2007年04月21日

人の不幸もweb2.0 別府市のNPO法人施設で生きながら炎に焼かれた身体障害者女性(25)のケース

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火災原因については消防が調査中。
携帯で2度も連絡とは、被害者の方は無念且つ怖かったと思います。

火災:身体障害の女性、ベッド燃え死亡 大分・別府 毎日新聞
 21日午後2時10分ごろ大分県別府市千代町、NPO法人「自立支援センターおおいた」職員、五十嵐えりさん(25)から「マンション自室のベッドが燃えている。体が不自由で逃げられない」と二度にわたり別府市消防署に通報があった。消防車がかけつけマンション6階の五十嵐さん宅に合鍵を使って入り救出し、病院に搬送したがまもなく死亡した。

 同消防署によると、ベッドの周り約4平方メートルだけが燃えており、署員が駆けつけた時には五十嵐さんはベッドの上で火に包まれ、ぐったりしていたという。

 調べでは五十嵐さんは一人暮らし。せきついを損傷し、足が不自由で車いす生活だった。このマンションは障害者の自立生活のため同法人が建設し、1階が駐車場、2階が同法人事務所、3階から7階の12室が障害者の居住施設。

 火災時、他の居住者は法人主催の催しのため全員が留守だった。五十嵐さん宅には朝からヘルパーが訪れていたが、出火の約30分前に昼食の買い出しのため外出していた。出火原因を調べている。【中島京、金秀蓮】

毎日新聞 2007年4月21日 21時49分 (最終更新時間 4月21日 23時54分)

で、インターネット使いの嫌らしさですが、名前を検索したりする下種な癖。
この事件の犠牲者の方も見つかりました。高校三年生で交通事故〜脊椎損傷。
事故現場(NPO施設)の説明サイトでもあります。。

福祉ネットワーク NHK
バリアフリーのマンションで“町に暮らす”2005年7月21日(木)
五十嵐えりさんことし4月からここで働き、マンションでの1人暮らしを始めた五十嵐えりさん。五十嵐さんは高校3年生の時、交通事故でけいついを損傷し、手足にマヒがあります。栃木県出身ですが、リハビリのために訪れた別府でこのNPOを知り、親もとから自立して生活しようと考えました。今は仕事を一つ一つ覚える毎日です。

 五十嵐さんは、このNPOのヘルパーの利用者でもあります。米倉さんは機会を見つけて利用者と話し合うようにしています。ヘルパーに自分の意思を的確に伝えることが自立して生活をする上で欠かせないからです。

米倉: 入って1か月くらいたったけど、ヘルパーさんを使って、「ここどうなんだろう?」とのはないかな?

五十嵐: 同じことを頼んでも、人によってスピードも違うし、受け取り方もそれぞれなので、いつ時間に余裕を持って頼むようにしています。

米倉: 基本的に、うちのヘルパーさんは指示をもらわないと動かない。だから、たとえば「カツ丼を作って」という頼み方では、いつまでたっても自分のおいしいカツ丼はできないよ。いっしょにいて、「自分ができないところをヘルパーさんにしてもらう」と考えたほうがいい。だから、「衣はどのくらいつけて」とか「何度で何分くらい揚げて」とか、ヘルパーさんは料理のプロでも掃除のプロでもないんだから、いっしょに勉強していく。それを何回か繰り返していくと、自分がほんとうに食べたいカツ丼が食べられるんだ。

五十嵐: 料理を作ってもらう時も、「そのくらいでいいよ」って言う程度で、そこまで事細かに言うことはありませんでした。ちょっと自分の中の気持が変わりました。


  たとえ自分でできなくても、「自分で決めることが大切だ」と米倉さんは考えています。


  その夜、五十嵐さんは初めての料理に挑戦しました。お好み焼きです。いつも何気なく頼んでいた料理ですが、今回は少し細かい指示を出しています。

五十嵐: どうなんかな。もうちょっと野菜入れる。

 料理の幅を広げるために、今度本を買おうと考えているという五十嵐さん。安心して暮らせる住宅と適切なサポートを利用して、自立への一歩を踏み出しています。

五十嵐えりさん2 これからもいろいろな人に助けてもらいながらというのはずっと続いていくでしょうけれど、「わたし生活してます!」って自信を持って言えるようになれたらいいなと思います。
 (五十嵐さん)





NHKのこのページは閉鎖されるのかなぁ。
とりあえず、五十嵐さんは当該ページの中では親元からの自立を目標に立て頑張り、ページが削除されない限り、このURLの中では永遠に生き続け、微笑みかけています。

ご遺族の方へ心より哀悼の意を申し上げます。


Posted by kingcurtis 固定リンクComments(8)Web | 人権問題
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コメント
冥福を祈るばかりです。残された我々の使命は彼女の意志を引き継ぎ、障がい者の自立や支援に応援し住みよい世の中を形成する事ですね。
Posted by 翔太 at 2007年04月25日 17:06
遺族の事を思うなら、写真を無断添付するな!
良心があるなら、写真はけすべきだ。
Posted by nasuba at 2007年04月26日 18:25
今更ですが、えりちゃんは私と同級生で、小学校からの付き合いでした。インターネットや新聞を読み、『えりちゃんの何が分かるんだ!』と思い、ものすごく悔しかったです。

容姿端麗で明るく健全なえりちゃん―


もう、二度とこのようなことは起きて欲しくないです。
Posted by 鰤 at 2009年07月22日 23:58
故人のお知り合いですか。

その後の報道では床擦れ防止器具からの突然の発火だったとか。
被害者の立場としては、本当にどうしようもない事故だったと思います。

影響力がある人だったと聞きますので、志を受け継ぐ者が活躍する事を願って。

(しかし何処のメーカーの商品だったんだろう?)
Posted by kingcurtis at 2009年07月23日 00:59
私が今年の1月に書いたブログです。長いですが、えりちゃんがどんな方だったのか、いろんな人達に知っていただきたいと願っています。
そして、このような事故は二度と起きませんように…。

彼女が亡くなって、4月で二年になります。
小学校からの友人で、歩いて行けるほど近所に住んでいました。
中学生の頃はご両親にもお世話になり、お母さんにはシチューをご馳走になりました。忘れられないことが沢山あります。

彼女は中学の頃、足をケガしました。確か部活中だったと思います。『踝の辺りにボルトを入れる』と話してくれたのを覚えています。
卒業後、高校が別々になってからは殆ど会うこともなくなりましたが、高校3年の夏休みに自宅へ顔を見に行きました。

夏休みが終わり、寒くなった頃だと思います。彼女が事故で脊椎を損傷したと聞きました。
半信半疑でしたし、信じたくありませんでしたが、それから彼女の姿を見ることはなくなったのです。

何度も自宅の前を通り、何度も電話しようと思いました。

迷惑なんじゃないかと思うと、なにも出来ませんでした。

その後、周りの友達は誰も何も彼女のことを知らず、どこで何をしているのか…
ご両親に聞けば分かるのに、みんな優しいか
Posted by 鰤 at 2009年08月22日 21:53
以下 今年の1月に私が書いたブログです。このような事故が二度と起きませんように。

彼女が亡くなって、4月で二年になります。
小学校からの友人で、近所に住んでいました。中学生の頃はご両親にもお世話になり、お母さんにはシチューをご馳走になりました。忘れられないことが沢山あります。
彼女は中学の頃、部活中に足を負傷し、『踝の辺りにボルトを入れる』と話してくれたのを覚えています。
高校が別々になってからは殆ど会うこともなくなりましたが、高校3年の夏休みに自宅へ顔を見に行きました。
その後、寒くなった頃だと思います。彼女が事故で脊椎を損傷したと聞きました。
それから彼女の姿を見ることはなくなったのです。

何度も自宅の前を通り、電話しようと思い、迷惑なんじゃないかと思うと、なにも出来ませんでした。
周りの友達は誰も何も彼女のことを知らず、ご両親に聞けば分かるのに、みんな優しいから誰も聞けなかったのです。

そして、事故から7年後
2007年4月。
私がたまたま実家へ帰った日。
知人から『彼女が亡くなった』と連絡がありました。
姉がとっさに新聞を広げ、読み上げました。
私は涙が止まりませんでした。
下半身の火傷…
『また足…』と思いました。

彼女は生前、『私は幸せだからいつ死んでもいい』と言っていたそうです。
本当に幸せでなければ言えない言葉だと思います。
もしくは、幸せだと思い込むようにしていたのでしょうか。
それとも、彼女なりの強がりだったのでしょうか。

火災の中、彼女は二度も消防署へ電話したそうです。
『いつ死んでもいい』と言っていても、当然本当はもっと生きたかったハズ。
彼女の言う『いつ死んでもいい』は、歩けなくなったことの苦労と、ご家族への想いから表現した言葉なのでは… と思っています。

彼女のお葬式当日は、素晴らしく綺麗な空でした。
今まで見たどんなものよりも、ずっとずっと綺麗な空でした。
Posted by 鰤 at 2009年08月23日 16:28
続き


周りの友達は誰も何も彼女のことを知らず、ご両親に聞けば分かるのに、みんな優しいから誰も聞けなかったのです。

そして、事故から7年後
2007年4月。
私がたまたま実家へ帰った日。
知人から『彼女が亡くなった』と連絡がありました。
姉がとっさに新聞を広げ、読み上げました。
私は涙が止まりませんでした。
下半身の火傷…
『また足…』と思いました。

彼女は生前、『私は幸せだからいつ死んでもいい』と言っていたそうです。
本当に幸せでなければ言えない言葉だと思います。
もしくは、幸せだと思い込むようにしていたのでしょうか。
それとも、彼女なりの強がりだったのでしょうか。

火災の中、彼女は二度も消防署へ電話したそうです。
『いつ死んでもいい』と言っていても、当然本当はもっと生きたかったハズ。
彼女の言う『いつ死んでもいい』は、歩けなくなったことの苦労と、ご家族への想いから表現した言葉なのでは… と思っています。

彼女のお葬式当日は、素晴らしく綺麗な空でした。
今まで見たどんなものよりも、ずっとずっと綺麗な空でした。
Posted by 鰤 at 2009年08月23日 16:31
彼女が体調を崩して一時期入院した病院のナースです。
彼女は脊損でしたが生きる意志は強く、退院する時は笑顔で帰ったのを今でも覚えています。
ニュースで知った時はショックでした。
自立を目指して始めた生活、こんな事故で終わってしまい凄く悲しいですが、こぅいう場所はまだまだ課題が多く残ること、改善策を考える事が彼女の命の重さに繋がる気がします。
心よりご冥福申し上げます。
Posted by りぃ at 2009年09月13日 00:04
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