2005年06月17日

長崎原爆 GHQの検閲文書60年ぶりに発見

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当時、広島に入った記者による放射能汚染を告発した記事が英紙「デーリー・エクスプレス」(45年9月5日付)に掲載され、米政府はその打ち消しに躍起になっていた。

米政府は「多数の民間人の被ばく死」というのは日本側のプロパガンダだとして、米国内の世論を操作。
原爆の惨劇が米国人に広く認識されるには46年8月、ジョン・ハーシー氏の「ヒロシマ」が米誌ニューヨーカーに掲載されるまで待たねばならなかった。

ウェラー記者の原稿が掲載されていれば、米国内で原爆使用を非難する世論が高まり、政府の核兵器開発に対するブレーキになった可能性もある。


長崎原爆: 米記者のルポ原稿、60年ぶり発見 検閲で没収 毎日GJ

文章そのものは、今読むとたいした事ないです。
ですが、当時の米国にとっては、門外不出の超機密事項だった筈です。
単なる戦争ではなく、壮大な人体実験であった事を。

検閲に引っ掛かった文章はここでしょうか。

ビンク氏は病院で黄色い布団の上にいる女性を示した。女性は、病院の医師であるコガ・ヒコデロウ氏とハヤシダ・ウラジ氏によると、まだ運び込まれたばかりだという。被爆地帯から命からがら逃げたが生活のため舞い戻っていた。小さなかかとのやけど以外は、ここ3週間は何ともなかったが、今は破傷風患者のように黒い唇を閉ざしたままうめき、明確な言葉を話すことはできない状態だった。彼女の足や腕には小さな赤い斑点が所々にあった。

 彼女のそばにいる15歳の少し太った女児にも同じできものがあり、できものは赤く小さく先端は血で固まっていた。さらに少し先には、1〜8歳の子4人と一緒に横たわっている寡婦がおり、下の2人の子は部分的に髪の毛がなくなっていた。彼らは誰もやけどは負っていなかったし、骨折もしていなかったが、原爆の犠牲者と思われた。

 ハヤシダ博士はものうげに頭を振り、三菱工場の周りの土地が汚染されているという米国のラジオ報道のような、何かがあるに違いないと語った。だが、続く言葉は、その考えの支えを奪い去るものだった。寡婦の家族は爆発以降、破壊された地域にはいなかったし、同じ症状は、その地域に戻った人々にも同様にみられたからだ。


残留放射能による被爆者ですね。
嗚呼、許すまじ原爆を。


長崎原爆ルポ:ジョージ・ウェラー記者原稿全文 その1
長崎原爆ルポ:ジョージ・ウェラー記者原稿全文 その2
長崎原爆ルポ:ジョージ・ウェラー記者原稿全文 その3

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