2008年12月28日

世界初の飛行機は500年前に朝鮮民族が発明した 中国紙が伝える

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もう秋田話題ですが、レコードチャイナが遂に燃料投下したという事は、中国ネチズンの反応が(ry





だがちょっと待って欲しい。

百歩譲って文禄の役に「飛車」が作られたにせよ、「超時空太閤」がまだ木下藤吉郎だった頃、琵琶湖の南に「金目教」という怪しい宗教が流行っていたのですが、日本ではその頃すでに空を飛ぶ軍事兵器が実用化されていたのです。
この新型兵器は、白影がかつて木下藤吉郎から見せられたレオナルド・ダ・ヴィンチの図面を元にしたものと伝えられており、落下傘に変形可能だったといわれますが、現物はB29による大空襲の際、焼失したそうです・・


このBGMを聞いて胸がときめかないヤツは非国民。

白影のテーマ


真面目な話、飛行機はライト兄弟より日本が早かった。ってのが、我が国民の定説です。




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生駒 忠一郎


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最後に、飛車については当ブログでも以前触れましたが(北朝鮮公式声明 ロケットは1300年前に朝鮮が初開発)、その時に紹介していたサイトが消失していますので、後学の為に丸パクリしましょう。
長文です。

世界最初の我々の飛行機 『飛車』研究家 コ・ウォンテ

http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org19845.jpg

400年前に飛んだ我々の飛行機、飛車(ピゴ)。世界最初の公式記録として知られているライト兄弟の飛行機よりも何と300年も先んじていた。ところが、なぜ我々は先祖たちの輝かしい業績さえ歴史から消したのか分からない。今からでも忘れてしまった我々の歴史を蘇らせなければならない。

1590年代に韓国で飛行機が飛んだという事実を信じる人は果して何人になるだろうか? 信じ難いが、飛車は朝鮮時代に空を飛んだ我々の飛行機だ。飛車(ピゴ)とも言い、飛車(ピチャ)とも呼んだ。ただし、その時は飛行機という言葉が無かったからそう呼んだだけだ。実際は飛行機なのに…

我が国最初の航空小説を書いたコ・ウォンテ(45)。私財まで はたいて、我々の歴史を蘇らすことに大きな寄与をしている。彼は小説家ではない。大韓航空の釜山機体整備工場の課長として勤務している平凡な会社員だ。作家でもないのになぜ小説? 世間の人々に飛車を知らせたいから… それほど飛車にすっかりはまっている。

航空小説は言葉遊びではない。複雑な飛行機ほどではなくても、その分野の専門知識があって初めて書ける。まさにコ氏。10年以上、飛車の研究に取り組んできただけでなく、大韓航空に勤めながら現場経験まで身に付けた唯一の人だからだ。

世界最初の飛行機は我が国の飛車であった。朝鮮の鄭平九(チョン・ピョング)という発明家が作った。ライト兄弟の飛行機より300年も前に作ったのに、考証ができていなかっただけだ。

壬辰倭乱(訳注:文祿の役)の時、ある孤立した城で包囲された城主がこの飛車で救援されて30里(訳注:朝鮮10里≒日本1里)外に脱出したという。それなのに、これについての研究がなされなかった事実が驚きだ。

飛車とはナルトゥル(訳注:「飛行機」の韓国固有語)を言うもので、我が国最初の飛行機の歴史であるわけだ。白鳥やトキの形の翼と革で作った飛車に人を乗せて、空中に浮きあがって飛ぶことができた。

コ氏は飛車を考証して研究し、先祖たちの創造的な思考力を見せることによって、大切な韓国の文化を世界万国に知らせたい。しかし、多くの制約のため、その事実を完璧に考証できなかった。

それで小説を書いた。小説の形態を借りて可能性の方向提示をした。彼は遠からず飛車についての具体的な資料が発見され、多くの人々によって研究され、完璧な考証ができるだろうと信じている。

そのことは忘れられた歴史を蘇らせ、韓国の文化の大切さを知らせるきっかけになるはずだ。我が国の航空産業を担う次世代の主役たちに、発想の転換を通じた自負心と創造的思考力を植え付けるはずだ。また、飛車の考証こそ、摸倣と踏襲による限界を克服し、我々だけの独特で優秀な航空機開発に一助となり得る大変重要なものだと考えている。

彼の飛行機との縁は1973年高等学校卒業後、空軍下士官に入隊するとともに始まる。機体整備特技。金海に配属されて職業軍人になった。1984年、上士として除隊。

10年を越す軍隊生活を終え、大韓航空に入社する。釜山機体整備工場2年勤務後、退職してノクサンという漁村で船を作る事業に着手した。結局、事業を潰して、1988年大韓航空に再び入社して今日に至る。

彼は1980年代から飛車に関心を持つようになった。朝鮮日報の李圭泰コーナーの民俗風物起源学に飛車の内容が数行あった。飛車! それを読んだ瞬間、目が輝いた。恍惚なほどにぴりっとした戦慄を感じた。そのとき受けた新鮮な衝撃はいまだに生々しい。

飛車についての糸口を解くため、記事で言及されていた『五洲衍文長箋散稿』を探し始めた。国立図書館で見つけた。あまりにうれしくて心臓が裂けるようだった。原文を複写して釜山に持ってきた。技術漢文であるため、解釈する人がいなかった。民族文化推進会を訪ねた。そこでキム・スンピョ博士に会うことができた。イム博士が飛車弁証説の全文を翻訳してくれた。

それがきっかけになって、本格的な飛車の歴史の迷路旅行に乗り出す。イム博士が解釈してくれた文字を一文字ずつ再解釈した。大学で国文学を専攻した妻の助けが大きかった。いつも困ったときに力になってくれた妻が有り難い。彼らは嶺湖南夫婦。木浦出身の男性と金海出身女性が聖堂で会って結婚をした。

妻の助けまで受けながら取り組んだ結果、飛車についての謎が少しずつ少しずつ解け始める。一人だけで知っているには、飛車はあまりに可愛くて大切だった。自慢してみたかった。世界万国に我々の大切な歴史を自慢してみたかった。どうすれば知らせることができるか悩んだ。

そうして小説を書くことにした。小説を書けば良さそうだった。飛行機機上積載士もやって、整備士もやって、飛行機製作経験もあったから、ある程度感覚も掴めた。さらに船まで直接作ったことがあるから…

躊躇することはなかった。月刊航空に1991年7月から11ヶ月間、『忘れられた我々の翼』という題名で連載した。小説を書いているとき、幸いにも夜勤する部署に勤務していた。それがどれほど有り難かったか知れない。夜勤後の余った時間は小説に取り組んだ。

資料を探して釜山からソウルへ行き来することを数えきれないほどした。小説を書くために夜を明かすのが常であった。歴史から消えた我々の大切な過去の文化を知らせたかった。小説というよりは飛車を考証して知らせるという考えで書いた。

初めは韓国で飛行機が飛んだという記録があるという事実を彼自身も信じ難かった。飛行機に従事する人々さえも飛車について全く知らないという事実にもう一度驚いた。しかし、飛車が世界最初の飛行機だという記録は全て事実だった。小説に登場する『旅庵遺稿』の原文は民族文化推進会で複写した内容だ。

彼の飛車に対する熱情はここで終わらない。職場生活をしながら産業大学に通った。やはり飛車に関連した卒業論文を書いた。題名は『飛車についての航空力学的分析』。その時が1995年度。論文を書きながら飛車についてもう少し具体的に知ることが出来た。飛車自らの重さは150kg。人が乗った場合には300kg。飛行距離は最大12kmと推定される。

亀甲船を作って実戦に使用するほどに先祖たちの船舶技術は相当な水準であり、流体力学の概念もまた、きちんと定立していた。このことから推測して、先祖たちは空を飛ぶ方法として、鶴、トキなど体つきが大きくて重い鳥たちの滑空が最も効率的だということを知っていたはずだ。飛行機の原理を少しでも理解している人ならば、誰でも知っている最も基本的な常識と言えよう。

自体動力の有無は飛行機と滑空機を区分する最も基本的な定規。これはライト兄弟の飛行機が世界最初だという基準になり、それまでグライダーで無数の実験をしてきたリリエンタールやケイレーなどの努力と成果を水の泡にした歴史的事件だ。

飛車は翼だけを持っている滑空機すなわちグライダーとは違い、自体動力装置を備えているという事実だ。飛車こそは、凧やグライダー程度だろうという我々の想像を完全にひっくり返す生きた証拠と言える。

絵を描くことが好きなコ氏。墨画を楽しむ。飛車を研究しているものだから、鶴など鳥の絵を多く描く。飛車を研究するしながら、我々の価値を我々が認めて守って行くべきだということが切実に分かった。

飛行機の歴史は必ず書き直されなければならない。世界で最初に空を飛んだ飛行機が我々の先祖たちが作った飛車であることを考証しなければならない。明白な事実だから… 彼の夢は将来、飛車を航空力学的に解いて作りだすことだ。その日が早く来ることを期待する。 (051-334-2419)

◇写真は400年前、空を飛んだ我々の飛行機『飛車』研究家 コ・ウォンテ氏。飛車を研究しているものだから、自然に鶴やトキなど鳥の絵を楽しんで描くようになった。
<京郷ドットコム キム・ミョンス記者/mskim@kyunghyang.com>








コメント
金目教と聞いて・・・
動画のリンクまでスクロールする前に
メインテーマが脳内再生されていました♪
Posted by 寿司さしみ at 2008年12月28日 17:53
この絵を見た限りではどう考えても飛べないだろw
畑を耕す位しか用途が考えられないw
Posted by 与太 at 2008年12月28日 19:34
重力低減装置も同時に発明したんでしょう
Posted by カナシキシュウサイ at 2008年12月29日 01:36
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