金) 15:01:15 ID:Q1mtA1vo

>590
いや、朝鮮人はミンピのような支配者こそを望んでいるんだよ。
将軍様の支配が続くのもそう。
他の国とは感覚が違うんだ、だから日本併合時代をあれほど憎悪するんだよ。



613 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[] 投稿日:2009/05/02(土) 09:53:59 ID:dZpaone6

明成皇后って、2000/12/29 〜 2001/01/18に行われたミュージカルでしょ。
韓国人の歴史認識は、ミュージカルからはじまるのか?

イザベラバードの記述は無視ですか?



643 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[sage] 投稿日:2009/05/02(土) 16:56:29 ID:jGaaumwT

「朝鮮旅行記」 編纂:ゲ・デ・チャガイ
朝鮮の現況 報告:アムール州総督府 公爵ダデシュカリアニ

(1882年 済物浦条約締結)
しかしながら朝鮮の首都に日本の軍事力が導入されるや否や、王国に対する日本の政策は、
朝鮮人が予測したのとは別の展開を見せた。
日本公使の度重なる要求や王国に対する内政干渉を通じて、朝鮮の領土に対する日本の古くからの主張を
持ち出すための好機を窺っていたことが明らかになった。
日本がその陰謀を開始するとしたらその時期は今を措いて他にあり得ない、かくて日本は開始したのである。

そして日本が静かに物音も立てずに朝鮮を飲み込もうと大口を開けたときに、
日本人の全く予期せぬやり方で、獲物をその手中からひったくる人物が登場した。
その人物は李鴻章で中華帝国において最も影響力があり、才能豊かな国家的人物の一人である。
だか朝鮮人も彼もこれが朝鮮半島における危険なる天敵である日本の強大化で終わることを容易には見抜けなかった。
朝鮮政府の誤り、中国の不干渉の誤りを正す必要があった。
朝鮮にとっての唯一の救済は中国との緊密且つ不可分の同盟であることを以下のように立証している。

「ソウル駐在日本公使館の力に肘鉄を加えるために、そこの中国使節団の下に同数の中国兵を駐留させ、
また一般にはいたるところで日本人と中国人の数をつりあわせる必要がある、と。」
朝鮮政府は藁をも掴む思いで李鴻章の提案に飛びついた。
そしてソウルで起こりうる騒擾に際して中国皇帝の家臣である国王の身辺を保護するとの口実の下に
中国正規軍1000名が現実にソウルに到着した。
日本の傀儡となった高級官吏はすべて職務から追放され、政府綱領を受け入れた人々に帰られた。
即ち欧州的秩序を導入す売ること、ただし日本人には決して頼らず、その指導を受けることもなく、
自立して中国や欧米列強の庇護の下にそれを行うというものであった。
これらはすべて非常に迅速且つ抜き打ち的に実施されたので、日本人には為す術もなかった。



644 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[sage] 投稿日:2009/05/02(土) 16:57:42 ID:jGaaumwT

朝鮮の現況 報告:アムール州総督府 公爵ダデシュカリアニ

(1884年 甲申政変)
この騒乱の詳細はわが国(註:ロシア)でもある程度まで知られている。
内幕は日本公使「竹添進一郎」の陰謀なのである。
日本は思いがけぬ中国軍のソウル到来とともに戦術を転換したものの、
朝鮮半島を支配する目論見を断念することは全く考えなかった。
唯一の重大なる障害は朝鮮の人民大衆の日本に対する反感であった。
そこで竹添の直接の目標は以下の3点に集約される。
1.親中内閣の打倒 2.金玉均、徐載弼への政府権力の移管 3.日本の提供する綱領を国王に受け入れさせる
この計画を成功裏に実現するため、11月22日が選ばれた。
この日は新設の郵便局の開局を祝ってソウルで盛大なる式典が挙行されることになっており、
国王政府の全閣僚が集会に列席するはずだった。
この日には国王の大臣全員を殲滅し、日本軍は王宮を占拠する事が決められた。
民衆に対しては、すべてがソウルに残留したとされる大院君の支持者の起こした蜂起であるように
偽装する手はずであった。

六名の大臣は本当に殺害され、その当時国王とその家族がいた王宮も、
蜂起した大院君の支持者たちから迫ったとされる危険から国王とその家族を保護すると称し、
日本公使と彼の軍隊によって占領された。
しかしすべてがぎこちなく稚拙に進められたため、
ソウルの住人にはその夜にもメダルの裏側が見透かされてしまった。
程なく偽の「大院君支持者」たちは、日本人やその召使たち、ならびに彼らの傀儡たちの変装であることが見破られた。
これが判明するや、中国軍とソウル住民は日本軍に対し、
国王の解放と王宮の明け渡しを要求したが、所定の期限までにそれが実行されなかったので、
中国軍は日本軍を王宮から駆逐した。ソウルの民衆はさらに追撃を続行し、
日本軍はソウル在住の同国人全員を引き連れて日本海軍が守備を固める済物浦へ逃げ延びた。
しかしながら日本の東京政府は朝鮮遠征の準備を迅速且つ華々しく始めた。
日本人は全く正当化しえぬ自らの強請りの失敗にすら、朝鮮との戦争のための立派な口実を見つけ出していた。

「朝鮮旅行記」 編纂:ゲ・デ・チャガイ



645 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[sage] 投稿日:2009/05/02(土) 16:59:45 ID:jGaaumwT

1895-1896年の南朝鮮旅行 報告:カルネイェフ大佐

1月20日、ソウル駐在の帝国代理公使ア・エヌ・シュペイェルは、
私と砲艦ボーブル号の艦長モーラス海軍中佐を国王陛下に紹介した。
国王は我々に個人的な謁見を賜ったのだ。虐殺された王妃の喪に服しているため、
公式の謁見は行われていない。その当時、国王は小さな館に蟄居中であった。
王宮内の王の面前で虐殺された不幸な王妃が荼毘に付された折、
灰の中からかき集めて納棺した遺物が安置されている場所のすぐ脇に、この館は建っていた。

虐殺の下手人は日本人であり、この神経を逆なでする虐殺の首謀者が
ソウル駐在の日本政府代表であったと想定するに足りる根拠もある。
それをあたかも嘲笑するかのように、これらの恥ずべき虐殺者らは、
東京の法廷において証拠不十分のための無罪が宣告されたのである。

午前1時頃、我々は王宮へと向かった。そこには我々と面識のある閣僚のほぼ全員と、
警察長官が列席していた。シュペイエルは我々の新しい知人を紹介してくれた。
ただ外務大臣だけは寛大な評定を受けたが、他の者はそれを羨む訳にいかなかった。
彼らはすべて日本の傀儡の者たちだったからだ。この金弘集内閣は
ほとんどの外国公館が承認せず、外国公館との公的関係は一切中断されていた。

東洋的な観念によれば、故・王妃は優れた教育を受けており、
朝鮮のみならず、東洋全体を見渡しても当代随一の漢学通と看做されていた。
それに加え、彼女はヨーロッパの文明と改革を
日本を介さずに朝鮮に導入することにたいそう意欲的であった。
決断力もあり、聡明であった王妃が、朝鮮の勝手気ままな統治を目論む日本人たちを
快く思い得なかったのは当然である。

「朝鮮旅行記」 編纂:ゲ・デ・チャガイ



646 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[sage] 投稿日:2009/05/02(土) 17:07:29 ID:jGaaumwT

1895年12月-1896年1月の朝鮮旅行 報告:アフリタン中佐

3月22日、潭陽の町に着いた。東学党の目的について、彼らは祖国を日本人の手から解放したいのだ、と老人は語った。
私はかかる愛国的目標を褒め称えた上で、できることなら国王への上奏をとりなすことを申し出た。

(羅州にて) ロシアがまもなく日本に宣戦布告するかどうか、口々に訊ねてきた。戦争をしなくてもロシアは日本人に、ロシアの望むことを為さしめるであろう、
また戦争は最後の手段であって、当面はこの手段に訴える必要がないと説明した。一言も聞き漏らすまいと聞き耳を立てる朝鮮人の顔からは、
彼らが戦争を熱烈に欲している様子が窺えた。
我々は官舎に案内されたが、程なく貫禄十分の7人の朝鮮人が入室してくると、居合わせた全員が起立した。
彼らが羅州に結集したのは、木浦からの日本軍の進撃を阻止するため、一般には彼らを朝鮮から駆逐するためである、と説明した。
全員が口々に日本軍を迎え撃つことで、逸る心を押さえかねている、と熱っぽく語っていた。彼らの愛国の志に対して、私は満腔の共感を表明したが、
彼らに対する政府の信頼を失墜しかねないことは一切慎むべきだと告げた。

翌日、私は彼らとともに要塞を視察した。堡塁の巡回の後で、朝鮮の火縄銃と我々の三連発ライフル銃の実射が披露された。
我々の銃を実射した折、射撃の正確さとその速度は朝鮮人たちを狂喜乱舞させた。「我々がこんな武器を持てたら、日本人を渡り合えるのに」と彼らは悔しがった。」

吉州において、我々は一人の朝鮮人と知り合いになった。彼は激烈な愛国者であり、
日本人について、また日本人に向けられた憎悪についても、我々に対して大いに熱弁を奮っていた。
彼は私に向かって、日本人に打撃を与えることにどんな使命でも引き受けると申し出た。



647 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[sage] 投稿日:2009/05/02(土) 17:08:48 ID:jGaaumwT

上述のことすべてからは、日本人は朝鮮国内において、不人気であるばかりではなく、民衆全体の怨嗟の的ともなっているのだ。
些細な例外はあるが、それらとて、反対のことを立証するわけではなく、日本人の事業が彼らにとって思わしくない展開を見せるや否や、雲散霧消してしまうであろう。
実のところ、日本人はどうやら、自らの信託統治と占領が朝鮮人にとってひたすら耐えがたくなるようにあらゆる策を弄しているらしいと断ぜざるを得ない。
日本側としては確固たる目論見なく国内に進駐したのだが、日本軍と中国軍が最初の戦火を交えた国、というだけでは最早済まなくなっている。

日本人が自国の軍隊、クーリー、商人で以って朝鮮を席巻する中で、名目上独立国の朝鮮が、事実上(de facto 引用者註:ラテン語)、日本の属国となることを
すでに達成し始めた。彼らはむき出しの武力にこれ以上訴えずとも、ひとりでに進行するように、国中に日本魂を浸透させることを目論んだ。

ソウルにあっては日本人が自らの包囲網で国王を雁字搦めにし、全閣僚と大院君は彼らに買収された。
公然たる日本の敵、ならびに活動的で聡明な女性である王妃は、日本人の圧迫に一人耐えて国王を支えていたが、彼らによって惨殺された。

朝鮮の最重要事項は、国王の与り知らぬ所で日本人によって専決された。
一国に侵入して、その国の側には何の落ち度もないのにこれを占領してしまった、ある三級大国の側から国家元首に大して加えられるこの未曾有の脅迫は、
全世界が注視する中で行われているのだ。



648 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[sage] 投稿日:2009/05/02(土) 17:10:01 ID:jGaaumwT

1895-1896年の南朝鮮旅行 報告:カルネイェフ大佐

【ミョンソン皇后殺害事件詳細】

虐殺は1895年11月25日から26日にかけての深夜に完全に日本人のみが以下のように実行した。
午前3時、王宮を日本軍が包囲し始めた。日本軍の一部隊は北西門に配備され、
北東門に集結したのは日本人によって軍事教育された兵士約3000人である。
宮中には(朝鮮とアメリカの軍事教官派遣協定に基づいて派遣された)アメリカの
William Mclay Dye将軍が王宮防衛のための措置を講じようと試みたが、
宿直室には将校が見当たらず、王宮守備隊も一部は解散してしまっていた。
連隊長の発した解散の命令を北東門に固める朝鮮兵は実行しないばかりか、
却って彼は指揮官ではない、ここで命令できるのは日本人教官だけだ、
といった声すらも聞かれる始末だった。
宮中では日本軍と朝鮮軍の兵士によって王宮が包囲されたことが明らかになるや否や、
国王は前の農商務相・李範晋に米国とロシアの2国の公使館へ駆け込んで救援を求めるよう命令した。
西壁に登った李範晋は、その前面に兵士が充満していたので、
ここから気づかれずに降りるのは不可能と断じた。そこで彼は城壁の南東隅にある塔によじ登った。
この場所には僅かに二人の日本兵が守備についているに過ぎなかった。
李は彼から遠ざかる頃合を見計らって壁から飛び降り、片足を挫いてしまったにもかかわらず、駆け出して逃げていった。
米国公使館近くに差し掛かったとき、彼は最初の銃声を聞いた。
李がロシア公使館に駆け込むや、彼は僅かな語彙を駆使して次のように訴えた。
日本人が宮中に侵入して、王妃の殺害を目指して虐殺を重ねており、
国王はロシアと米国の代表が救援に駆けつけてくれることを切望している、と。

午後4時過ぎ、最初の銃声を合図に数名の日本人が、
差し掛け椅子を伝って王宮の壁を北側からよじ登った。
南壁をよじ登った者たちが銃撃で歩哨を追い散らして正面を空けたので、
正面の外に待機していた朝鮮兵が怒涛のごとく乱入した。
一方来た門を押し破って侵入した日本軍や挑戦軍の兵士らは、
銃撃によって宮中の衛兵を追い散らした後に、門を開放して王宮の北の部分を占領した。
王宮の中央部は日本人賞公式化の挑戦兵舞台が陣取り、
国王の居間では庭園に出る扉、宮殿の内部に通じる扉のそれぞれに二人ずつの日本兵が立哨していた。
王妃の離れが所在する軍団の指揮者もやはり、長い短剣を帯びる日本人だった。
彼らは喊声を上げつつ中庭を走り回り、王妃の所在を聞き出すために人々を捕まえて打擲するも、
誰一人として彼らの求める情報を与えたものはいなかった。
王妃が女官の間に身を隠しているに違いないと断じた日本人たちは、か弱い宮廷婦人を手当たり次第に殺害した。
宮内大臣が日本人らに向かって飛び出し、彼らと王妃の間にたちはだかって諸手を挙げて挙げて慈悲を乞うたが、
日本人たちは軍刀を振り下ろして、彼の両手を切り落とした。彼は血を流して崩れ落ちた。
王妃が廊下へ逃げ出すと、一人の日本人が脱兎のごとくその後を追い王妃を捕まえ刺し殺した。
しばらく経って、日本人らは殺害した王妃を近くの林に運び出し、灯油を振り撒いた上に火を放って焼却した。
1895年11月26日の流血劇は、こうして幕を閉じた。



650 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[sage] 投稿日:2009/05/03(日) 01:07:53 ID:GZrMXsgU

>>648
馬鹿らしい話だね。

カルネイェフ大佐は事件現場にいたロシア人技術者の話として言っていたのを報告とか馬鹿すぎるだろ。
又聞きの又聞きを書いた旅行日誌本が何の証拠になる。

それも日露戦争直前で、日本の敵国ロシアの大佐のいった言葉だし。
今でも顔も本名も不明なくらい隔離されていた閔妃の殺害現場にロシア人技術者がいたなど信憑性のかけらもない。

そもそも、現場で殺されたり捕まったりした日本人は1人もいない。
その後も、大韓政府側は1人として日本人を実行犯・計画犯として指名していない。

閔妃の夫の高宗や息子の純宗は閔妃が殺されるのを目撃してるし、実行犯のその場にいた大韓帝国軍人の多くに
死刑判決をだし、暗殺者まで雇っているが、日本人が係わったとは一言も言っていない。
高宗は、ロシアへ逃げ込んだりバーグ事件などで日本を散々批判しているにも係わらず、閔妃暗殺で日本を非難した
ことはない。

閔妃暗殺の実行犯は「禹範善」。

目撃者の純宗がそう語り、死刑判決の後、暗殺までしているので間違いない。
その事実さえ書かれていない旅行記など、糞の役にも立たない。


アマゾンレビューの空気が面白いのでいつもより多めに引用。
閔妃(ミンビ)暗殺―朝鮮王朝末期の国母 (新潮文庫)
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star立場を超えて透けて見える歴史
日韓関係(というか日朝関係というか)で「日本は悪くない」本が沢山出ていて、ミーハーの私も、いくつか読んだのだが、そっちばかり読んでいても仕方ないので、読んでみた。1988年出版だから、いわゆる“自虐史観”華やかなりし頃。著者は朝鮮の歴史への日本の関与を倫理的に批判している。それでも、当時の朝鮮王室と政府は、政府の体をなしていなかったのが読み取れる。それが、本書の面白いところで、朝鮮の開国からの歴史のレビューをしっかりしているのだ。
歴史の評価はさておき、事実を知っておくことは大切で、そのためには、いろいろな立場の記述を読んでおく必要がある。そのために、大変勉強になった本だ。
文体も確かで、事実の重みに次第に引き込まれて行って、煩雑な記述にも関わらず、最後まで興味深く読んだ。お薦め。
star隣国の歴史を知らぬ者は自国の歴史も知らぬ。
 小生は、学習旅行で1998年にソウルの景福宮を訪れ、ガイドにここが閔妃暗殺現場だと説明を受けたとき、背中に一筋の冷たい汗が滴り落ちた。それ以来、本書は気になる一冊であったが、今回読む機会を得た。筆者が70歳を越えて上梓した作品といわれているが、その筆力に圧倒されて一気に読んだ。
 閔妃暗殺事件とは、1895年10月に日本の国家を代表する朝鮮駐在公使の三浦梧楼が首謀者となり、日本の軍隊や警察、日本の民間人たちを朝鮮の王宮に乱入させ、こともあろうに公然とその国の王妃を殺害したという、およそ近代世界外交史上に類例を見ない暴虐を働いた事件である。
 しかし、日本政府は、国際的犯罪者たちの罪を問わなかったことで、いまだに韓国の人々の胸に傷跡を残しているのだ。だが、日本の国民の大半は、この事件の知識を持ち合わせているとは言い難いし、この事件後の朝鮮の人々の受難の歴史を知る人も多くわない。
 感情移入を極力排除して、膨大な資料・参考文献と緻密な取材活動に基づいて見事にまとめ上げた筆者の努力と力量には、ただただ感服のほかにない。韓国・朝鮮の固有名詞や人名、地名のカタカナ表記は、実に正確である。筆者は朝鮮語ができないというのは、謙遜しているとしか思えない。
 小生の尊敬する大江志乃夫先生が歴史学者の立場から解説を書いてくださっていて、本書の内容にさらに彩を添えている。
 日本政府はもとより、国民一人一人が謙虚に過去に目を向けない限り、日韓の歴史認識のズレは、修復不可能であろう。その証拠に近年の韓流ブームでも昔ほどでないにしても、相変わらず韓国・朝鮮人に対する偏見と差別意識は日本社会の底流に漂っている。
 閔妃暗殺事件とは何であったのか、解説とあわせて読めば、当時の朝鮮や清国、ロシア、欧米列強と関連づけて日本近代史を学ぶのには価値ある一冊だ。一読をおすすめしたい。もちろん、単に小説と読んでも構わない。
star角田版「閔妃・波乱万丈伝」
これは実在の「閔妃」のことを書いているように見えて、実は著者のつくりあげた架空の女性の栄枯盛衰物語といっていいのではないかと思う。
「閔妃暗殺」という題名なのに、暗殺に行くまでが長すぎるし、暗殺と無関係な部分の語りが細かくしつこい。たまたまラストで日本人に殺されてしまった、という流れで、著者は暗殺そのものに焦点を当てているとは思われない。また、大院君との果てしない確執や、隠れ家生活、驚きの復活作戦など、「暗殺」とは直接関係ない閔妃の波乱万丈の人生が、これでもかと大枚費やして描かれる。
夫に冷たくされ、心が通わなかった新婚時代、それにめげずに側室に生まれた子を祝い、ポーカーフェイスに徹した非経産婦時代。雌伏して時を待ち、自分に子が生まれてからは、時間をかけて側室の子を殺していく閔妃。
なんだか角田の描く閔妃というのは、エカテリーナ二世と似ているところがある。しかしエカテリーナは夫を追放したうえ、もしかしたら殺したが、閔妃の場合は死の直前まで夫との関係は良い。エカテリーナに引けをとらず、西太后にしても、なんの根拠もなく中華人民の上に君臨してしまったのだが、こう比較してみると朝鮮半島には女が君臨する素地がなかったということだろうか。
それにしても、エカテリーナにしても西太后にしても閔妃にしても、若い頃に冷や飯を食った女性というのは、権力を手にすると、もれなく浪費に走るのがお約束だ。そういう意味での女の恨みはほんとうにこわい。
やっぱり題名がまちがっているよなあ。「大河ドラマ・朝鮮のエカテリーナ閔妃、その波乱万丈の生涯」でどうでしょうか。
star重要な本。
自分はこの本について価値がないとは、思わない。
確かに、角田は学者にくらべれば歴史については無知に等しいし、本書においての小説仕立ての彼女の語調も多分に推論と感情移入の織り混ざったものであり、巧みな筆致で小説と歴史を語る書としての間を行ったり来たりしている。
すなわち、重要な問題を登場人物の「心情」に落とし込むことで、例えばカギ括弧を使って三浦に閔妃殺害を誓わせることで、三浦梧郎が主犯であるとの確信をこちらに与える。これは手法として、会話文を使い、歴史にロマンを持ち込むことは、小説家としての彼女の手腕の鮮やかさを感じさせることながら、「歴史を語る書」としては読者を幻惑させるものであり、信憑性には何だか危ういものを感じる一例である。
しかし、未だ閔妃を巡る議論は錯綜を極め、この問題について議論をするときには明確なスタンスが必要とされるが、そういった中、この本は明確な資料であり、
この本を中心に据えての指標として、対極となるべきは、韓国の学者たちであり、この本への異議自体であり、この本を巡っての有意義な議論である。
現在日韓問題の前に横たわる長い冬の時代において、正確で公平な判断を下す上で、敢えてこの書は避けては通れぬものだと認識する。
閔妃を日本の市民レベル、若い層にも知らしめたのも、この本である。
公平なリテラシーを照らし合わせ、ぜひ、読まれたいことと思う。
star脳内ファンタジー
はっきり言って読む価値は無い。
閔氏を国母と呼ぶなど、無知の極みだ。
彼女は国庫の六倍もの額を金剛山に寄付し、
言わば国費を浪費して国を滅ぼしたおぞましい女である。
そして事件後に犯行を自首したのは朝鮮人であり、
石塚書簡によれば閔氏を陵辱したのは野次馬達とある。
歴史を語るつもりならば、まずそれ相応の知識を持ってからにしてもらいたい。
star最低以下の作品
作者の意図が何かわからないが、金玉均の独立党が「天皇を明治憲法下の立憲君主制の日本の近代化」を参考にした「国王中心をクーデター」を起こし半ば成功させたときには、清国の助け(袁世凱)を借りて、このクーデターを壊した後は、日本に亡命した金玉均を上海で暗殺した後、遺体をおぞましい「バラバラ」にしてさらした張本人の閔妃。
そのために在朝鮮の日本人は多数虐殺された。1895年日清戦争以前、1905年日露戦争以前、1910年以前、こんなムチャクチャないなければ、国王高宗だけなら独立国になっていたし、当時の欧米列強や日本も独立を対ロシアとの関係で望んでいたにもかかわらず、日清戦争の種を播き、日清戦争が日本の勝利に終わらせる。
国母?どういう歴史観なのかという以前に、基礎知識の稚拙さに読むのを止めてしまった。読む価値はない。日本であれ韓国であれ、どこの国の国民であれ読む価値がないことは自明だ。フィクションなら架空の国と架空の人名を使うべきだ。
閔妃もある意味、かわいそうだ。事実と違うのだから、死んだ悪人にも内容に異議はあるだろう。
star貴重な作品
とは思う。でも、読めばわかるだろうけれども、閔妃は、見事な外交手腕と明晰な頭脳を持ちながら、あまり国民を省みなかった人物のような気がする。暗愚の夫は掌に乗せつつ、その父である大院君と、激しい対立をし、お互いに税金の無駄遣い。ツルを大量殺戮して鶴羽船を造るシュウト。高価な野生の朝鮮人参を毎日たっぷし服用するヨメ。そして植えてゆく国民。金○日かっちゅうの。
日本による閔妃の暗殺は蛮行であった。もし彼女はじめ、民衆を無視して私服を肥やす一波を除く改革が朝鮮人民自らによって行われていたら、と思う。 Amazonで詳しく見る
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コメント
あれ?嫌チョン厨ちゃんたち大人しいなあここではw
Posted by ご近所 at 2013年08月11日 12:54
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